342 悪役令嬢は想い出を所望する
あれからどれくらいの時間が経ったのか。
考え事をしてもまとまらず、何もする気が起きないで立ち尽くしていたら、すっかり身体が冷えてしまった。校舎の中でも夜の廊下は底冷えがする。照明が少なく薄暗いのも理由だろうか。
マリナはもと来た道を引き返し、講堂に戻ろうとした。
「戻っても、セドリック様は……」
妹達が出て行ったと聞かされてサロンを出た時、講堂にはセドリックの姿はなかった。きっとアレックスと一緒なのだろう。ジュリアが一人でエミリーを探しに来たのなら、彼は彼で別の用があった、つまりセドリックの傍につく必要があったということだろう。
「私だけ……か」
『命の時計』の魔法がかけられているからといっても、マリナにはどこか割り切れない気持ちがあった。皆はセドリックと共にレイモンドの窮地を救ったのだろう。セドリックの傍に寄れない自分だけが、仲間の輪から取り残されたように思えた。
「帰ろう……」
講堂に戻っても、賑やかな令嬢達の相手をすることになる。正直疲れた。
項垂れてふらふらと廊下を進んでいくと、職員室から明かりが漏れていた。パーティーに出ない教師達がまだ残っているのだろう。
「あ……」
明るい部屋から出てきた人影に、マリナは声を漏らさずにはいられなかった。
金色の髪、海の色の瞳。銀糸で刺繍がされた白い衣装に、クラヴァットをアメジストの飾りで留めたセドリックは、廊下の向こうにマリナを見つけた。距離を置こうと、すぐに早足で歩き去ろうとする。
「待って!」
咄嗟に叫んだ声が廊下に響いた。
何故呼び止めたのか、マリナは自分でも分からなかった。ただ、何かが彼女の中でもう限界に達していた。
「来たらいけない!戻るんだ」
振り向かずにセドリックが言う。マリナの足音が近づいても、握りこぶしを作って前に進んだ。
ドン!
背中に衝撃が走り、小さな呻き声が聞こえたかと思うと、ドサリと倒れる音がした。
セドリックはすぐに声の主――マリナに走り寄り、倒れそうな身体を抱き留めた。
「馬鹿なことを……!命が縮まるとあれほど……」
「お願いです、セドリック様……私に、銀雪祭の想い出をください」
――たとえ、二人にとって最後の想い出になっても。
青い瞳が細められ、マリナの大好きな笑顔が目の前にある。『命の時計』の魔法を編み出した魔導士が、愛する人の傍で死にたいと願った気持ちが、今なら分かる。彼の腕の中は温かく、最高に幸せな場所だ。胸が苦しいことも忘れてしまいそうだ。
「マリナ……僕は必ず、君の魔法を解いてみせる。だから、何があっても信じてほしい」
セドリックの顔が近づき、マリナは不安に揺れる瞳を見つめた。
「……何が、あっても?」
「うん。僕の前からいなくならないと約束して」
――いなくなる?それは、多分……。
彼は自分の死の予感に震えているのだ。マリナは体温を移すように、セドリックの胸にしがみついた。
「君がいなくなったら、きっと僕の心は死んでしまうよ。僕は……君以外の誰も、愛したいと思わないから」
見つめ合うと、銀髪を繊細な指が撫で、優しく触れるだけのキスが降ってくる。
「……おやすみ」
セドリックは悲しげに微笑んで、マリナの身体を壁に凭れさせた。
階段へ向かってこちらを振り返らずに歩いていく彼の背中に、マリナは胸を押さえて呟いた。
「……おやすみなさい、セドリック様」
静まり返った廊下に、職員室の話し声だけが聞こえる。黒一色だった窓の外には、いつしか雪がちらつき始めていた。
◆◆◆
校内の更衣室でドレスから制服に着替え、校舎の中央棟入口でジュリアはアレックスと合流した。終わったらすぐにドレスを脱ぎたがるジュリアお嬢様のために、リリーとアビーが更衣室に待機していてくれたのだ。ドレスは今晩、学院に置いておき、後でロイドとコーディが取りに来ることになっている。
「早かったな。もっと時間がかかると思ってたのに」
「ドレスは着るのが大変なの。脱ぐのはそうでもないよ?」
「ふーん。……お前もコルセット?とかやるのか。ぎゅうぎゅう締めるやつ」
「一応ね」
「うちの母上は具合が悪くなるから嫌だって言ってたぞ」
「私だってやだよ。でもさあ、あれやらないと、寄せて上げらんないってリリーが言うからさ」
「寄せて……」
ジュリアの胸元に視線を走らせたアレックスは、さっと遠くを見た。じっと見たら殴られそうな予感がしたのだ。
「今日のドレス、割と大人っぽい感じだったし?子供みたいに寸胴じゃちょっとね」
「あ、ああ……」
目が泳いでいるアレックスの手を引き、ジュリアは外へと踏み出した。
「うわあ、降ってきたね」
「銀雪祭は雪が降るって、本当だな」
くるりと振り返り、口を開けて空を見上げているアレックスの口を塞ぐ。
「ん?」
白い手をアレックスのごつごつした指が掴む。目が合って、どちらからともなく笑いあう。
「ねえねえ、銀雪祭を一緒に過ごすのって、初めてじゃない?」
「そうか?……毎年家族で過ごしてたもんな」
「家族でパーティーするのも楽しいけど、いつか、アレックスと二人で過ごせたらいいなって思ってたんだ。今日、それが叶って、嬉しいっ!」
雪の中に走り出し、少し先まで行って空に向かって手を振る。
「ありがとう!」
「誰に向かって言ってんだ?」
「サンタさん」
「だから、誰だよそいつ」
「えーとね、赤い服きて白い髭を生やした、そりに乗ってるおじいさん?」
「御者じゃなく?」
「違うよ。まあいいじゃん。……あ、そだ」
ジュリアはコートのポケットをまさぐる。
「確か、ここに入れた……あった!」
取り出したのは銀製のペンダントだ。チェーンの部分を広げて、アレックスの頭に載せる。
「……後ろ、取んなきゃ入らねえだろ」
「真っ暗で見えないもん」
「仕方ねえな」
照れ隠しに面倒くさそうな顔をして、アレックスはチェーンの後ろの金具を外す。自分でつけるでもなく、そのままジュリアに渡し、
「つけて」
と、少し背を屈めて頬を染める。
――首に手を回してつけろってことかな?
ペンダントのチェーンの両端を持ってアレックスの首を抱くように腕を回した。
「あっ……」
背中を力強い腕が抱き込み、もう一方の手がポニーテールを結った後頭部を押さえた。金の瞳に覗きこまれ、もう視線を逸らせない。
「……」
「……」
「……あ、えと」
「……?」
アレックスは硬直していた。抱きしめるまではよかったが、いきなりキスをしてもいいものか、ジュリアに許可を取るべきか、彼の中で脳内会議が盛んに行われていた。
「ジュリア……あのさ」
「アレックス、キスしていい?」
「はっ?」
答える間もなく、ジュリアはペンダントの金具を留めた手で彼の首を抱きしめ、驚いて半開きになった唇にキスをした。
「あれ?……違った?」
「……違ってない。ああ、くそ!俺って意気地なし!」
頭を抱えて絶叫したアレックスは、寮に着くまでの間、ジュリアに散々弄られたのだった。




