364 悪役令嬢は魔法陣に飛び込む
「あなたのは、これね。うふ、可愛いでしょう?」
アリッサのドレスを自分の胸に当てて見せたマダム・ロッティは、精一杯可愛らしく小首を傾げた。顔の幅と同じくらいある太い首につけられたネックレスが、じゃらじゃらと音を立てる。
薄いピンク色の小花柄で袖がふんわりと膨らんだドレスは、嫌味がなくて少し地味だが可憐だった。淡い色が好きなアリッサは頬を緩めて手に取った。
「素敵……」
「あなたのドレスを選んだのは、オードファン家のお坊ちゃんよ。既製のもので特別に可愛いのを用意してくれって」
「レイ様が……」
蕩けているアリッサの向こうでは、ジュリアがマリナの手助けを受けて胸に布を巻いているところだった。少年に見せるためには、胸の膨らみを隠さなければならない。他の三人に比べて凹凸が少ない身体でも、平らに見せるのは難しい。
「うっ……マリナ、苦しい……」
「『王都の食事は食べおさめ』とか言って、出かける前にドカ食いするからよ」
「ちが……うっ。締めすぎだってば」
「胸が成長したのよ。よかったわね、ジュリア」
「手加減してよ」
ハーリオン家の制服ではない侍女の格好をしたマリナは、最後の一締めを引っ張り、ジュリアの胸元で布の端と端を結んだ。
「できたわ」
「マリナ……アレックスには優しくしてやってね。一応、侍女なんだからね?」
「分かっているわよ。ジュリアこそ、好き勝手に行動してレイモンドの迷惑にならないようにね。彼、怒らせたら怖いわよ?」
シャツの上に黒い上着を羽織ると、ジュリアは茶色い髪の毛を襟足で結った。
「どう?」
「うわあ、ジュリアちゃん、かぁっこいい!」
「どこから見ても美少年剣士よ」
「へへ……そう?」
少年らしく人差し指で鼻を掻く。悪戯ににっと笑うと、ますます男の子のようだった。
「マリナちゃんも、しっかり者の侍女みたいだね」
アリッサに褒められて、マリナは腰に手を当てて胸を張った。紺色の髪をお団子にして、白い帽子の中に隠している。丸眼鏡の奥の瞳は灰色、化粧気のない顔にはそばかすが散っている。
「世間知らずのお坊ちゃんと、お付きの侍女の二人旅でしょう?実際にアレックスと二人で、私がしっかりしないと大変だもの」
「……確かに」
出されたお茶菓子をつまみ、アラフォーの家庭教師に扮したエミリーが同意した。茶色いワンピースは古めかしい型で、後ろに一本にまとめて垂らした長い三つ編みは黒く、癖があるためかモジャモジャしており、オールバックになった額には僅かに後れ毛がかかり、小さな顔には侍女姿の時と同じ瓶底眼鏡をかけている。
「エミリーちゃんは……私のお目付け役?」
「……そう。婚約者と二人旅は外聞が悪いからって、嫌々同行させられた年上の従姉兼家庭教師」
「レイモンドの設定は細かいなあ」
「婚約者……」
マリナが口を覆った。
「ねえ、アリッサ……セドリック様のことだけど」
「なあに?」
「婚約者の役だから、あなたに特別優しくしてくださると思うの。……でもね」
「ふふ、大丈夫。私、レイ様しか目に入らないから」
不安そうに瞳を揺らしたマリナの手に、アリッサの温かい手が重なった。
◆◆◆
「王都の市場の中央に、こんなところがあったのか。俺、知らなかったよ」
アレックスは並ぶ魔法陣を前に興奮している。誰でも自由に使える国内最大の魔法陣スポットと言ってもいい。王都と主要都市を繋ぐ魔法陣は、うまく利用すれば一日で遠くまで移動できる。隣と薄い壁で仕切られた部屋に、光を放つ魔法陣がある。個室の大きさがもう少し小さければ、前世の女子トイレのようだとマリナは思った。
「荷物用の魔法陣は別のところにあるようね。こちらは行き来する人専用で、特に通行証は必要ないみたい」
「よっしゃ。さっさと行こうぜ!えっと……マリアン?」
下級貴族令息の格好をしたアレックスは、侍女のマリナから着替えが入ったトランクを奪って先に歩いていく。さり気ない心遣いが嬉しい。
――ジュリアはこういうところが好きなのかしら?
「お一人で行かないでくださいませ、アラン様!」
スカートを持ち上げてマリナはアレックスの背中を追った。目の前の円の中に飛び込んだアレックスが「うおっ!」と声を上げて消える。
「私も覚悟を決めないと!」
瞼を閉じてゆっくりと開け、マリナは思いきって魔法陣に片足を踏み出した。
◆◆◆
「遅いぞ、ジュリアン。いつまで油を売っている気だ」
「道を訊かれただけでしょうが。んもう、そうやってピリピリしてると、怒った顔で固まっちゃうよ?」
少年剣士ジュリアンは、道に迷った老婦人に別れを告げて、道端で待っている友人に追いついた。
「レイモ……あー、名前何だっけ?」
「レジナルドだ」
「んー、じゃ、レジーでいい?」
「はあ?」
「だって呼びにくいじゃん。忘れちゃうし。いいでしょ、ね?」
はあ、とレイモンドは溜息をついた。
――アレックスの奴、このガサツでいい加減な女のどこがいいんだ?全く理解できないな。
可憐で愛らしいアリッサの姉とは思えない。目と髪の色を魔法で変えたから余計に。
「分かった。……譲歩しよう」
「やりぃ。あ、私のこと、呼びにくかったらジュリーでもいいよ?」
「結構だ、ジュリアン。俺は俺の呼びたいように呼ばせてもらう」
中指で眼鏡を押し上げ、レイモンドは同行者に厳しい視線を向けた。
「おっ!あれだよね、魔法陣があるのって」
睨まれているとは気づかず、ジュリアは屈託のない笑顔で彼を振り返ると、赤レンガでできた古い建物を指さした。




