338 王太子は不本意なダンスを踊る
【セドリック視点】
――お話は、ダンスの時に。
アイリーンは何を知っているのだろう。
僕を狙った犯人なのだろうか。犯人でないとすれば、『命の時計』の魔法がマリナを蝕んでいるとどこで知ったのか。
「話してもらうぞ」
何食わぬ顔でステップを踏み、アイリーンは僕と目を合わせない。
「……聞いているのか?」
ちらりとこちらを見て、勿体ぶった様子で大きな瞳を細める。
「まあ、怖いお顔」
「君がやったのか。『命の時計』は光属性の魔法だと聞いた」
「……さあ、どうかしら」
うふふと笑うアイリーンは、僕の質問にゆっくりと答える。時間稼ぎをしているのか。
「治癒魔導士でもなければ、『命の時計』について知らないはずだろう?マリナが魔法にかかったと、どうして君が知っているんだ」
「コーノック先生とエミリーが話しているのを聞いたのよ」
用心深い二人が、アイリーンに聞かれる場所で『命の時計』の話をするだろうか。
「どこで聞いた?」
「どこだっていいでしょう?……私が知っていても、全国民が知っていても、そう変わりはないわ。『命の時計』に誰も手出しはできない。マリナ・ハーリオンはあなたの傍にいれば死ぬ。そうでしょう?殿下」
「死なない。マリナは……死なせない!」
「魔法を解く方法も分からないのに?」
アイリーンは再び笑い声を上げた。フロアに流れる音楽が遠くに聞こえ、高い声がやけに耳につく。生徒達は僕達が仲良く談笑しているように思うだろう。悔しくて仕方がない。
「図書館から『命の時計』にまつわる資料が盗まれたんですってね。僅かな手がかりも失われて、術式も……っ!」
ぺらぺらと悪い情報ばかりを並べるアイリーンに嫌気がさし、ステップを踏むふりをして僕は彼女を振り回した。
「酷いエスコートですこと」
「図書館から資料が盗まれたと知っているのは、ほんの一握りの人間だけだ。王宮でも箝口令が敷かれた機密情報を……知っている君は、犯人側から聞いたのか」
「殿下は何があっても私を犯人か、犯人の一味に仕立てたいのね」
「何の目的か知らないが、君はマリナ達を憎み、僕やレイモンドを自分の虜にしようとしている。狙いは……国王の権力なのか?」
◆◆◆
僕の問いに答えないまま、アイリーンはしばらく踊り続けた。曲が終わり、手を離そうとすると、
「取引いたしましょう?殿下」
とわざと消え入るような声で言い、僕の腕を引きとめた。
「取引?」
「条件をお知りになりたければ、次の曲も私と踊ってくださいね」
二曲目もアイリーンを相手に踊ったとなれば、マリナとの約束を違えることになる。だが、もしかしたら『命の時計』の解呪につながる何かを手に入れられるかもしれない。アイリーンは犯人側の人間で、盗まれた資料のありかを知っている可能性もある。
「……分かった。早く話してもらおうか」
二曲目を踊り、三曲目に入っても、アイリーンは口を開かなかった。
「いい加減にしろ。さっさと条件を……」
痺れを切らして睨む。
「まあ、そんなに熱い視線を向けられて、照れますわ」
「……っ!」
「殿下からいただきたいものがいくつかあります。全て私にくださったら、魔法を解く手がかりを教えて差し上げます」
「勿体ぶるな。……欲しいものとは、何だ?」
何度かくるくると回りながら、アイリーンはどう切り出そうか考えているようだった。
「一つは、青い……サファイアがついた髪飾りを」
「髪飾り?」
「ただの髪飾りではなくて、マリナ・ハーリオンがつけていた、殿下からの贈り物を」
「あれはマリナのものだ」
「同じものを私にくださいな」
マリナのために作らせたあれを、憎いこの女に渡す?髪飾り一つでマリナの魔法が解けるのなら安いものだ。
「髪飾りと、……もう一つだけ」
「何だ」
「あなたの妃候補……いいえ、王妃の座を」
ゾクリ。禍々しい微笑に身体が震えた。
「……だ、男爵令嬢では、妃になれないっ」
「それでも、ですわ。妃候補がいなくなって他の令嬢が選ばれる前に、殿下が自ら望まれて私を候補に据えるのです」
「他の条件では、ダメなのか」
「ええ。これだけは譲れません。発表するのは……新年のパーティーでも構いませんわ。それまでどうぞ、時間をかけてお考えになって」
頭の中がぐちゃぐちゃになって、気づけば僕はアイリーンに引きずられるようにステップを踏んでいた。曲が終わって彼女が何か言っていたが、全く耳に入らない。
――アイリーンを……妃に?
マリナを『命の時計』の魔法から救うには、本当にそれしかないのか?
サファイアの髪飾りと未来の王妃の座……マリナ以外に受け取るべき人はいないのに。
「殿下!しっかりなさってください!」
走り寄ってくる二つの足音にはっとした。アイリーンは足音のする方に視線をやり、令嬢らしくない舌打ちをしてその場から走り去った。
アレックスが倒れそうな僕を支え、ジュリアが僕の顔色を確かめる。
マリナによく似た、アメジストの瞳と銀の髪だ。
「……ごめん」
「謝らないでください、殿下。またあの女が魅了しようと?あいつ、部屋がどうとか言ってましたけど」
「違うよ、アレックス。ぼんやりしていたのは、僕個人の問題なんだ。大丈夫だ、離れて……」
「真っ青な顔で、何を強がっているんですか。アレックス、殿下をどこかで休ませよう」
「ああ。んー、休憩室は生徒でいっぱいだな。殿下がゆっくり休めるところ……どっかないか?」
「相談室は?確か、長椅子があったと思うよ」
「いいな。よし、殿下、俺に掴まってください」
「恥ずかしいよ」
「肩を貸されるのと抱きかかえられるのとどちらがいいですか」
「……肩でいい」
「なーんだ。アレックスが殿下をお姫様抱っこするとこ、ちょっと見たかったのに」
残念そうに呟くジュリアをアレックスが小突いた。いつもと変わらない彼らに、僕は少しだけ安堵した。
◆◆◆
「相談室は休憩サロンにはなっていないのかな」
「多分、そうだったと思いますよ」
「講堂から遠いし、足が痛くなって歩いて来られる距離じゃないもんね」
「僕は足が痛いわけではなくて、……もういいよ、アレックス。自分で歩ける」
筋肉質な肩に回していた腕を下ろし、僕は二人と共に相談室へ向かった。
「無理に付き合わなくてもいいんだよ。二人は踊るのが好きでしょう?」
「どっちかっつーと好きですよ?それよりか、殿下の方が大事だなって思って」
「私も。だって、酷い顔してますよ、殿下。この世の終わりみたいな」
この世の終わりか。
ジュリアの言うことも尤もだ。愛するマリナを妃にできないばかりか、彼女を裏切る形でアイリーンを妃にしなければならないなんて。この世の終わり以外の何物でもない。王位に就いたら、さっさとレイモンドを後継者に指名して引退してしまおうか。アイリーンが権力を握る前に。
――そう言えば、レイモンドはどこに?
「アレックス、ジュリア。……レイを見なかったか?」
「レイモンドさん……そういや、見てないな」
「私達、パーティーの始まった頃はサロンにいたんです。踊りに出た時、アリッサも姿が見えなかった気がしたけど……二人でどっか行ったのかな?」
「待ち合わせ場所にアリッサを迎えに行くと言って、僕と別れて校舎に戻ったんだ。待ち合わせ場所がどこかは知らないよ。それにしても遅すぎると思わないかい」
話しながら歩いていると、相談室の前に着いてしまった。
「……あれ、鍵かかってない?」
ドアを開けようとしたジュリアが首を傾げた。アレックスが代わりにドアを押したり引いたりしても開く気配がない。
「おっかしいな……ここ、誰でも使えるように鍵なんかかけないんだろ?」
ドスン!
中から物音がした。
「今の……」
「誰かいるのか!?」
アレックスの声に、中の人物が反応した。
「開けてくれ、アレックス!それから、エミリーかキースを連れてきてくれ!」
「レイモンドさん!?」
「アレックス、エミリーは私が探してくる。殿下を頼む」
「任せろ!……レイモンドさん、ドアから離れててくださいよぉっ!」
ダン!ダン!ダン!……メキメキメキ……。
アレックスの体当たりで蝶番が外れて、相談室のドアが傾きながら開いた。
「レイ!無事か!」
「セドリック!?来るな!魔法陣だ!」
室内に飛び込んだ僕は、目の前の光景に絶句した。
魔法陣の真ん中で手足を大きく広げたレイモンドと、裸の胸に縋りつく薄緑色のドレスの主に。




