355 悪役令嬢と有能な弟
「おかえりなさい!」
玄関ホールを走り抜けてきたクリストファーは、一番先に馬車から降りたジュリアに抱きついた。
「んーっ、クリスぅ。しばらく見ない間に、少し背が伸びたかな?」
顎の下まで伸びた癖のない銀髪をくしゃりと撫で、自分の背丈と比べる。頬を寄せて『すりすり』すると、クリスはくすぐったそうに目を細めた。
「うん、僕、大きくなったよ!明日になったらジュリア姉様より大きくなってるかも」
「ははっ、そりゃあいいや!」
「出迎えありがとう、クリス」
「マリア姉様!」
たたっ、と走り寄り、クリスは屈んだマリナの胸に飛び込む。
「ふふっ……マリナ姉様は、柔らかいなあ」
「ちょっと、クリス!どういう意味、それ?」
「……ジュリアが硬いってことでしょ。筋肉質だから」
後からやってきたエミリーがにやりと口の端を上げる。
「どうせ私は、マリナみたいに胸がないわよ!……あーあ、殿下が見たら、クリスに成り代わりたいって言うよ、きっと」
「……成り代わったら変態だから、それ」
「アリッサ姉様は?」
「まだ馬車から下りないの?」
「さあね。来る途中もぐずぐずしてたじゃん。レイ様に嫌われるーとか言っちゃって」
マクシミリアンにキスされたと、アリッサはレイモンドに告げた。事実を聞いた彼がその場にしばらくフリーズしたと、昨晩ボロボロに泣くアリッサから、三姉妹は聞かされていた。
「実家に帰ってきたから、気持ちをリセットできればいいのにね」
「……面倒くさ……ん?」
眉間に皺を寄せたエミリーは、ローブの袖を引かれて下を見た。
「エミリー姉様、魔法で遊ぼうよ」
六属性持ちの弟の『魔法遊び』は遊びではないよな、とエミリーはどっと疲れが押し寄せるのを感じた。
◆◆◆
「王女、さま?」
椅子に座って脚をぶらぶらさせているクリストファーは、ジュリアの提案に首を傾げた。ぱちぱちと瞬きを繰り返すアメジストの瞳も、さらりと流れた銀の髪も、女の子といっても通用する可憐さだ。
「うーんと小さい……赤ちゃんの時に会ったことがあるかもしれないね。クリスより一つ年下でさ、マリナのダーリンの妹なの」
「ダーリンて言わないで」
マリナがさっと頬を染めた。
「王太子殿下の、妹?」
「うんうん。金髪も青い瞳も、そっくりだよ」
「王女様と僕が、お友達になるの?」
「クリスには歳の近い友達がいないよね?アレックスと一緒に行って、王女様に会ってみたらどうかなあ?」
乗り気ではなさそうなクリストファーを説得するジュリアを、エミリーは白い目で見ている。アリッサは部屋に引きこもってべそをかいているため、ジュリアを止められるのは自分しかいない。
「……いい加減にして、ジュリア」
「何よ」
「アレックスの縁談を壊したいからって、弟を使うな」
「クリスに友達ができるんだし、いいじゃんか」
「クリスを連れて行っても、アレックスにブリジット様が降嫁なさるのは変わらないわ。ブリジット様にとって、クリスはこんなに可愛いから、女友達と同じにしか見えないと思うの」
マリナはクリスの頭を撫でた。銀髪に天使の輪ができている。
「マリナ姉様……僕、女の子じゃないよ!」
「だよねー。剣の練習もしてるんだもんね?」
満面の笑みでジュリアは弟を誇らしげに見る。
「将来は魔法騎士になるって決めたんだ!」
「……六属性持ちの魔法騎士か。最強だな」
「王女様が僕を、アレックスよりかっこいいって思ってくれたらいいんだよね?」
「おっ、クリス、やる気になったの?」
ジュリアが椅子から身を乗り出した。エミリーが窓を向いて溜息をつく。
「僕の方が絶対かっこいいよね?アレックスよりも!」
「……ん?」
動きを止めたジュリアの向こうで、エミリーが椅子の背を叩いて爆笑していた。
◆◆◆
「アリッサはどう?」
寝室から出てきたマリナに、ジュリアが問いかけた。
「まだぐずってるわ。キスの話を打ち明けられて、独占欲丸出しのレイモンドが気にしないはずはないものね。寮に戻るまで、碌に会話もできなかったらしいし」
「レイモンドも器の小さい男だなあ。キスしたくらいで」
「ジュリアは鋼の心臓だから……」
「っつーか、アリッサも言わなかったらよかったのにねえ。黙っときゃ、レイモンドも知らないでいたのに」
「アリッサがレイモンドに嘘をつけるかしら?レイ様に睨まれたら」
「レイモンド、怖すぎるからなあ。アレックスも怖がってたよ」
「アレックスにクリスを連れて行かせるつもりなの?エミリーは反対しているわよ。お父様がアスタシフォンで逮捕されて以来、ハーリオン家は王宮への出入りを制限されているのよ。邸の周りにも騎士がいたわ。私達の動向を探るために」
「勿論、気づいてたよ。私達が何かすると思ってるんだよ。馬車で出たらすぐに後を追われるね」
「こんな状況でクリスを外に出すのは、危険すぎると思うわ。いくらアレックスが一緒だとしても、ハーリオン家を陥れようとしている者からすれば、侯爵家の後継者を狙ういい機会だもの」
「マリナは反対なの?」
「反対よ。お父様とお母様がいない間に、クリスに万が一のことがあったら……。お母様が陛下の寵姫にならなかったおかげで、あの子は『とわばら』の物語とは関係なく生まれてきた子なの。私達が断罪されて死ぬのだとしても、あの子には幸せになる権利があるのよ」
「マリナ……私、軽い気持ちで、ブリジット様にクリスを会わせようって考えていたかもしれない。あの子もブリジット様も、『とわばら』の物語が予定通り進まなかったから生まれてきたんだよね。私達の破滅に巻き込んだらいけないんだ」
ジュリアはマリナの肩を叩いて項垂れた。
◆◆◆
「……いい加減にして」
中庭では、弟に引きずり出されたエミリーが、迷惑そうに眉間に皺を寄せていた。
「エミリー姉様!僕が目いっぱい魔法で撃つから、無効化してね!」
「……やだ。疲れた」
育ちざかりの弟は、五歳だというのにかなりの威力で魔法を放つ。闇魔法で全て無効化しているからいいものの、狙いが逸れれば邸が破壊されかねない。
「ええー?もっとやろうよ」
「クリス、いつの間に混合魔法ができるようになったの?」
「うーん……いつかなあ?エミリー姉様がやってるみたいに、闇と火とか、混ぜて撃てたらかっこいいなって思ったら、できたんだよ」
――思うだけでできたって、どれだけ能力高いんだ。
「……あ、そ」
「頑張ったんだよ?褒めて褒めて」
「……ヨクガンバッタネ」
「姉様、棒読みだよ?」
「今日は疲れたから、また明日にして」
弟の手を取り、部屋に戻ろうと促す。
クリスはまだ練習をしたいようで、体重をかけて手を引き、エミリーを庭に留めた。
「……姉様、あの人に会いたい?」
ドキン。
はっと弟を見る。クリスは天使の微笑だ。
「僕ね、遠見魔法が使えるようになったんだ。姉様が手伝ってくれたら、二人で王宮の中も見られると思うなあ」
――マシューを助けられる?
六属性持ちのクリスと二人なら、王宮の外側の魔法結界も、地下牢に張られた魔法結界も、突破して行けるかもしれない。でも、五歳の弟を危険な目に遭わせるのは……。
エミリーは自分がジュリアと同じことをしようとしていると気づき、何も言わずクリスをぎゅっと抱きしめた。




