327 悪役令嬢と愚かな飼い犬
生徒会室から出たマリナとアリッサは、笑顔で手を振るジュリアを見て安堵した。教室から生徒会室に移動する時も、二人の間はぎくしゃくしたままで、碌に会話もしないで生徒会活動を終えたのだ。
「やっほー、お二人さん。終わるの待ってたよ」
「ジュリアちゃん……」
「アリッサは帰りに男子寮に寄るんでしょ?アレックスが殿下のお守りに入って、レイモンドを外に連れ出す作戦で」
「そんなことを考えていたの?」
「マリナは先に帰っていいよ?レナードがアレックスに声をかけてくれるって言ってたし、そんなに時間はかからないと思うけどさ」
「一緒に帰るわよ。エミリーはキースと約束があるみたいだから、三人で帰りましょう?」
マリナから見て、今日のキースは落ち着きがなくそわそわしっぱなしだった。理由を尋ねると、生徒会が終わったらエミリーと待ち合わせて、二人きりで魔法の研究をすると言っていた。エミリーは自覚がないだろうが、相手がキースでも、二人きりになるのはよくないのではないかと思う。
「ねえねえ、アリッサ。さっきからどうしたの?口数少なくない?」
「うん。あの……」
「悩みがあるならこのジュリアさんにドカンとぶちまけてみな?」
「……たの」
「ん?」
「マリナちゃんと喧嘩しちゃったの」
ジュリアは何度か瞬きをして、後ろを歩くマリナを振り返った。
「マリナ、アリッサと喧嘩してんの?」
「ちょ、ジュリアちゃ……」
「喧嘩というほどのことでもないけれど、フローラのことで少し、言い合いになってしまったの」
「フローラ……今朝も騒いでたもんねえ」
「マリナちゃんは、フローラちゃんに悪意があるみたいに言うの。フローラちゃんは噂好きだけど、私達に何かしようとは思っていないのよ?」
姉の手をぎゅっと掴み、アリッサは必死に訴えた。肝心のジュリアは、うーんと首を捻って固まっている。
「アリッサがフローラを信じたいのは分かるし、マリナが噂好きなあの子のせいで困ってるのも分かる。今朝だって、あんなに騒がないでそっと教えてくれてもよさそうなもんじゃん?人が集まる食堂で騒いだら、噂を知らない子だって気になっちゃうでしょ」
「それは……そうだけど……」
俯いて視線を彷徨わせたアリッサは、振り返ってマリナを見た。
「ねえ、マリナちゃんはどうして、フローラちゃんを疑うの?何か理由があって……」
「詳しいことは部屋で話すわ。ほら、早くレイモンドのところへ行きましょう?ずっと持って歩いたら、包みがぐしゃぐしゃになってしまうわ」
小走りに歩いて二人に並ぶ。アリッサの背中をぽんと叩き、マリナは白い息を吐いた。
◆◆◆
「……見つからない」
魔法科資料室で輝石に手をかざし、エミリーは眉間に皺を寄せた。何度やっても『命の時計』に関する資料はヒットしない。資料室はインターネット検索のように便利な代物だと思っていたが、空間にある資料からしか検索できないため意外に使えない。禁忌の魔法に関する研究データも、ある種のロックがかかっていて閲覧できない。
「困りましたね……先生に許可をいただいたのに」
「無駄足だったわ」
「もう少し、頑張って探しませんか?他の切り口なら探せるかも……」
「全部やりつくした。……あとは、キースが家から本を取ってくるしかないわ」
輝石から手を離し、エミリーはキースを見上げた。教室の椅子に座っていると気にならないが、多少身長差が開いてきた気がする。『とわばら2』の攻略対象らしく、可愛い系なのに男らしくなっている。伏し目がちの表情に仄かに色気が漂う。
「本は……エミリーさんが望むなら、いくらでも持ってきますよ」
「ありがとう。助かる」
「いえ。ですが、一つだけ、条件をつけても?」
「条件?」
「交換条件です。エミリーさんが条件を呑むのはたった一度だけ。それで僕は何度でも本を探しに家へ行くのですから、お得だと思いますよ?」
キースは軽く首を傾げて微笑んだ。微笑む相手がエミリーでなく、その辺の令嬢なら一瞬で心を奪われそうな破壊力だったのだが、エミリーは全く気にする様子もない。
「得かどうかは、条件を聞いて考える。私、面倒なのは嫌いなの」
「さほど面倒ではないと……思いますが……その……」
「何?」
「銀雪祭で、僕のパートナーになってほしいのです」
「前から決まっていたようなものでしょう?あなたのお母様からドレスが送られてきたし」
「すみません、あれは母の早とちりで。僕が言いたいのは、ダンスのパートナーとしてだけではありません。当日、祖父の魔導師団長が来賓として出席します。祖父の前でだけでいいんです。僕の婚約者のふりをしてもらえないでしょうか!」
「……断る」
「即答!?」
熱く語ったキースが転びそうになった。エミリーは無表情で手を差し出す。
「婚約はしていないって、キースがおじい様を説得すればいいでしょう?」
「それができたら僕だって悩みませんよ。うちでは家長の意見は絶対なんです。去年の王太子殿下の誕生日に、エミリーさんと僕が踊った時から、祖父はあなたを将来僕の妻にすると決めていたのです」
「迷惑だわ」
――マシューが知ったら王都壊滅か?
噂になっても牢の中まで聞こえるだろうか。元々マシューはパーティーに乗り気ではなかったし、エミリーが他の誰かと組むと知っていた。パートナーを組んだくらいで王都壊滅はないだろう。
「婚約を申し込むどころか、期末試験も酷い有様で……祖父が真実を知ったら、僕は」
「めちゃくちゃ怒られる?」
「……はい。怒ると魔力がビシビシ痛くて、とっても怖いんです。エミリーさんには申し訳ないと思っています。たった一日、銀雪祭の日だけ。祖父の前で僕の婚約者として振る舞ってもらえませんか?後から喧嘩別れしたとでも言って、いくらでも破談にできますから」
「今破談にすればいい」
「祖父の面目が潰れます。他の来賓の前で恥をかかせるようなことだけは、どうか……」
資料室の床に這いつくばり、キースは土下座をした。学院祭でアリッサが土下座踊りを披露してから、キースは土下座の意味を理解したのだ。視線を上げられたら短いスカートの中が見えそうな気がして、エミリーは仕方なく立膝をついてキースの手を取った。
「エミリーさん……」
「物凄く不本意なんだけど?」
「分かっています。本ならいくらでも……」
「本くらいじゃ、釣り合わないの。卒業するまで下僕決定。……それでいい?」
「はい!精一杯ご奉仕します!」
顔を上げたキースの頭にとんがった耳と、背後にふわふわの尻尾が見えた気がした。




