329 悪役令嬢はマフラーを切望する
「そう言えばさ、レイモンドは別に普通だったよね?」
「普通って?」
「殿下みたいに、婚約者と別れろって言われた感じじゃなかったよねってこと」
「……鉄面皮だから」
「レイ様はいつもと変わらず、優しくて素敵で……」
「はいはい」
アリッサ以外の三人の声がハモった。
「優しいのはアリッサにだけでしょう?」
「セーター受け取ってもらってよかったね。何回も解いて作った甲斐があったじゃん」
「えへへへ……」
「ああいうのいいねえ。私もアレックスにマフラーでも編んでみ……」
言いかけたジュリアは室内の空気を読んだ。三人の顔に『やめておけ』と書いてある。
「……毛糸の無駄」
「あら、毛糸だけ?時間も無駄だわ」
「うまくいかなくて放り投げちゃうと思うなあ」
「分ーかーりーまーしーた!不得意なことはしません。以上!」
「不得意……ねえ、皆はダンスのパートナーを決めた?」
「私は体調が優れずにダンスはしない、ってことになっているわ」
「王太子様と踊れないんじゃ、仕方ないよね。私はレイ様には何も言われていないけど、ドレスが届いたし……多分」
ポッと頬を赤らめる。
「エミリーはキースと組むから……ジュリアは結局どうするの?レナードにゴメンナサイしたの?」
「してない」
「してないって……堂々と二股かけるの?」
「実はね、今日、二人だけで練習したんだ。その時に言おう言おうと思ってて」
「忘れたのね」
「う、や、忘れてないよ?でもさ、後ろから抱きしめられて……」
「こんな風に?」
マリナがジュリアに後ろから抱きついた。と、パジャマの襟を後ろに引いた。
「ぐえ」
「ジュリア!何、これ!」
アリッサとエミリーがマリナの手元を覗き込んだ。
「……赤い」
「赤い?赤黒い?」
「キスマークにしては酷いわね」
「……それ、齧られた痕だから」
「……」
「……ええと?」
「……変態?」
マリナ、アリッサ、エミリーの三人は一様に困惑した。
「ジュリアちゃん、齧られるようなことしたの?」
「齧られるような事態になることがおかしいわ」
「……浮気?アレックスに見られたら……」
ジュリアの顔が一気に青ざめた。
「浮気じゃないって!これはレナードが悪ふざけをね?」
「ふざけるにもほどがあるでしょう?」
「普通、首筋なんか噛まないよ。吸血鬼みたいになっちゃう」
「……なるほど。あのチャラ男は吸血鬼だったのか」
「噛み痕をつけるなんて、キスマークより酷いわ。『とわばら2』の攻略対象で、メリーバッドエンドだっていうだけあるわね。危険よ」
「アレックス君の方がノーマルだよね」
「……脳筋だけど、ドSよりマシか?」
「違ーうっ!とととと、とにかく、この話はおしまい。レナードには明日、うん、明日話をつけるから!」
「強制終了?」
「ジュリアの『明日やる』はやらないって意味よね」
「夏休みの宿題と同じ」
「うるさい!いいの!皆は自分の心配しなさいよ」
「ええー?」
三人をそれぞれベッドに押しやり、ジュリアは自分のベッドに大の字になった。レナードに首筋にキスされて噛まれて、ドキドキしなかったわけではないけれど、驚きの方が大きかった。彼が本気で自分をを口説いてきたらどうしようと考えて、ジュリアはなかなか寝付けなかった。……ただし、五分くらいの間。
◆◆◆
「おはようアレックス、レナード。一緒に行こう?」
すっかり男子寮への寄り道が癖になってしまったジュリアは、翌朝も二人の姿を見つけるなり駆け寄って挨拶した。アレックスは相変わらずぼんやりしていて、レナードは人たらしらしい微笑を浮かべている。
「おはよう、ジュリアちゃん」
ジュリアの首筋をそっと撫で、意味ありげにくすっと笑う。
――首の噛み痕のこと、思い出させようとしてるんだ!
負けじとキッと睨んでやれば、さらに笑みが深まった。そんな二人をアレックスは面白くなさそうに見ている。
「何だよ、お前ら」
「何でもないよ。ジュリアちゃんの首元が寒そうだなって思ってさ」
「明日からマフラーするもんね!」
――フフン。次は絶対、首を触らせるもんか。囲ったもん勝ちだね。
「首も寒そうだけど、……ここも寒そうだね」
「うひゃっ」
冷えた指先が頬と唇を掠め、ジュリアはつい変な声を上げた。アレックスがレナードの手首を掴み、鬼のような形相で睨んでいる。
「おい。軽々しく触れるな」
「独占欲丸出し?いつも余裕がないよな、アレックスは」
レナードが目を閉じて肩を竦める。
「余裕なんかねえよ。クラスの奴らは分かってて、ジュリアに手出ししないけど、二年と三年は……」
「休み時間に時々いなくなってるのって、虫よけしてたから?言ってくれれば、俺も協力するのに」
「虫よけって何?冬なのに虫に刺されたの?」
「ジュリアは知らなくていいから」
「?」
「そ。アレックスの練習相手はたくさんいるってこと」
少し校舎に近づいて、ジュリアは立ち止まった。つられて二人も歩みを止める。
「あのさ、レナード。ダンスのパートナーのことなんだけど、あれ、なしにしてもらえないかな?」
「どういう意味?」
猫目が一瞬冷たく輝き、すうっと細められた。
「やっぱさ、二人をパートナーにするのはまずい、ってか……上級生の女子に反感買っちゃうじゃん?無用な争いは避けたいって言うか……」
「……そんなに、アレックスがいいの?」
「へ?あ、うん、そう……だ、けど……」
――あれ?レナードの目が、やけに怖い?おかしいな、悪寒?風邪引いたかな。
「喜ばせておいて、あっさり地獄に突き落とすんだ?はは、小悪魔だなあ、ジュリアちゃんは」
「コアクマ?い、いえ、そんな、つもりは……」
――笑ったのに目が全然笑っていないんだけど?
ジュリアは本能的に距離を取った。レナードの中に、時折義兄が見せた狂気と同種の何かが芽生えている気がする。
「いつまでも未練がましいぞ、レナード。ジュリアは俺と組むって、前から決めてたんだからな。予定通りだろ」
「そ、そうだよ。アレックスと私は婚約者だから、こういう時はパートナーに……あれ?どうしたの、アレックス」
アレックスの表情が曇っていくのをジュリアは見逃さなかった。
「何でもない」
「ダンスが雑だって話?私ならついていけるから心配いらないよ?どんと来い!」
「ジュリアちゃんと組むのが不安なら、俺がいつでも代わるから」
「……ジュリアのパートナーは俺がなる。誰に反対されても」
低く呻くような声で、アレックスは二人に答えた。




