38 悪役令嬢は子作りの話をされる
「お父様はお帰りにならないの?」
アリッサは母に尋ねた。
「今日図書館で借りた本にね、お父様にそっくりな挿絵を見つけたの。見せてあげようと思ったのに……」
「グランディア国の北、山岳地帯で大雨が降ったそうよ。川にかかる橋が流されて、行くことができない町がたくさんあるとか。うちの領地はそこより下流の平地だけれど、山からの水が大量に流れ込めば、洪水になるかもしれないって」
「王都は雨降ってないのに……」
「先に避難しておくのね」
「山岳地帯へは土属性と水属性が使える魔導士が派遣されていったって」
「コーノック先生も?」
「先生は風・土・水の三属性持ちだもの。真っ先に候補に挙がるわ」
だから魔法の授業はなしよ、と侯爵夫人は娘達に言った。エミリーが途端につまらなそうな顔をする。
「よぉーっし、アレックスん家にでも行こうっと!」
「魔法の授業があっても行くくせに」
「ジュリアちゃん、ちゃんと受けた方がいいのに」
「私、センスないんだもん。時間の無駄じゃん」
◆◆◆
「王宮から、使者が?」
侯爵夫人が確かめると、王太子の侍従が恭しく手紙を携えてきたところだった。
「夫は王宮へ参っておりますのに」
「はい。こちらは王太子殿下より、マリナ様へと」
「マリナに?」
「内々に相談なさりたいことがおありだそうで」
訝しげに使者を見たが、それ以上は話しそうにない。
「わかりましたわ。……マリナを呼んで」
「かしこまりました」
侍女が部屋を出てマリナを探しに行く。
侯爵夫人は頭を抱えた。王太子が頻繁にマリナを王宮に呼び寄せているのは知っている。だが、国内で災害が起こっているかもしれない時に、王太子が令嬢を侍らせ、呑気に茶会をしていると国民に知られたら……。
溜息をついていると、間もなくマリナが現れた。
「お呼びでしょうか、お母様」
「ああ、マリナ嬢。これを……」
焦った様子の侍従を見て、マリナは戸惑った。王太子とは一昨日も会ったばかりではなかったか。
封印がされてある手紙を受け取り、中を確認する。
「……はあ」
盛大に溜息をつき、侯爵夫人へ向き直ると、
「お母様、王宮へ参ってもよろしいでしょうか。国家に関わる一大事だそうですので」
「まあ。何もこのような時に……」
「私もそう思います。国王陛下をはじめ、名だたる貴族の皆様が王宮で頭を悩ませておいでですのに、殿下ときたら……」
ちらり、と侍従を見れば、彼はマリナと侯爵夫人のやり取りをはらはらした面持ちで見つめている。初老の紳士が情けなく涙ぐんでいるではないか。
「……お越し願えますでしょうか」
「はい。少しばかり身支度にお時間をいただきたいのですが」
それからマリナはじっくり時間をかけて、念入りに身支度をした。
◆◆◆
ハーリオン家の馬車が王宮に着くと、待ち構えていた王太子付きの侍従が走り寄ってきた。すぐに王太子の居室に案内される。今日は客間でも庭園でもないようだ。
「失礼いたしま……ぶっ」
ノックして中に声をかけた侍従の鼻が、勢いよく開いたドアで潰される。
「マリナ!」
きらきらした笑顔と無駄に華やかな美少年オーラを振りまき、王太子セドリックが飛び出してきた。マリナの白い手を取ると、腰に手を回して室内に招き入れる。
「殿下?」
「待っていたよ。手紙は読んでくれたかい?」
だから来たのに。何を言っているんだこのお坊ちゃんは。
「はい。国家を揺るがす火急の用件だとか」
「そうなんだ。これはね……」
一寸言葉を区切り、セドリックはマリナの瞳を見つめてきた。
「僕の治世に、とても大切なことだから」
「殿下の……」
マリナの入室後、セドリックは個人的な話を聞かれたくないと、使用人を部屋の外に追い出した。女装趣味の話でさえ、傍に侍女が控えていたのだから、それ以上に内密の話なのだ。
長椅子に座って話を聞くと、どうやら王太子の婚約者、王太子妃候補について、父王から話があったらしい。一夫一妻制のこの国では王妃は一人と決まっているが、王は事実上の側妃にあたる妾を持つことが許されている。王妃に子がなくとも妾腹の子を次代の王とする。そのため、王太子妃候補は一人ではなく複数名おり、筆頭の者が王太子妃に、二番手以降は王太子の妾となる。現王は王妃一筋のため妾は置かず、王の実子は今のところセドリックだけだ。尤も、王妃は懐妊中で、間もなく二人目の子が生まれる。
「父上は僕に、二人目の王太子妃候補を選べと仰せになった。具体的に何名か薦められて……」
「そうですか」
マリナは小さく相槌を打つ。
王太子妃候補が複数いるのは当たり前のことだ。何を驚く必要がある?冷静になれ。
「そうですか、って、マリナ!」
隣に座っているセドリックが押し倒しそうな勢いでマリナの肩を掴んだ。オフショルダーで肩が出ているデザインのドレスは、肩口についているボリュームのあるフリルが潰されている。手の熱が直に肌に伝わる。
「君は、それでいいの?僕が他の女の子と仲良く……その、こ、子供ができても」
言い淀んだところを見れば、セドリックは妾の意味を知っているようだ。白皙の美少年が頬を赤らめる様は愛らしい。
「殿下のお妃候補は私だけではありますが、次に選ばれるご令嬢が、候補の筆頭になる可能性もございますでしょう。その方と殿下の間にお子様がおできになれば、私は……」
私は別に妾にならなくてもいいですよね、とマリナは言いたかった。
……言いたかった、のだが。
セドリックはマリナを抱き寄せた。
「僕は君以外を妃に迎えるつもりはないよ。他の令嬢なんてどうでもいい。こ……子供は、頑張るつもりだから。もし、跡継ぎに恵まれなくても、僕の弟が……」
「ちょ、ちょっと待っ……」
耳元で子供は頑張るとか言うな!
耳まで赤くしながら何を口走っているんだこのボケ王子が!
「……好きだ、マリナ。他の子なんて要らない。僕がドキドキするのは君だけだよ」
変声期特有の少し掠れた声で吐息たっぷりに囁かれ、マリナはどこかが痺れた。身体が動かない。少し腕を緩めて視線を合わせてきたセドリックには、青い瞳の奥に標的を狙う獣のような何かがあり、マリナは小さく息を呑んだ。攻略対象キャラの色気に当てられて呼吸もままならない。
視線を合わせたまま、セドリックの指が下ろした銀髪を撫で、頬を撫でた。表情が切なそうなものに変わったかと思うと、すぐに唇を塞がれた。
「ん……!」
柔らかな感触がすぐに湿り気を帯び、唇に感じたセドリックの舌にディープキスされそうな予感がして、マリナは夢中で彼の胸を押した。
「ダメぇっ!」
ガツ、ドサッ。
物音に驚いて数名の使用人が飛び込んでくる。
「殿下!」
長椅子の肘置きに頭をぶつけ、テーブルの脇に転がっている王太子を抱き起こした侍従は、椅子に佇む侯爵令嬢を見た。水色のドレスは胸元が見えそうなほど肩口が大きく下がり、長い銀髪は所々乱れており、紫の瞳は涙目、耳まで真っ赤になりながらハアハアと荒く息を吐いている。
何かを察したベテラン侍従は、その場にいた何名かに指示を出し、侍女の一人がマリナの肩に膝掛けを羽織らせ別室へ案内した。
レビューとブクマと評価をいただき感謝しております。
引き続き頑張ります。




