335 呪縛
11章書き直しています。ご注意を。
「ほう、学院へは三年ぶりですか」
学院長はエンウィ伯爵と和やかに会話を交わしていた。
「ええ。ここ二年は身体の調子が思わしくなく……魔導士は長命だと言っても、寄る年波には勝てませんな。はっはっはっは……」
キースの婚約者を見るために来たとは言わず、伯爵は適当に世間話をしながら講堂を目指す。少し時間が押していて、学院長室で接待される時間もない。
老人二人の後ろで、セドリックとレイモンドは小声で話していた。
「おい、セドリック。俺は待ち合わせがあるんだ。抜けてもいいか」
「待ってよ、この二人の相手を僕一人でするのか?」
「二人で盛り上がっているんだから問題ないだろう?アリッサを待たせているんだ。方向音痴だから誰かが連れていってやらないと、会場までたどり着けない。魔導師団長が遅れて、約束の時間を大幅に過ぎてしまっている」
セドリックは逡巡して静かに頷いた。
「分かったよ。僕は会場まで付き合ったら、指定された部屋までパートナーを迎えに行けばいいんだよね?」
「ああ。相手はアイリーンだ。何かされないとも限らないな。……キースを連れていければよかったが」
「キースだってエミリーと待ち合わせていると思うよ。あんなに楽しみにしていたのに、僕に付き合わせるのは可哀想だ。一人で行くよ」
「……気をつけてな」
セドリックの肩を軽く叩き、レイモンドは廊下を戻って行った。
◆◆◆
待ち合わせ場所の時計の前は、既に生徒達の姿はなかった。
「アリッサ……どこへ行った?」
皆が講堂へ集まり、静まり返った廊下にレイモンドの靴音だけが響いていく。無機質な音が否が応にも焦燥感を煽っていく。自分がいない間に迷ってどこかへ行ったのか、それとも、マリナか誰か、彼女を会場まで連れて行ってくれたのか。
レイモンドは一先ず会場へ行き、アリッサを探そうと早足で歩き出した。
「レイモンド様!」
後ろから走ってくる足音がし、すぐに彼の傍で止まった。アリッサは廊下を走ったりしない。迷ってしまうと思うと、慎重に歩くことしかできないのだ。彼女ではない。
振り返ると、オレンジ色の髪を高い位置で結い上げたフローラが、淡い緑色のドレスを着て立っていた。緑色のリボンが髪色に映えている。
「ああ、フローラか。どうした?会場に行かなくていいのか」
「いいんです。わたくし、レイモンド様をお待ちしておりました」
「俺を?」
そばかすの散った顔をじっと見つめ、レイモンドは軽く首を傾げた。
「生徒会のご用事が終わったら、お部屋にお連れしようと思いまして」
「部屋……休憩場所のサロンのことか。アリッサは踊らずに待っているのか」
マクシミリアンがいくつか部屋を用意すると言っていたのを思い出し、レイモンドは合点がいった。ダンスが不得意な彼女なら、自分以外の相手にダンスを申し込まれても、絶対に踊らないだろう。自分を待っていると言って。レイモンドは何故か確信があった。
「……こちらへ」
フローラはサロンのことは何も言わず、レイモンドを先導するように廊下を進む。
「この部屋が……?」
ガチャ。
ドアを開くと、レイモンドを先に入らせ、フローラは彼を突き飛ばした。
「……っ!何をするんだ!……うわっ!」
躓いて倒れ、眼鏡が床に転がる。
入口へ戻ろうとしたレイモンドの前に、光の壁が出現し、彼の身体を後ろへ弾き飛ばした。足元には光る円があり、天井に向かってまるで檻のように魔力が立ち上っている。
「これは……魔法陣か!?」
膝をついた体勢で、ガンガンと行く手を阻む光の壁を叩き、レイモンドはフローラを睨んだ。
内鍵をかけて振り返ったフローラは、夢見る乙女のように微笑んだ。
「レイモンド様……」
「ここから出せ」
「出せと言われて、はいそうですかと頷くほど、わたくしは従順ではありませんのよ」
レイモンドは手探りで眼鏡を見つけ、嫣然と笑うフローラの隙を窺う。魔法陣さえどうにかできれば、華奢な彼女の一人くらい……。
「誰の差し金だ、言え!……まさか、アイリーンか」
「アイリーン?……ハッ、あんな馬鹿女にわたくしが従うとでも?確かに、あなたとアリッサを引き離せとは言われましたわ。あの女はあなたを欲しがった。自分の下僕としてね!」
バサリ。ドレスが音を立てる。
フローラはレイモンドの前に屈み、憎しみに歪む彼の顔を見つめた。
「……あなたを渡すなんて、到底考えられませんわ。欲しくても欲しくても手に入れられなかったあなたを」
「俺を……?」
緑色の瞳が揺れた。フローラは愉しそうに指先で彼の肩を押した。正装したレイモンドは、簡単に魔法陣の中央に仰向けに倒れた。背中が床についた瞬間、魔法陣が一際強く光を放った。
「……な、ん……だ?」
身体に力が入らない。抵抗できない。天井のシャンデリアの光を遮るように、フローラの影が覆い被さってくる。レイモンドの顔の傍に左手をつき、右手は彼のクラヴァットに伸びている。
「銀雪祭の夜は特別ですもの。パーティーでも婚約者以外のパートナーと踊りますでしょう?婚約者以外の異性との関係も、銀雪祭から始まるそうですわよ」
「俺のパートナーはアリッサだけだ」
「強情ですわね。どうしてあの子一人に固執なさるの?」
「アリッサは特別なんだ」
「どうして?アリッサだけが特別なんですの?あなたが王立図書館へ通っていて、その姿を遠くから見つめていたのがアリッサだけだとでもお思いですの?」
「図書館……?」
「わたくし、あなたに会いたくて毎日図書館に通いつめましたのよ。あなたがアリッサと婚約したと聞いても諦められずに。入学試験で一位になって新入生代表になれば、わたくしを見てくださるだろうかと仄かな期待を抱いて、猛勉強いたしましたの」
「……それは……」
新入生代表になったのはアリッサだ。レイモンドが試験対策をして、猛勉強したと聞いていた。
「努力したのは君だけではない、フローラ。アリッサは……」
「期末試験だってそうですわ。アリッサが風邪で寝込めば、今度こそ一位になれると思ったのに!」
「ちょっと待て!風邪で、『寝込めば』?あの日は、アリッサの体調が悪くて来られないと……」
「ええ。嘘ではありませんわ。あの後、アリッサは寝込みましたもの」
フローラはくるくると良く動く瞳を輝かせて、うふふと笑った。
「何てことだ。俺は嘘を信じてアリッサを……」
レイモンドは愕然とした。自分の目的のために、友人としてつきあってきたアリッサを寒空の下放置したのだ。
「……魔法陣を解け。描いた人間なら消せるだろう?」
「残念ですけれど、これを描いたのはわたくしではございませんの。アイリーンが殿下を連れ込むために描いていたのを利用させてもらっただけですわ」
「何だと?」
「ですから、誰も助けに来なければ、レイモンド様とわたくしは、アイリーンの罠にかかって魔法陣から出られず、一晩を共に……」
「ふざけるな」
「ふざけてなどおりません。宰相閣下はハーリオン家との縁組を解消したいとお考えなのでしょう?既成事実があってもなくても、一晩を過ごした令嬢を捨てたとなれば外聞が悪いのでは?わたくしの存在を渡りに船だとお考えになると思いますわ」
「認めない!……俺はっ……」
力が入らないレイモンドの顔にそっと触れ、フローラは彼の眼鏡を外して、魔法陣の外へと放った。
「このドレス、素敵でしょう?……アリッサが好きな色を選びましたのよ」
ぼやけた視界の中で、薄緑色のドレスが広がった。




