313 悪役令嬢は悄然とする
ずーん。
今のマリナにはそんな形容が似合うとアリッサは思った。
生徒会室を出て、一度教室に戻った二人は、帰り支度をしていたのだが……。
アリッサが気づくと、マリナは自分の机にぺったりと頬をつけて死んだ魚の目をしていた。手も足もだらんと下に垂らしたままで、全く生気が感じられない。
抽選を終えた生徒会室で、
『たかがダンスのお相手でしょう?気にしていませんわ』
『セドリック様は私以外の令嬢にお心を奪われたりしません。ええ、絶対に』
などと豪語し、ほほほと高笑いして見せたのは何だったのか。
――見栄張っちゃったのね。マリナちゃん……。
机の傍らに立ち、顔を横にして、アリッサは姉と目線を合わせた。
「マリナちゃん、大丈夫?歩いて帰れそう?」
「……」
「マリナちゃん?」
「……ダメかも」
自信満々の姉の口からこんなセリフを聞くのは久しぶりだ。
「エミリーちゃんがまだ教室にいるかどうか、私、見てこようか?」
「……一人で行けないでしょ。迷うわよ」
「うう……」
方向音痴で悔しい思いをしたのは何度目だろう。アリッサは唇を噛んだ。
「あのね。腕輪があれば魅了されないと思うの……多分。『命の時計』のせいで直接会えなくたって、王太子様はマリナちゃんを嫌いになったりしないと思うな」
「……そうかしら?」
「エミリーちゃんが魔法を解くって張り切ってるし、パートナーを他の誰かに譲るのは、今回だけだと思うんだ。だから、元気出して?」
「ひゃっ!」
マリナがガバっと起き上がり、驚いたアリッサは後ろにぐらりと倒れそうになる。
「……行きましょう。大丈夫よ、パーティーくらい乗り切ってみせるわ」
机から顔を離したが、くっつけていた右頬が赤くなっている。
「そうよ、腕輪があれば魅了されない!必ず魔法を解いて幸せになるんだから!」
マリナは拳を上げ、そのままガッツポーズをした。こうするといいといつぞやジュリアに教わった気がした。成程、やってみれば気合いが入る。
「い……いいね!マリナちゃん、その意気だよ」
パチパチと拍手をする。他に誰もいない教室に盛り上がった二人の会話が響いた。
コンコン。
半開きになっていた教室のドアがノックされ、マリナとアリッサは居住まいを正した。侯爵令嬢が力強くガッツポーズをしている様子を見られたら、翌日にはゴリラ女だと陰口を言われかねない。
「楽しそうな声が聞こえていましたよ」
薄くドアが開く。中に入ってきたのはマクシミリアンだった。
「お話を邪魔するつもりはなかったのですが、お二人が教室に行かれてから間もなく、バイロン先生が呼びに来られまして。職員室に来るように、と」
「追試のことかなあ?」
首を傾げたアリッサを促し、マリナはすぐに行くと返事をして席を立った。
二人を見送ったマクシミリアンが、目を細めて唇の端を吊り上げていたとは知らずに。
◆◆◆
アレックスは尾行しているジュリアに気づかず、どこかへ急ぎ足で向かっている。
――誰かと待ち合わせかな?
相手は自分に会わせたくない人物なのだろうか。どうしても浮気を疑ってしまい、ジュリアは自己嫌悪に陥った。
石畳の道を走り抜け、アレックスは剣技科練習場へと入っていく。練習用の剣を持っているから練習するつもりなのか。
――私に練習するなって言って、自分だけ上達しようって魂胆ね!
こうしてはいられない。
ジュリアは急いで校舎に戻り、練習用の剣を取って引き返した。
剣技科練習場に着いた時には、中から男子生徒の歓声が聞こえていた。
「おっし、いいぞ!ヴィルソード!」
「そこだ、行け!」
「ネオブリー!右だ、右!一気に回りこめ!」
階段を上り、観客席の外周に立ったジュリアは、練習場の中央の砂地によく見知った二人がいるのを見た。観客席の一番前へと下りて行くと、ジュリアを知っている上級生が声をかけてきた。
「おっ、応援に来たのか?」
「お前はどっちを応援するんだ?俺はヴィルソードに賭け……っと、応援してるんだが」
――こいつ、試合で賭けをしてる?学院内では賭け事は禁止なのに。
何より、真剣に試合をしている二人に失礼だ。後で教師にこっそり告げ口してやろうとジュリアは思った。
レナードの細身の剣が煌めき、アレックスの右側を突く。風がふわりと赤い髪を揺らし切っ先を避けると、さっと屈みこんでレナードの右脇を狙った。アレックスの手を読んでいたレナードは当然のように剣を躱し、少し間合いを取って隙を探った。
「あら、ジュリア。見に来たの?」
腰に手を当てたグロリアは、学年色の緑色のチェスターコートを着て堂々と立っている。
「……脚が長くてモデルみたい」
「は?」
「いや、何でもないです。先輩は試合をずっと見てたんですか?」
「レナードから聞いてね。一年の中じゃ実力のある二人だからさ、見ごたえがあるじゃない」
「そうですね。実技の時間もクラスの中では、この二人に勝てたのは先生くらいです」
グロリアはフフッと笑った。
「さっきから全然技が決まらないのよ。勝負が互角すぎてつまんないから、ちょっと行って気合い入れてやってよ」
「気合い?」
「……例えば、ねえ」
ぼんやりしていたジュリアの手を引き、観客席の一番前まで連れて行くと、グロリアは声を張り上げた。
「さっさと決めちまいな!勝った方がジュリアとキスできるぞ!」
「はあっ!?ちょ、先輩、何言ってるんですか!」
グロリアの良く通る声が聞こえたらしく、二人は一瞬動きを止めた。
「ははっ、いいじゃないの。これで試合が面白くなるねえ」
腕組みをした剣技科の女王は豪快に笑った。




