347 悪役令嬢は褒められて喜ぶ
「只今戻りましてございます、旦那様」
「おお、どうだった?レイモンドの様子は」
オードファン公爵邸の奥、公爵の書斎に現れた男は、ぼさぼさの茶色い髪を後ろに束ね、主人と目が合うとにやりと微笑んだ。
「ええ、それはそれは、メロメロですよ」
「やはりな。アリッサとの婚約は、あいつが望んだ縁組だからな」
公爵は腕組みをして、ふう、と息を吐いた。
「騎士団が各地に散らばり、ハーリオン侯爵領を調べている。まだ具体的に何か証拠が出たわけではないが、ボロが出るのも時間の問題だろう。アーネストは私の幼馴染で、悪事を働くような男ではないと思っている。しかし……異国で捕まるような犯罪を犯した以上、オードファン家としては、彼の娘との婚姻は避けねばならん」
「レイモンド様はお気持ちを変えないと思いますがね……俺に説得できるとお思いですか」
「歳が近いお前ならあるいは、と思わんでもない」
「全然だめですよ。俺なんか、何を言っても坊ちゃんに信用してもらえないクチですからね。今日だって、アリッサ様を可愛いって褒めただけなのに、本気で牙をむくんですよ」
「ほう……」
「旦那様?」
「お前は彼女……アリッサ・ハーリオンをどう思う?」
「どうって……ちょっと頼りないご令嬢、ですかね?坊ちゃんとよく難しい本の話をしてましたが」
「聡明で可愛らしい令嬢だろう?」
「まあ、そうですね。俺の周りにはいないタイプだな」
公爵はゆっくりと笑みを深めた。
「そうだろう、そうだろう。彼女はなかなかいない、魅力的な令嬢だ。お前が夢中になっても仕方があるまいな」
「えっ……?何をおっしゃっているんですか、旦那様?」
「レイモンドがアリッサを手放さないというのなら、別の策で行く」
「ギーノ伯爵令嬢との縁組をお考えになるんですか?当家からすればかなり格下ではありますが、悪くはないかと」
「いずれはそれも考えておこう。……俺が言いたいのは、アリッサの方から別れを切り出させる方法だ」
「アリッサ様は坊ちゃんしか目に入りませんよ?」
「入るようにしてやればいい。誰か、適当な男を見繕って宛てがえ。都合がいい者がいなければ、お前が誘惑するんだ」
「へぇえ?俺が、ですか?」
驚いた執事見習いは、自分の顔を指さして固まっている。
「やらなければ、辺境の狩猟小屋の番人にするぞ」
「旦那様まで坊ちゃんみたいなこと言わないでくださいよぉ……」
エイブラハムは頭をかかえ、広い背中を丸めて項垂れた。
◆◆◆
校舎の前で、怪しい風貌の長身の男がうろうろしている。
「アリッサ、変な男がいるわ。一度教室にもどりましょう?」
鋭く視線を走らせたマリナは、誰かを探しているような彼の様子を注意深く観察した。
「あれは……レイ様の執事なの」
「レイモンドの?」
「名前は、確か、エイブラハムっていってね。レイ様が危険な目に遭わないようにって、公爵様が送って寄越した護衛なの」
「寮には決められた数の使用人しか連れて来られないはずよ?」
「うん。だからね、今だけ特別らしいの。……フローラちゃんの一件で、ね?」
フローラの名を耳にし、マリナの顔が曇った。アリッサが悲しげに微笑む。
「あ、アリッサ様!お待ちしておりました」
エイブラハムは恭しく礼をした。マリナはどうしたらいいか分からない。アリッサは執事と言ったが、ぼさぼさの髪を後ろでちょいっと結っているのも、剃りきれていない無精ひげも、着崩した燕尾服も洗練されていない。どう見ても公爵家の使用人らしくない。妙にがっしりした肩や腕が、余計にそう感じさせる。
「レイ様は?」
「そろそろ出てくると思って待ってるんですよ。あんまり遅いようなら、俺がアリッサ様を送っていきますよ。夜道は暗いですから」
「え……マリ……姉も一緒なので、結構です」
「遠慮なさらず。レイモンド坊ちゃんも、可愛い恋人に怖い思いをさせくないと思うでしょう」
ゴリゴリ押してくるエイブラハムを見て、マリナが苦笑している。
「私、先に帰っているわね。アリッサはレイモンドとデートしてくるのでしょう?」
「うん。ごめんね、マリナちゃん」
◆◆◆
マリナが寮の近くへさしかかった時、向こうからアレックスが走ってくるのが見えた。かなり焦っているように見える。
「アレックス、どうかしたの?セドリック様に何か?」
「ああ、マリナ。ジュリアを見なかったか?」
「ジュリアは見ていないわ」
「そっか…・・。実はさ、レナードを呼び出して、どっか行ったみたいなんだよな。マリナは外周を抜けてきたんだろう?」
「そうよ。アリッサはレイモンドと一緒に中庭に行ったわ。もしかして、あっ!」
「何だよ」
「レナードとジュリアも中庭を通っているかもしれないわよ」
アドバイスを受けて、アレックスは大きく頷いた。
「ありがとうマリナ。やっぱお前は妹のことをよく分かってるな」
褒められて嬉しい。マリナは気をよくしてアレックスに笑いかけた。
2018.2.17 誤記修正




