331 悪役令嬢はデニッシュにかぶりつく
「久しぶりだから緊張するな……」
ジュリアの手を取ったアレックスは頬を染めた。硬い表情でこちらを見ている。
「いつも通り、気にしない気にしない。パートナーは私なんだから、アレックスのダンスが勢い任せだって誰も気づかないってば」
「勢い任せ……」
アレックスはしょんぼりした。自分のダンスがいかに独りよがりで下手なリードだったのか思い知らされる。暗い顔で俯くと、両頬をつまんで、ジュリアがぎゅーっと左右に引っ張った。
「いででででで」
「ほら、笑顔笑顔っ!」
「力強すぎだろ」
「また暗い顔してたら、いくらでも引っ張ってあげるからね?」
歯を見せて笑うジュリアにつられ、アレックスは噛みしめるように笑う。
「ったく。いつまでたってもお前には敵う気がしねえよ」
◆◆◆
「ここが、『サロン』ですか?」
アリッサは恐る恐る尋ねた。隣のキースが感嘆の声を上げている。
「はい。どうです。空き部屋に椅子を運んだだけですが、なかなかのものでしょう?」
マクシミリアンは得意げに皆を見た。
「まあ、なんて素敵なんでしょう。この椅子もこのテーブルも、見事な細工に見事な生地!こんな逸品が校内にあったなんて知りませんでしたわ」
自称高級家具マニアのマリナは、猫のような脚に精緻な彫り模様があるテーブルと、艶やかな細かい織模様の生地が張られた椅子に感激している。
「休憩できる場所を作りたいと会長に相談したところ、今回のパーティーのために、王室御用達の家具店から取り寄せてくださったのですよ」
「セドリック様が……」
マリナの胸の中にじんわりと温かい気持ちが広がった。ダンスを踊らない予定のマリナが心地よく過ごせるように、彼なりの配慮をしてくれたのだろう。
講堂から近い空き部屋――談話室と、ステージ裏の控室は、学院内の使用人達の活躍により、素敵な寛ぎ空間に生まれ変わっていた。部屋は全部で三室用意されており、学年や学科で使える部屋を分けたりはしていない。折角だから他の学年や学科の生徒と交流する機会を増やそうというのである。
「いいですね。これなら、ダンスが嫌いなエミリーさんも喜んでくれそうです」
「どうかしら……」
マリナが苦笑する。
「エミリーちゃんは人が多いところも嫌いなんだよね……あと、寒いところと賑やかなところも」
「明るいところもね」
「苦手なところが多いんですね……」
キースが頭を掻いた。エミリーが疲れたと言ったら、どこに誘うべきなのか本気で悩んでいるようだ。
「なるべく早く帰りたがっていたわよ。あなたのおじい様……魔導師団長様にご挨拶したらすぐにでも退出するつもりじゃないかしら?」
「ええっ……」
おろおろするキースを残して、マリナは特設サロンを出た。
「気に入っていただけましたか?」
不意にマクシミリアンに声をかけられ、アリッサの心臓がドキンと跳ねた。
「え、は、はい……」
「ふふ。頑張って用意した甲斐がありました」
「用意したのは王太子様では?」
「店に家具を発注したのは会長ですが、普段は使われていない殺風景な部屋を、温かみのある部屋に設えたのは私です」
「……すみません……」
「アリッサさんはあまりダンスがお好きではないそうですね。この部屋があなたのためになるのでしたら、私も嬉しいですよ」
「は、はあ……ありがとうございます」
とりあえず礼を言うに限る。休憩所は欲しかったし、マリナの体面を保つためにもいいだろう。マクシミリアンに恩を売られるのは面白くないが仕方がない。
「レイモンド副会長は、来賓の対応で休憩する暇もないと思いますし、アリッサさんは手持無沙汰でしょう?……私なら、銀雪祭の夜に、パートナーを放っておいたりしませんがね」
キラリ。
――今、目、目が、光った!怖い、怖いよぉ……。
「……お前なら、一晩中でも可愛がってやるよ」
すれ違いざまに耳元に押し殺した低い声が降ってきた。震える身体を抱きしめて、弾かれたように顔を上げると、マクシミリアンは感情の読めない微笑でアリッサを見つめていた。
◆◆◆
「髪飾りはどうなさいます?」
「……これ」
エミリーが手に持っていた蝶の髪飾りをリリーに渡した。リリーは一瞬目を丸くして、
「お嬢様がお求めに?」
「ううん。……もらった」
誰に?とはリリーは訊かなかった。そのあたりは流石、ベテラン侍女である。引きこもりのエミリーお嬢様ではあるが、年相応の付き合いはあるのだと理解している。
「ドレスが紫色ですから……合わないわけではありませんけれど、こちらでは?」
マリナとアリッサが共有している髪飾りがたくさん入った箱の中から、リリーは薄紫のリボンを薦めた。エミリーは頑として首を縦に振らない。
「嫌。……蝶のがいい」
「そうですか。では……」
パチンと音がして鏡台を見れば、そこには微かに笑った自分が見える。
「……いいわ」
キースの祖父に会うのは、エミリーにとって一種の戦いだ。できればその場で、婚約はしていないとはっきり言ってやりたい。髪飾りをつければ、マシューが傍にいるような気がした。
「リリー、あの店のドペオ・デニッシュは?」
「ご用意いたしました。ロイドが朝一番に並んで」
エミリーはにやりと笑った。ドペオとは、前世で言うところのゴマと似たような食べ物で、細かい粒の種である。炒ると香ばしさが出るので、お菓子によく使われている。
「お嬢様、まさか、今お召し上がりになるのですか?」
「……いけない?」
リリーはハロルド付きのアビーと協力して、マリナ達四人の支度を仕上げ、エミリーで最後だ。三人は先に支度を終えてパートナーと合流したり、生徒会の仕事をしているが、パーティーに行きたくないエミリーはギリギリまで着替えなかった。道具類の片づけをしている間に、エミリーに紅茶を出したのはロイドだった。
「……渋い」
「申し訳ございません。……蒸らしすぎましたかね?」
「うん。デニッシュは?」
「こちらです」
差し出された皿からデニッシュを掴んでエミリーは思いきりかぶりついた。
「お、お嬢様!?」
少食のエミリーがガツガツと食べる様子を初めて見たロイドは、喉に詰まらせないようにと慌ててグラスに水を用意した。
ごくん。水も飲まずにデニッシュを呑みこみ、エミリーは手元の鏡を見た。ドペオ・デニッシュが自分の狙い通りに効果を発揮したことを確認し、楽しそうに瞳を細めた。




