367 悪役令嬢は疑似噴火を起こす
「いやあ、災難でしたねえ……」
ハーリオン家分家の老執事は、三人に温かいココアを出した。
「美味しい!甘い飲み物はいいね」
セドリックはココアを一口飲み、キラキラした笑顔を向けた。
三人がハーリオン家の分家の邸――ハロルドの生家――に来ることになったのには理由がある。エスティアの町には宿屋がなかった。ハーリオン一家が立ち寄った際も、分家の邸に宿泊していたから、アリッサもエミリーも宿屋がないことを知らなかった。
雪山の道で途方に暮れた三人は、エミリーの指示で狼煙を上げた。アリッサが土魔法で木の葉を茂らせ、セドリックが光魔法で照らし、エミリーが風魔法で上空に舞い上げ、火魔法で燃やした。山の中腹に光と火のようなものが見え、何事かと確認に来た人々に助けを求めたのだ。
「あのような場所に魔法で飛ばされるなど、災難だとしか思えませんなあ」
執事は三人を裕福な平民だと思っている。うち二人が主家の令嬢で、もう一人がこの国の王太子だなどとは、露程も思っていないようだ。
「魔法事故って怖いですね」
「まったくです。町には強い魔導士がおりませんのでね、皆魔法に慣れておらず……」
町の人には、魔法事故で転移魔法陣が発動して、爆風諸共飛ばされてきたと説明している。魔法が使えると知られては、今後の調査がやりにくいばかりか、頼まれた仕事で魔力を失い、いざという時にセドリックを守れなくなる。
「ご気分が優れないエマさんを治療する治癒魔導士もおりません。お力になれず申し訳ございません」
「いえ、お気遣いなく。泊めていただけるだけでありがたく思っております」
セドリックが礼を言うと、老執事は一言言って部屋から出て行った。
三人の関係は、新婚夫婦と妻の付き人だと言ってある。セドリックがエミリーを背負ったため、地味なドレスを着たエミリーを新妻と勘違いしたので、アリッサはエミリーの親戚筋の未亡人だという設定になった。町の人は若い美人の未亡人が来たと盛んと噂していた。
「宿屋がないなんて……宿泊先がうちの分家なんて……はあ」
青白い顔で長椅子に横になり、魔力を回復させようとしているエミリーは、そわそわしているアリッサに目くばせした。
「心配しないで、エミリーちゃん。変装がバレないわ。王太子様のお顔を見たことがない人ばかりだもん。私達も髪と目の色が違うから」
「正体に気づかれないうちに、さっさと調べてしまいたいわ。私がこんなことにならなかったら、皆に話を聞いて回れるのに……」
「ここに来るまで、特に不審な点はなかったよね。君達が知っているエスティアと比べて、何かおかしいところはない?」
セドリックは荷物の中からエスティアの報告書をまとめたノートを出し、アリッサに手渡した。
「多分、ないと思います」
「父上の話だと、この町のどこかにピオリの群生地があるらしい。自然に生えているものなのか、人の手で増やされたものなのか。僕はそこが肝心だと思っているよ」
「報告書では、この町の農産物の産出量は横ばいですね。種類別の内訳でも、ピオリが含まれる『花』の項目で、取引量が増えてはいません」
「種でも、『花』に含まれるのかな」
「注釈を見ると、苗でも種でも『花』に入れるみたいです。ピオリは苗木で植えればその年からでも花をつけると言われていて、種でも苗木でも取引すれば必ずここに載ってくると思うんです」
「……載せてないだけでしょ」
「報告に書かないなんてことがあるかな?ハーリオン侯爵はしっかりした方だよ」
「うっかりだなんて言ってないわ。お父様が知らないところで、ピオリが増えて売られていたなら、報告には出てこないかも」
「エミリーちゃんは、お父様が知らないところでピオリが植えられたって思ってるの?」
「……あるいは、その場所がうちの領内じゃないとか?騎士団が見間違ったか」
「見渡す限り山だったからね。領地の境界が曖昧な可能性もあるな。エミリーが言うように、騎士団が事実誤認しているかもしれない。……よし、アリッサ」
「はいっ」
アリッサは緊張して返事をした。
「二人で町の人に聞いて回ろう。ピオリの生えている場所について」
報告ノートをリュックサックに入れて、セドリックは椅子からすっくと立ち上がった。
◆◆◆
「できたけど」
「ああ。いいな。流石は街一番の店だけはある」
安っぽいドレスに身を包んだジュリアに満足し、レイモンドは眼鏡の奥の瞳を細めた。
「ちょっと、褒めるとこは服だけ?」
「他に何がある。……髪は下ろしたほうがそれらしいな」
ジュリアが髪を結んでいる紐を解くと、レイモンドは耳から髪の先までさらりと撫でた。
「――っ!」
「どうした?」
「……なんでもない」
見た目を整えるためとはいえ、恋人でもない自分の髪を撫でるなど、どういうつもりなのか。アレックスもあまり触ったことがないのに。
「ドレスの……胸が開きすぎじゃない?」
「店員は普通の大きさだと言っていたが、緩いのか?」
胸のすぐ下で切り替えがあり、幅広のウエストベルトがある。首回りにギャザーが入った胸の部分が緩い。
「……ちょっと待って」
ジュリアはレイモンドに背中を向け荷物の中からタオルを取り出した。広げて丁度良い長さにして胸の下に詰めると、予想通り、ドレスの胸元がぷっくりと膨らんだ。これなら美貌を武器に若い男を手玉に取るお色気美人に見えなくもない。
「どう?」
振り返ったレイモンドは、ジュリアの胸元を見て言葉を失った。数秒の間があって、
「いいだろう。今から君は俺の愛人。秘密の関係の二人が旅行をしている設定だぞ」
とジュリアのウエストに手を回した。




