38-2 悪役令嬢は子作りの話をされる(裏)
【セドリック視点】
マリナと楽しい時間を過ごしたある日、僕は父上に呼び出された。
「セドリック、お前と男同士の話がしたい」
母上がいないところで話したいということか。僕は合点がいった。
「どのようなお話でしょうか」
「お前はハーリオン家のマリナを随分寵愛していると聞いたが」
「ちょ、寵愛、だなんて、そんな」
「毎日のように呼びつけて会っていれば、そう言われる。王族は常に行動に責任が伴うのを忘れるな」
「……はい。マリナとは今日も話をしました」
俯いて、つい声が小さくなる。父上は優しく僕に話しかけた。
「好きなのか」
はっ、と頬を染めて見上げれば、含み笑いをした父上が僕を見ている。
「はい。好き、です。彼女を妃にしたいと思うほどに」
「そうか」
沈黙。ややあって、父上は何か考えたようだった。
「お前に、妾、つまり側妃の話をしようと思ったのだ」
一夫一妻制のこの国では、貴族でも妾を持つと非難される。しかし、王位継承権を持つ王族の人数を安定的に維持するため、王とその継嗣である王太子に限り、妾、つまり側妃を置くことが許されている。父上には妾はおらず、母上との仲も睦まじい。それでも保守派の貴族の中には、何人でも妾を迎えて王位継承権を持つ王子を増やしてほしいと言う者がいるという。
「では、父上は、母上以外の女性を宮廷に……」
「いや。私は妃一筋だ。妾を持つのは、お前だよ、セドリック」
僕は衝撃を受けて椅子の背に凭れた。
「ぼ、ぼく、は……」
「勿論、マリナ嬢に不足があるわけではない。ただ、王太子妃候補に何があるか分からない。候補は何人でもいた方がいいだろう」
何がって何だ。マリナが妃になれないなんてありえない。
「父上は母上だけを愛しておられるのに、何故僕にはそのようなことを仰るのです?」
「すでに宰相が候補を洗い出している。マリナを筆頭にしたいであろうお前の意向を反映して、侯爵家以下の令嬢を……」
「お願いです。今すぐやめさせてください」
僕は涙目になっていた。
「ならぬ。これは王の決定だ」
自室に戻り、すぐに僕はマリナに手紙を書いた。急ぎの案件だからと侍従を走らせる。
彼女に会いたい。会って話したい。
こんなにも動揺している僕を叱って欲しい。
◆◆◆
侍従を行かせてから長い時間が経った。実際にはそれほど長い時間ではなかったのかもしれないが、僕には果てしなく長い時間に感じられた。
マリナが王宮へ着いたと連絡があった。ノックの音がし、僕はたまらずドアを開ける。
「マリナ!」
そこには水色のドレスに身を包んだ、神々しいほどに美しい令嬢がいた。僕の様子に戸惑うアメジストの瞳は長い睫毛を揺らして何度も瞬き、下ろした銀髪から見え隠れする肩の線は華奢で、妖精にしか見えない。礼をしようとする彼女を攫うように室内に招き、僕は彼女と並んで長椅子に腰かけた。
「殿下?」
「待っていたよ。手紙は読んでくれたかい?」
眉を顰めて軽く首を傾げた様子も可愛らしい。
「はい。国家を揺るがす火急の用件だとか」
「そうなんだ。これはね……僕の治世に、とても大切なことだから」
「殿下の……」
僕は腰を浮かして、彼女に身体を近づけた。
父上から二人目の王太子妃候補を選べと言われたと話すと、彼女は淡々と受け答えした。
「そうですか」
「そうですか、って、マリナ!」
マリナの肩を掴む。勢いで一層露わになった肩、見えそうな胸に少し躊躇したが、僕は話を続ける。
「君は、それでいいの?僕が他の女の子と仲良く……その、こ、子供ができても」
仲良くするだけでは済まない。妾になった令嬢と僕が夫婦の営みをして子供を作るのだ。この歳になって女性の身体に興味がないわけではない。しなければならないのなら、マリナ以外の令嬢とも夜を共にするのだろう。
「殿下のお妃候補は私だけではありますが、次に選ばれるご令嬢が、候補の筆頭になる可能性もございますでしょう。その方と殿下の間にお子様がおできになれば、私は……」
目を伏せながらマリナが言う。
ああ、彼女につらい思いをさせてしまう。子ができない王妃マリナと、次々に王子を産む妾を想像して、僕は胸が痛んだ。
「僕は君以外を妃に迎えるつもりはないよ。他の令嬢なんてどうでもいい」
僕はマリナを抱き寄せた。そうだ。妾は形式的に迎えても、マリナが世継ぎを産めば……。夜のアレコレをマリナと僕が?
「こ……子供は、頑張るつもりだから。もし、跡継ぎに恵まれなくても、僕の弟が……」
自分で言いながら、想像して身体が火照ってくる。こういうことは神のみぞ知るだからな。頑張る以外にはない。うん。
「ちょ、ちょっと待っ……」
真っ赤になって動揺するマリナが可愛くて、僕はまた愛を囁く。
「……好きだ、マリナ。他の子なんて要らない。僕がドキドキするのは君だけだよ」
いつもは気丈な彼女に圧されっぱなしで、女の子のドレスを着せられる時にもいいように遊ばれている気がする。それはそれでたまらないのだが、少し僕が逆襲するとこんな風に照れて挙動不審になる。
腕を緩めて見つめると、マリナはビクリと身体を震わせた。
――ああ、いいな。
美しく整えられた銀髪を撫でて乱れさせる。彼女を乱すのは後にも先にも僕だけだ。切ない興奮が僕を苛む。
上気した頬に掌を当て、一瞬でマリナの唇を奪う。
キスに慣れていない彼女が苦しそうな吐息を漏らすと、僕はもっと貪りたい衝動に駆られる。もっと口づけを深くしようとした時、
「ダメぇっ!」
渾身の力で彼女に突き飛ばされた僕は、どこかに頭をぶつけて意識を失くした。
◆◆◆
天蓋のある自分のベッドで目覚めた時、先ほどのことが夢だったのかと思った。
マリナに何度目かの愛の告白をし、彼女の唇を貪った。……貪りかけた、とでも言うのか。
何て甘美な夢なのだろう。頭の中で反芻していると、侍従が声をかけてきた。
「お目覚めですか、殿下」
「ああ、起きている。僕は一体……」
ベテラン侍従はやれやれと肩を竦めて僕を見て、
「王妃様が大層お怒りですよ」
とにっこり笑った。
身支度を整えて母上の部屋に急ぐ。今まで気を失っていた王太子を呼びつけるなんて、過保護な母上にしてはおかしいなと思った。部屋に入ってすぐに、僕は戦慄した。
「……来たわね、セドリック」
豪奢な椅子に腰かけて、こちらを一瞥した母上の視線は鋭かった。権謀術数に耐えてきた儚げな王妃ではなく、王宮を根城に魑魅魍魎を飼い馴らす魔王のようだった。
「遅くなりまして申し訳ございません」
「いいのよ、頭を打って気絶していたんですもの」
静かに語る母上ほど恐ろしいものはない。
「今度という今度は、あなたを見損なったわ、セドリック」
母上の表情が読めない。いつもの天真爛漫な笑顔を思い出し、今の母上との違いに僕は背筋が凍った。
「ハーリオン侯爵夫人ソフィアは私の親友なの。知っているでしょう?」
「はい」
僕は小さく返事をすることしかできない。
「私ね、ソフィアに手紙を書いたのよ」
「はい」
「うちのバカ息子があなたのお嬢さんに無体を働きました、お詫びのしようもございませんて」
「は、母上!?」
母上は椅子から立ち上がり、仁王立ちで僕の前に寄ると、顎に手をかけて僕を上向かせた。
「何かしら?侍従からの報告が違うとでも?マリナちゃんは髪もドレスも乱れて、泣いていたと言うじゃない。妃候補だからって、十二歳の女の子に手を出そうなんて。最低よ」
見下ろす視線は少なからず狂気じみていて、僕は奥歯が合わず震えだした。
マリナが泣いていた?僕が意識を失った後に?
「マリナちゃんは落ち着くまで王宮で預かることにしたわ。当然あなたは接近禁止。分かったわね、セドリック」
ピシャリと言い放つと、母上は侍従に言いつけて、僕を自室に閉じ込めた。




