351 悪役令嬢は解決策を提案される
マクシミリアンに腕を引かれたまま、アリッサは中庭を歩いていた。歩幅が狭いアリッサを気遣う様子もなくどんどん歩いていく彼に、小走りでついていくしかない。
「アリッサさん」
「は、はい」
まだ、彼は『穏やかなマックス先輩』のようだ。怒らせないようにして、寮の傍まで行ったら逃げればいい。アリッサはそっと様子を窺った。
「あなたと話ができればいいと、この数日思っていました」
「……はい」
――話すことなんてないのに。パーティーであんなこと……。
執拗な口づけの記憶が何度もフラッシュバックし、アリッサはこのところ悩んでいた。原因は全てこの男にある。
「ハーリオン侯爵とハロルドさんが捕まっているのは、どうやら本当です」
「……そうですか」
「私の実家は貿易会社をしていますから、アスタシフォンとの関係には常に気を配っているんです。グランディア側が原因で何かあれば、忽ち商売にも影響が出ます」
「はあ……すみません」
よく分からないが、謝っておくのが無難だろうと、アリッサは謝罪の言葉を口にした。
「どうして謝るのですか?あなたに非はないでしょう」
「……はい。おと……父も、義兄も、悪いことはしていないと思っています。でも、グランディアの貿易船が悪事を働いたと風評が広がれば、先輩のご実家の貿易会社が損害を被ることがあるかもしれません」
「ええ。ですから、私も困っているのです」
受けた損害の代わりに何を要求されるのだろうか。アリッサは恐怖で涙が出そうだった。
「事態を打開しないことには、私も安心して学院に通えません。問題を解決するために、どうすればいいのか考えまして」
「問題を、解決……?」
マクシミリアンは薄い唇を微かに上げた。
「調べたところによると、夫と息子の無実の証拠を持って出国した侯爵夫人は、何らかの理由でアスタシフォンに足止めされているようです」
「無実の証拠があるんですか?」
「恐らくあなたの母上がお持ちですよ。アスタシフォンに行って証拠を持ち帰れば、国王陛下や宰相閣下も、無実のハーリオン侯爵を助けに動く……私はそう考えています」
「陛下が、お父様を……」
国王と宰相がこちらの味方になれば全てが解決する。マリナは王太子妃候補に戻るだろうし、アレックスとジュリアの婚約は白紙に戻されずに王女降嫁の話も立ち消えになるだろう。マシューが逮捕されているのも、どうにかできるかもしれない。勿論、宰相は息子とハーリオン侯爵令嬢の婚約継続を望むだろう。
「侯爵夫人から無実の証拠をお預かりしようかと思いましたが、そんな大事なものをどこの馬の骨ともわからない平民の私に渡してくださるとも思えず……」
残念そうに視線を逸らし、マクシミリアンは弱々しく頭を振る。狼狽えているアリッサの両腕を掴み、抑揚のない声で続けた。
「ですが、娘のあなたになら、信頼して預けてくださるのではと思うのです」
「私に?」
「ビルクールは騎士団があちこち嗅ぎまわっています。ハーリオン家の馬車で乗り付け、ビルクール海運の船でアスタシフォンに向かえば、すぐに王宮に連絡が行き、途中で捕まってしまうかもしれません。あなたには、当家の馬車に乗り……ベイルズ商会所有の船で、アスタシフォンのロディス港へ行っていただきたい。勿論、誰にも内緒で。姉妹の口から洩れる恐れもあります」
「……私、そんな、外国は……」
怯えた瞳で見上げると、マクシミリアンは冷たい視線でアリッサを見下ろした。
「あなたならアスタシフォン語もできるでしょう?」
「あ、はい……それなりには」
でも、と戸惑い俯いたアリッサの耳に、
「お前に、拒否権なんてないだろう?」
とマクシミリアンはそっと囁いた。
◆◆◆
――どうしよう。誰にも相談できないなんて。
アリッサは隣を歩くマクシミリアンに何も言えず、ただおろおろするばかりだった。アスタシフォンに行くと、この場で決められればいいのだが、マリナ達に相談もなしに決められない。相談することもできないのだから、自分で決めるしかない。
――決められないよぉ……。
アスタシフォンへの渡航手段を持つマクシミリアンからの申し出はありがたいとは思う。彼が言うように、国王を動かす切り札を母が持っているのなら、預かってグランディアに持ち帰れば全てが解決する。弱虫で皆に迷惑ばかりかけている自分が、恩返しをする番なのではないか。
「マックス先輩……あの……」
「アリッサ!」
背後から不意に声がした。振り返れば、緑色のチェスターコートを風にはためかせて、レイモンドが走ってくるのが見えた。
「……マックス、これはどういうことだ?」
二人に追いつくなり、レイモンドはアリッサの隣に立つ男を睨んだ。眼鏡の奥の緑の瞳は、嫉妬でギラギラと輝いている。
「寒い中で待ちぼうけさせる方が、よっぽど罪だと思いますが」
「職員室でつかまってな……」
「それならそうと、誰かに言づければよろしいでしょうに」
抑揚のない声で言うマクシミリアンに、レイモンドはかなり苛立っていた。
「俺とすれ違ったのはお前だろう。少し遅れると言ってくれと頼んだつもりだったが?」
「おや、そうでしたか。私も急いでおりましたので、気づきませんでした」
「フン。白々しい。俺が遅れると知って、早々にアリッサを攫いに行ったんだろう?」
「攫うなどと……怖い言い方をされますね、副会長。私達は世間話をしていただけですよ。……ね、アリッサさん?」
「え……は、はい……」
レイモンドは二人を訝しんでいた。アリッサの手を取り、自分の方に抱き寄せる。
「俺がアリッサを送っていく。二人で話したいことがあるから、先に行ってくれ、マックス」
有無を言わせない口調に、マクシミリアンは軽く肩を竦めると、二人に礼をして立ち去った。
「レイ様、ご用事が早く終わってよか……」
「君はマックスとどういう関係なんだ?」
「……え?」
「銀雪祭の夜、君がマックスにエスコートされていたと、クラスメイトから聞いたんだ。俺を助けに来るまでの間、君はどこで何をしていた?フローラは俺を罠にかけていたし、マリナはサロンにいたようだ。君は……マックスと一緒だったのか?」
「……っ!」
アリッサの呼吸が止まった。昏い輝きを宿す緑の瞳に見据えられ、瞬き一つできない。
――レイ様に、知られてしまった……!
絶望が一気に押し寄せて、アリッサは目の前が歪んでいくのを感じた。




