閑話 おうじさまときんのパンツ 2
閑話全4話の2話目です。
翌日は久しぶりの雨だった。王宮では、セドリックが大きな窓から黒い雲に覆われた空を見上げ、頬を染めてレイモンドに振り向いた。
「雨!雨だよ、レイ」
「だからどうした。このところ日照り続きだったからな。作物には恵みの雨だろう」
「今日がチャンスだよ!」
「……何の?」
「名付けて、『金のパンツ大作戦』さ!」
「馬鹿も休み休み言え。どこのおんぼろ宿に泊まるつもりだ」
「泊まれればいいけど……日帰りでもいいかなと思ってる。僕はハーリオン侯爵家を訪ねることにする」
「はあ?」
レイモンドの剣呑な瞳がセドリックを射抜く。
「こんなに土砂降りなんだぞ?外出は控えるべきだろう。そもそも、侯爵家に事前に連絡をしていないのに行くつもりか?」
「そうだよ。……僕はマリナに会いたくて会いたくてどうしようもなくて、つい雨なのにハーリオン家に行くんだ。だけど、外の雨に当たった僕は、濡れ鼠になってしまう。それで……」
◇◇◇
マリナは目の前の僕を見て唇を震わせた。
「殿下、どうして……!」
「君に会いたくて来てしまったんだ。……少し、雨に当たったけれどね」
肌に貼りついた白いシャツが僕の身体の線を浮き彫りにする。タオルを持ったマリナは僕の髪から垂れる雫を拭きながら、泣きそうな顔で見つめる。こんな顔をさせるつもりはなかったのに。ああ、なんて君は……姿だけではなく心も美しいんだ。
「いけませんわ、こんなにお身体が冷えて。お風邪を召されては……私、心配で心配で、夜も眠れなくなってしまいます」
「君に心配をかけるのは僕の本意ではないよ。……ごめん。君の顔を見られたから、すぐにお暇するね」
「すぐに入浴の準備をさせますわ。……お身体を温めて、服もお着替えください。そうでなければ私の気持ちがおさまりませんわ」
マリナはすぐに浴室へ僕を連れて行った。
「お湯の準備はできております」
「ありがとう。では、入らせてもらうよ」
うっかりシャツを脱ぎかけた僕の裸の胸に驚き、マリナは小さく「キャッ」と悲鳴を上げて後ろを向いた。
「も……申し訳ございません。驚いてしまって」
「僕も気づかなくて悪かったね。終わったら声をかけるから、部屋から出ていてくれるかな」
マリナは僕に背中を向けたまま、顔に手を当てて何度も頷いた。愛らしい様子につい、くすっと笑ってしまう。何か言いたげではあったけれど、彼女は慌てて部屋から出て行った。
お湯に身体を沈め、僕はふうと息を吐いた。冷えきった身体が嘘のように、じんわりと温かくなっていく。
「……はあ……マリナ……」
先程の恥らう彼女を思い出し、つい名前を口にする。
「お呼びですか?」
「――っ!!!」
不意に背後から聞こえた可愛らしい声に、僕はびくりと身体を震わせた。
「マ、マリナ……君、いつからそこに?」
「殿下にご不便をおかけしてはと思い、衝立の裏に控えておりました」
靴音が近づく。
ごくり。唾を呑みこんだ。
「ご用がおありでしたら、何なりと仰って下さいね。石鹸はこちらに……」
白い手が視界に入った瞬間、はっしと手首を掴む。
「で、殿下?」
「マリナ……君も一緒に」
◇◇◇
「……おい」
「僕の背中を流してくれないか。君の背中は僕が」
「おい!セドリック!」
「煩いなあ、レイは黙ってて」
ガン!
セドリックが座っている椅子の足を蹴り、
「いい加減にしろ!妄想がだだ漏れだ!」
とレイモンドは腰に手を当てて怒鳴った。
「ハーリオン家に行って、不埒な真似に及ぶつもりか。今度こそ完全に嫌われるぞ」
「ううん。今のは、なし!なしだよ、うん。濡れた身体を温めるために、お風呂に入った僕は、金のパンツを忘れてしまうんだ」
「お前、金色の下着を持っているのか?」
「勿論。この間、レイに話をした後、すぐに王室御用達の洋服屋に作らせたんだ。採寸して僕にぴったりのパンツをね!」
上着の胸元から、ギラギラ光る金色の物体を取り出し、セドリックはレイモンドの目の前で広げて見せた。シャンデリアの光が反射し、レイモンドの眼鏡がカメラのフラッシュを浴びた時のように光る。
「……馬鹿も徹底すれば清々しいな。その行動力を他の分野に活かせたら、お前も立派な王になれそうなのに。……で、パンツを忘れて、お前のだと気づいてもらえるのか?」
「どうしよう。そこまで考えていなかったな」
「風呂の後始末をマリナがするわけがないだろう?」
「そうか。侍女が片づけて、僕のパンツだと知ってマリナに届けるように……よし!」
セドリックは傍らの机の引き出しを開け、インク瓶とペンを並べた。
「これは水に濡れても消えないインクなんだ。これで名前を書いておけば、絶対に僕のだって分かってもらえるよ!」
◆◆◆
外出する支度をして、セドリックが車寄せに出た時、既に雨は上がっていた。
「おかしいなあ。あれから一時間も経っていないのに……」
「黒い雲がどこに行ったか分からないくらい、快晴だな」
「僕が外に出る時は、いつも晴れるんだよ。……ああ、この体質が恨めしい」
王太子セドリックは、王国史上稀に見る晴れ男だと評判だった。絶対に晴れてほしい祭りの日には王太子を呼べと、市井では言われているくらいである。
「……レイモンド、僕に水をかけて」
「馬車で行くのに最初から濡れている奴がどこにいる?王太子専用車は屋根に大穴でも開いているのか?」
「いいから、お願い!」
かくして。
レイモンドに桶で三杯冷水を浴びせられた王太子は、専用の馬車に乗って一路ハーリオン侯爵家を目指した。自分の忘れ物を届けてくれるであろうマリナの前でパンツを穿き、感激のあまり涙する彼女に愛を伝えたい。侯爵邸から王宮までは目と鼻の先であり、行き来に何の障害もないことを全く考慮に入れず、セドリックは胸を躍らせていた。




