348 悪役令嬢は薔薇園に誘う
「……何が言いたいのよ」
銀雪祭のパーティーの翌日から、キースはエミリーの顔を見る度に、泣きそうな顔で溜息をつくようになった。直接何か言ってくることもなく、ただこちらを見つめている。エミリーは普段、マシューという感情の読めない男を相手にしているが、それよりはるかに分かりやすいはずなのに、キースの気持ちが理解できない。イライラして、エミリーはとうとう彼の机の前に立って顔を覗きこんだ。
「別に……何でもありません」
視線を逸らしたキースは、エミリーの人形のような顔を至近距離で見て、胸の鼓動が速まるのを感じた。見つめるなんてできない。
「何でもなかったら、泣きべそかいて溜息なんかつかないわ」
「自分に呆れているんです。エミリーさんが僕を友人としか思っていないと知っていたのに、あんな無謀な……」
「……反省?」
「ええ。反省しています。偽の婚約をしようとしたりして、本当に申し訳なかったと。ですから……」
「そう」
「……え?」
机の下で手をもぞもぞさせていたキースは、素っ気ないエミリーの返事にはっと顔を上げた。
「反省したなら、いいわ」
「いいんですか!?」
「私も悪かったわ。事前にあなたに相談しないで、魔導師団長……おじい様に話したりして」
「驚きましたけど、僕は……エミリーさんらしいなと思いました」
「私らしい?」
「自分の気持ちに嘘がつけなかったんですよね。真っ直ぐで、……僕には眩しいくらいに」
「キースの光魔法球のほうが眩しい」
「あ、そうですか?」
困ったように眉を下げたキースは、席に戻ろうとするエミリーの後ろで、そうじゃないんだよなあと愚痴をこぼした。
◆◆◆
人目を気にせずに話ができる場所……とジュリアがレナードを連れてきたのは、背の高い木々が生い茂る中庭の一角だった。一本の木を背にして、ジュリアはレナードに向き直った。
――薔薇園とは違うし、誰かに見られても変な勘繰りはされないよね?
「レナード、ここで話そうか」
「うん。……男子寮に来て、アレックスじゃなく俺を呼び出すなんて、何の用かな?」
明るい青の大きな瞳が優しく細められる。この人たらしの笑顔に、ビヴァリーも騙されたに違いない。
「婚約のことなんだけど」
ジュリアは単刀直入に切り出した。回りくどいのは嫌いだ。レナードならズバリ聞いても答えてくれそうな気がしたのだ。
「誰の?」
「私達の」
「ジュリアちゃんはアレックスと婚約しているんだよね?」
「うん。少なくとも、アレックスも私もそう思ってた」
「思ってた?ってことは、過去形なのかな。いよいよ僕にもチャンスが巡ってきた?」
いつもの調子でおどけて見せる。知らないふりをしているのか、本当に知らないのか。とんだくわせ者だ。調子が狂う。
「何か知ってるんでしょ、レナード。さっき、学院の廊下で……ある人が話してるのを聞いたの。レナードと私が婚約間近だって」
「ふうん。そうなんだ?俺はまだその噂、聞いたことなかったよ?」
「噂……」
「俺達、普通の友達より仲がいいからさ。噂になるのも仕方ないよ」
「単なる噂なんかじゃなくて、その人はね、本当のことみたいに言ってて……」
ザザッ……。
強風に木の葉が揺れた。微かに漂うバラの香りに、ジュリアは酷く狼狽した。
――ここ、薔薇園の外れだったんだ!
『とわばら』でイベントが起こるのは薔薇園なら、『とわばら2』も恐らくは同じはずだ。レナードは攻略対象で……この状況は非常にまずい。何か知らないイベントへつながる扉をこじ開けてしまった気がする。
「そっか。……なら、ご期待に応えて、本当に婚約しよっか?」
背後の木に肘をつき、レナードはジュリアに顔を近づけた。
「はは……レナード、冗談でしょ?」
――って躱せたらいいな。……わあ、レナードの目が本気なんだけど……。
前世から通算の恋愛経験値が低いジュリアでも、今の彼が危険だと分かる。指先が頬に触れ、唇に視線がロックオンしている。一周回って、ジュリアは冷静にレナードを観察した。
「俺は、いつだって本気だよ?ねえ、……どうしたら俺の気持ちを分かってくれる?」
――睫毛長いな、唇の形も綺麗……って、ガン見してる場合じゃない!
「分かるとか、分かんないとか、考えたことないし」
近すぎる距離を離そうと、ジュリアはレナードの胸を押した。が、鍛えられた身体はびくともしない。体幹を鍛えていると言っていたのは嘘ではなかったらしい。
「考えてよ。……アレックスじゃなく、俺のことだけ考えてほしいな」
少し掠れた囁き声がジュリアの頭を痺れさせる。
「ねえ……ダメかな?」
「……っと、ね……」
――こういう時、どうしたらいいの?
「はっ!」
「えっ!?」
ジュリアはその場でさっと膝を曲げた。勢い余って木の根元に座り込んでしまう。視界からジュリアが消えてレナードは驚きの声を上げた。
「全く……ジュリアちゃんは……」
レナードはやれやれと肩を竦め、敷石に膝をついてジュリアに視線を合わせた。背後の木に手を伸ばし、ジュリアを完全に囲い込んだ。
「レ、レナード、ちょい、待っ」
「待たない」
止めようと伸ばした手を簡単に掴まれて、頭の上にがっちり固定される。
「キスでもしたら……俺のことしか考えられなくなるよね?」
「だ、ダメ、私、浮気は嫌いっ……」
顔を傾けて、蕩けるような視線を絡めてくる。
――もう、絶体絶命だっ……!
ジュリアは身を硬くして、ぎゅっと目を瞑った。




