337 悪役令嬢は真っ黒に笑う
11章修正しています。
ダンスが始まって、何曲終わったのだろう。時間が許す限り音楽が流れていて、曲が始まると踊り始める者もいる。
「あの……私、戻ります」
アリッサはマクシミリアンに手を取られたまま、解くこともできずに壁際に立っていた。
「まだ副会長は会場に来ていませんよ?待っていなくては」
「レイ様はきっと待ち合わせの場所に……」
「戻るのですか?あなたが一人で?」
マクシミリアンは目を細めた。飄々と話す彼は、アリッサが戻れるとは思っていない。校内で迷うのを期待しているようにも見える。
「……っ」
――戻れない。でも、レイ様が来ていないってことは……。
「会長はアイリーン・シェリンズ嬢をエスコートして会場に入ってから、ずっと彼女とダンスを踊っていますね。ああ見えて……意外と気が合うのかもしれない」
「違います!……王太子殿下は、マリナちゃんのっ……」
「このところお二人が一緒にいる場面を見たことがありませんが、実は仲違いをしているのでは?マリナさんが王太子妃候補から外れたという噂も、出鱈目なように思えて、案外本当なのか……」
マクシミリアンの灰色の瞳が熱を帯びた。瞬き一つせずにアリッサを視界に捉え、一歩近づいた。
「私は社交界の噂には詳しくありませんが、あなた方……ハーリオン家に逆風が吹いているらしいとは知っています。ハーリオン侯爵夫妻、三年生のハロルドさんも、どこかへ出かけていて王都に戻らず、その間に国王陛下は王太子妃候補からマリナさんを外す決断をなされた。何があったのでしょう」
「……し、知りません!」
――お父様とお兄様が捕まったことは、誰にも言えないわ。
「本当に?」
マクシミリアンは再び距離を詰めた。アリッサは後ろに進もうとして、纏められたダークレッドのカーテンに背中が当たった。引いた腕に金色のフリンジが触れ、逃げ場がないと悟る。
「私が知る限り、マリナさんには何の落ち度もないように思えます。彼女を王太子妃候補から外したのは、他の要因があったからでしょう。恐らく、王都に戻らない三人の誰かが、国家を揺るがしかねない不祥事を働いたとか……」
「違います、違うんです。お父様もお兄様も、何も悪くないんです!」
「……おやおや」
灰色の瞳が獲物を捉えて照準を合わせた。
「私は、誰かがとしか言いませんでしたが……そうですか。ハーリオン侯爵とハロルドさんが……」
――ああ!私の馬鹿!!
アリッサの瞳に涙が浮かんだ。何をするかわからない男に、自ら弱点を露呈したようなものだ。
「何をなさったか、聞いても?」
「言いません」
「……そうか」
長身のマクシミリアンは、長い腕を伸ばしてアリッサの向こうにあるカーテンのタッセルに触れた。人の指ほどの太さがある金色のロープ状のそれは、するすると簡単に解けていく。重いカーテンが広がり、小柄なアリッサとパーティー会場とを完全に隔ててしまう。
「……何を、す……きゃっ……!」
無言でアリッサの手首を掴んだマクシミリアンは、白い手袋で覆われた細い腕を一纏めにして彼女の背中側で縛った。肘と肘が触れるほど強く縛られ、アリッサは痛みに顔を歪めた。ぐい、と身体を寄せられ、恐ろしさに身を硬くする。
「……なんてな。何があったかなんて知っている。オードファン公爵が、お前と息子の婚約を解消しようとしていることもな」
――嘘よ、婚約解消だなんて……。
歪む視界の中で、マクシミリアンは口の端に冷淡な笑みを浮かべた。
◆◆◆
大股でステップを踏みながら、ジュリアとアレックスはダンスフロアを横切っていく。
「ぶつかるぞ!」
「うわ、ごめん!」
ニアミスしたペアに頭を下げ、ジュリアは体勢を整えた。
「広い部屋なのに、すぐに向こうに行こうとしても無茶だろ。俺達の動きなら、そんなに無理しなくても殿下に近づける」
「うん。分かった。……リードしてくれる?」
「任せろ!」
気合の入った彼に任せると、大概のことはうまくいかないと知っていたが、ジュリアは苦笑しながらアレックスのリードについて行った。
会場の隅では、にこにこと祖父を相手に話しているキースの隣で、エミリーはアルカイックスマイルを浮かべて半跏思惟像のように佇んでいた。
「おじい様、紹介いたします。僕の婚約者のエミリー・ハーリオンさんです」
――こいつ、堂々と婚約者だと言いやがったな。
エミリーはジト目でキースを見る。脳内お花畑状態の彼は、見つめられたと誤解してにへらっと笑った。
――違うっての!
すぐにまた、能面のようなアルカイックスマイルに戻る。
どうしたらいいのか。最終兵器を使うしかないのか。
「四姉妹は皆美しいとは聞いていたが、これほどとは……」
エンウィ魔導師団長は頬を染めてだらしなく鼻の下を伸ばした。美少女が本気で着飾っているのだから、四人とも最早女神か天使レベルになっている。女神のような神々しさをもつマリナ、モデルのような美しいスタイルを持つジュリア、天使のように愛らしいアリッサ、そしてエミリーは人形のように完成された美を誇っていた。
「見た目だけではありませんよ。エミリーさんは素晴らしい才能の持ち主なんです」
「そうだろう、そうだろう。感じる魔力の質も素晴らしい」
魔導士一家の魔法トークは、車マニアに車の話を振ってしまった時並みに長くなりそうな予感がした。エミリーの中では面倒くささがMAXだった。魔導師団長に紹介されるまで、形式的ではあるがキースと何曲か踊る羽目になったのも嫌で嫌でしかたがなかった。
「おじい様、あの……」
話を続けようとしたキースを遮り、エミリーは一歩前に出た。
「少し、お話させていただいてもよろしいですか?」
「え、ええ?エミリーさん……」
ここは僕が話をしますから黙っていてくださいと言いましたよね、とそっと耳打ちされる。
「何か言った?」
にっこり。
エミリーは頑張って表情筋を使い、最高の微笑で一歩前に出た。
「魔導師団長様、私、キースさんと婚約はしておりませんの」
「何っ!?」
ギラリと怒りに光った魔導師団長の瞳にも怯まない。目が光って怖いのはマシューの方が上だ。キースが口を開けて泣きそうな顔になっている。
「私達、とても仲の良いお友達ですの。キースさんは私のお願いを何でも聞いてくださるんですよ」
――令嬢ぶりっこ、疲れるわ。
「エミリーさん……どうして、それを……」
約束が違うじゃないですか、とこっそり耳打ちされる。エミリーはキースの囁きを聞かなかったことにした。
偽りの婚約なんてまっぴらだ。マシューが魔王になってもならなくても変わらない。彼が魔王になるのが怖いからではなく、婚約者のふりをするのは、彼を裏切ることになると思ったのだ。魔導師団長はエミリーの五属性の魔力を欲しがっているし、キースはあわよくばそのまま婚約してしまいそうなはしゃぎようだ。姉達が言うように、ここで食い止めなければいけない。そんな気がした。
「まだ一年生ですし、魔法の勉強が最優先です。婚約なんて考えられませんわ」
「エミリーさん!」
「ね?キースさん?」
さん、のところに力を籠めて、エミリーは彼の腕を掴んだ。見えないところでギリリとつねってやる。
「……う、は、はい。勉強が、大切なので……」
魔導師団長は厳しい顔で二人を見た。キースは完全に竦み上がっている。
「婚約したからといって、すぐに結婚するわけでもあるまい。仲が良いのなら問題はなかろう」
――諦めないのか、このじいさんは……。
エミリーはアルカイックスマイルが壊れそうだった。
「こちらとしては、是非にも婚約を……」
――仕方ない。最終兵器だ!
「キースさんの方が、こんな令嬢はお断りでしょう?」
「お断りなんて、そんな!……うぅわぁ!?」
向かい合ったエミリーは大きく口を開けて笑った。キースは彼女の真っ黒な歯に驚き、後ろに飛び退いた。その拍子に足がもつれて思い切り転んでしまった。
――グッジョブ!ドペオ・デニッシュ!
エミリーは内心ガッツポーズをした。ゴマのようなドペオは、すりつぶしたものが非常に歯に付きやすいという性質があり、ドペオを使った菓子を食べた後は、必ず歯磨きをしなければならない。真っ黒な歯を見せながら魔導師団長を振り返り、
「ですから、私達はお友達だと申し上げているのです」
とにたりと笑った。歯と歯の間も、前歯の表面も、余すところなくドペオが付着している。あの店のデニッシュは特にドペオがたっぷり使われている。味は美味しいのだが。
「恋人なら、どんな姿でも愛しく感じるものでしょう?」
「は、ははは……なかなか個性的なお嬢さんだな」
愛想笑いをしている魔導師団長に短く挨拶を済ませ、尻餅をついているキースを残して、エミリーはその場を立ち去った。




