322 悪役令嬢は贈り物を抱きしめる
男子寮の前に立っていたジュリアとアリッサは、目の前を通り過ぎる生徒達の視線を感じていた。
「ジュリアちゃん……」
「大丈夫だって。マリナが殿下の妃候補から外されたのは何でか知らないけど、レイモンドもアレックスも、別に今まで通りでしょ?」
「……だといいけど。あ!」
アリッサが小さく声を上げ、胸に抱き締めていたセーターの包みを落としそうになった。
「おっと、危ないなあ、もう」
「ありがとう。ほら、来たよ、アレックス君達」
指さした方向には、寝癖でぼさぼさの赤い髪をそのままにしたアレックスと、完璧に身なりを整えたレナードが連れ立って歩いていた。アレックスのあの様子は、一体何があったのだろう。ハイスペック侍女のエレノアが寝坊でもして、支度が間に合わなかったのだろうか。
「おはよう、アレックス、レナード」
「おはようジュリアちゃん」
「……おはよ」
アレックスは低い声で挨拶をし、大きな欠伸を一つした。
「どうしたの?寝不足?」
「ん……まあな。夜中に家から使いが来て……眠れなくてさ」
「ふうん」
「今日の授業が終わったら、家に行くから一緒に帰れねえや。……ふわぁ……」
「分かった」
この様子では授業中も爆睡だなとジュリアは思った。
「じゃ、俺と一緒に練習して帰ろう?」
「あ、うん」
レナードの誘いにも生返事をしてしまう。
「ねえ、レイモンドは?」
きょろきょろと辺りを見回し、ジュリアはセドリックとレイモンドの姿がないことを不審に思った。そろそろ寮を出ないと遅刻してしまう。
「レイモンドさんは、まだ部屋じゃないか?食堂でも見なかったぞ。な?」
「うん。いつもなら王太子殿下と一緒に上座のテーブルにいるはずなんだけど、今朝は殿下もいらっしゃらなかったな」
「……やっぱり」
アリッサが小声でジュリアの制服の袖を引いた。
「ん?」
「フローラちゃんが言ってた……王太子様はお部屋に閉じ込められてるって」
「そっか、レイモンドは殿下に付き合ってるんだね」
「王太子様はレイ様を誰より信頼なさってるし、多分……」
二人がこそこそと話していると、レナードが声を潜めてジュリアに近づいた。
「あのさ、噂で聞いたんだけど……殿下とマリナちゃんが破局したって本当?」
「破局?違うよ、二人は……」
「破局なんかしてないぞ。ほら、これが証拠だ」
アレックスは鞄の中から青い手帳を取り出した。鍵つきの交換日記だ。
「夕べ、セドリック様から預かったんだ。忘れないうちに渡しとくな」
「ありがとう。マリナが喜ぶと思う」
「……じゃあ、俺が聞いた噂は嘘だったのか」
「マリナちゃんは王太子様が好きで、王太子様もマリナちゃんが好きなのは変わっていないの。でも、王太子妃候補から外されたって、フローラちゃんが言ってたわ」
「そうか。殿下も国王陛下の命令には逆らえないから……」
四人の間に重い沈黙が続いた。
「アリッサちゃんは、それをレイモンドさんに渡すの?」
レナードはアリッサが大事そうに抱えている包みに目をやった。白に金の模様が入った包み紙も、金色の縁取りがある緑色のリボンも、レイモンドが好きそうな色だ。
「うん。銀雪祭のパーティーは生徒会も忙しくなるから、先に渡しておこうと思って」
「今日はどうかなあ。殿下が部屋から出ないんじゃ、寮を離れられないかもね。俺が預かってもいいけど、直接渡したいよね?」
「……できれば、お話したいなって、思って……」
真っ赤になって足下を見つめているアリッサは守ってあげたくなる可愛らしさだ。レナードは猫目を細めた。
「だ、そうだ。アレックス、こういう時こそ、『俺に任せろ』って言わないのか?」
「ええっ?」
「お前が殿下の相手をすれば、レイモンドさんも傍を離れられるだろ。寮を抜け出して、アリッサちゃんと会えるじゃないか」
「おお、いいね、それ。レナードあったまいい!」
パチパチと手を叩いたジュリアは、勢いのままアレックスの手を取った。
「家から戻ってからでいいから、お願いね?」
「あ、ああ……」
にっこり微笑んで彼の二の腕を叩いた。
金色の瞳と視線が合わなかったことに、ジュリアは気づいていなかった。
◆◆◆
「やれやれ、一日そうしているつもりか」
天蓋付きのベッドの上で、布団にくるまって大きなミノムシと化している王太子に、レイモンドは冷ややかな視線を投げた。
「お前が起きてくるのを待って、読書にいそしんでいる俺の身にもなれ」
「……」
「王宮から戻って、ずっとそんな調子だろう?何があったかは知っている」
「……知ってる?知っていて、レイはそんな……」
ばさっ。
布団が翻り、中から目を真っ赤にしたセドリックが現れた。
「俺の父は宰相だぞ。お前が陛下に言われたことを手紙にして寄越した。マリナを王太子妃候補から外すと言われたんだろう。それで、肝心の王太子殿下は?そうやってぐずぐず泣いているだけか?」
「だって、どうしようもないじゃないか。父上がお決めになったことは、僕の一存で覆ったりしないんだよ?僕が王太子でなかったら、国王の命令に背いて事実婚してしまえばいい、何年かすれば認められるだろうね。マリナを攫って駆け落ち……とか考えたけど、マリナは『命の時計』のせいで、僕といたら命が縮んでしまう。八方塞がりなんだよ」
話しながらセドリックの青い瞳は再び涙に濡れていく。レイモンドはどうしたものかと腕組みをした。
「父上達は、マリナの父上……ハーリオン侯爵が権力を手にするために僕やレイ、アレックス、キースに娘を近づけさせたって言っていたよ。エミリーを使ってコーノック先生に僕を魔法で狙わせたと。アスタシフォンで逮捕されたってだけで、内情を調べもせずに簡単に親友を疑って……僕は父上が信じられなくなったよ」
「同感だな。俺に届いた手紙には、アリッサとの婚約を考え直した方が良いと書いてあった。馬鹿な。ハーリオン家から無理強いされたわけでもない、俺自身が望んだ婚約なのに。いずれ家に戻って話をつけてこようと思っている。……ああ、そう言えば、あいつも」
「あいつ?」
「アレックスのところにも、夜中に急使が来たらしい。うちの侍女が話していた。大方、同じような案件だろうがな」
「そうか……アレックスもつらいだろうね」
「アレックスの場合は、ジュリアは婚約者だが幼馴染で親友だ。完全に縁を切れと言われたら、これまでのあいつの人生が否定されるようなものだ。幼い頃の思い出と、必ず傍にいたジュリアを切り離せるか?」
「無理だろうね。……僕は時々王宮で会うだけだったけど、マリナとの思い出はたくさんあると思ってる。アレックスはそれ以上だ」
「どうだ?辛いのはお前だけだと思うか?」
問いかけながらベッドに座ったレイモンドは、膝を抱えて蹲る再従弟に微笑んだ。




