312 悪役令嬢は婚約者を尾行する
「悪い、ジュリア。今日は俺、用事があってさ。一緒に帰れねえ」
「えー?試験も終わったし、練習して帰ろうって誘うつもりだったのに」
「れ、練習?……あ、えっと、今日ぐらい練習やめてさっさと寮に帰ったら?昨日の夜も遅くまで勉強したんだろ?」
「別に?普通に寝たよ?」
テスト前によくある、『昨日全然勉強していないアピール』ではなく、ジュリアは本気で勉強をしていなかった。グロリアに教わって、以前義兄から教わったことはこれだったのかと合点がいき、点と点が線で繋がったような気がしたのだ。少なくともアスタシフォン語への苦手意識は消えていた。
「いいから、とっとと帰れっての!」
アレックスはジュリアを回れ右させて背中を押した。
――怪しい。何か隠してるな。
「はいはい。一人で帰りますよ。……それじゃ、アレックス。また明日ね」
秘密にされて悔しくなり、ジュリアはアレックスのネクタイを引っ張った。驚いた彼の頬に軽く触れるだけのキスをする。
「あ、な、なな……何だよ、いきなり」
「別に?挨拶代わりだけど?」
しれっと返して、ジュリアは振り返らずに教室を出た……ふりをした。
追試が行われた普通科一年二組の教室から、昇降口とは反対方向の階段へ向かい、曲がり角に身を隠してアレックスが教室を出るのを待つ。案の定、何も気づかないでアレックスはふらふらと教室を出ていく。時折、周囲をきょろきょろと見回して、誰かを探しているようだ。
――絶対何かある。もしかして……。
ジュリアの脳裏に、前世の忌まわしい思い出が蘇った。同じ部活の男子部の同級生と付き合ったジュリアは、「友達にしか思えない」と振られた挙句、彼は翌日にはジュリアの友人と付き合い始めたのだった。あれはどう考えても、ジュリアと付き合っている期間に付き合い始めていたに違いなかった。
アレックスはジュリアと長いこと友人関係にあり、恋人になってはみたものの、何か違うと思い始めたのかもしれない。銀雪祭のダンスパーティーは、婚約者以外のパートナーを誘ってもいいことになっている。自分以外に誘いたい令嬢がいるのではないか。
――あー、ダメダメ。悪い方へ悪い方へって考えちゃう。
ジュリアは足音を忍ばせ、アレックスの背中を追った。
◆◆◆
セドリック専用の馬車が王立博物館の前に止まった。
御者席にいた侍従がドアを開けるより早く、レイモンドが中から下りてくる。
「急げ、セドリック」
「博物館?ここで何をする気なの?レイ」
王太子に気づき、博物館の職員や来館者が皆次々と頭を下げる。彼らに愛想を振りまくセドリックの腕をギリギリと掴み、レイモンドは奥へ奥へと進む。
「どこに行くんだい」
「絵画の間の奥、特別室。通称『開かずの間』だ」
「『開かずの間』?あそこは……ああ!肖像画が多くあるところだね」
「何だ、見たことがあるのか?」
振り返ってこちらを窺うレイモンドは、楽しそうなセドリックに呆れて軽く溜息をついた。
「うん。昔、父上に連れてきてもらった時にね。許可がなければ見られない特別な部屋だって聞いたよ。……懐かしいなあ」
王立博物館は、国内のあらゆる事物を収集対象にしている。王立美術館がないため、絵画や彫刻などの美術作品も収蔵していて、時折展示が入れ替わる肖像画コレクションは、美男美女の絵が多いと評判だった。画家が多少実物より美しく描こうと修正を加えている可能性は否めないが、人々は胸を躍らせてそれらを鑑賞しているのだった。
「こちらでございます」
「ありがとう。終わったら呼ぶね」
セドリックは鷹揚な態度で博物館の職員を追い払った。隣でレイモンドが肩を震わせている。
「……お前も人払いがうまくなったな」
「公務をこなすようになったら、自然と覚えたんだよ。……それで、人払いまでして調べたいことって?」
「肖像画の部屋に来た理由は一つだ。言わなくても分かりそうなものだがな」
「かの令嬢の肖像画を探すのか?」
「ここには貴族の邸で飾られない、手放した肖像画が並んでいる。借金のかたにご先祖の肖像画を売る奴もいると聞く。メイザー家のように、一家断絶となった場合も、王家が責任を持って肖像画を管理しているんだ。王太子妃候補になるくらいの令嬢なら、親が肖像画を描かせていても不思議はない」
額縁に入った肖像画と説明書きを見ながら、レイモンドはしきりに唸っている。
「クレメンタイン嬢の絵が見つかったとして、それが手掛かりになるのかな」
「少なくとも、彼女の絵を描いた画家には辿り着く。王宮では見られなかった彼女の話を聞けるだろう?……王太子のことを嫌っていたとか、他に男がいたとか。彼女を神の如く讃えている侍女がいたとか、この際何でもいい。お前を狙った犯人にたどり着く可能性があるだろう」
しばらく二人は絵に見入っていた。どれも高名な画家が描いた作品で、生き生きとした表情が実によくキャンバスに表現されている。
「ここからは家族の肖像画みたいだね。……そっちはどう?クレメンタイン嬢は見つかった?」
こちらに背中を向けているレイモンドに呼びかける。「いや」という声が聞こえた。
「そうか。手がかりなしかな……え、んん?」
セドリックは絵の題名を二度見した。そこには『メイザー伯爵一家の肖像』とある。
「レイモンド!こっちだ、来て!」
「見つかったのか?」
「令嬢一人じゃないけど、ほら、これ」
落ち着いた雰囲気の室内には、四人の人物がいた。金の縁取りがある肘掛椅子に座った女性が赤ん坊を膝に乗せ、後ろには正装した男性が立っている。彼の隣に立つのは十歳を少し超えたかと思われる歳の儚げな少女だった。腰まで流れる見事な金髪は緩く波打ち、父親譲りの青い瞳は人形のように愛らしい。
「彼女が、クレメンタイン?」
「絵の製作年からするに、そうなんだろうな」
「やっぱり伯爵もカッコいいね。父上の妃候補になるくらいだし、子供だけどクレメンタインは可愛いよ。美人の伯爵夫人に似たんだろうね。夫人は茶色い瞳だね」
「優しそうな顔立ちだな。少したれ目なところが母親にそっくりだ」
絵の作者を確認し、レイモンドは手帳に書き留めた。
「僕はたれ目より少しつり目の方が好きだな」
「お前の基準は常にマリナだからな。姉妹で似た顔立ちでも、アリッサは心の優しさが前面に出ているが」
「レイの惚気は聞き飽きたよ。……その分だと、アリッサとは仲直りしたんだね。アイリーンの魔法の影響は抜けたんだよね?」
「ああ。全く、この俺を魔法にかけるなど、あの女は忌々しいことこの上ないな。……いっそのこと、お前を狙った犯人とアイリーンが繋がっていてくれたら、一網打尽にできるのに」
「画家はどう?手がかりになりそう?」
「名前は分かったが……厳しいな。彼がクレメンタインに会ったのは、まだ彼女が幼い頃だ。恋人の有無は確認できないだろう。それから、確か、この画家は高齢で、八十歳を超えているはずだ。当時のことを覚えているかも怪しい」
「二十年以上前のことだから、難しいかな」
「一応手紙を出してみるが、……期待するな。今日の収穫は、クレメンタイン嬢の容姿が分かったくらいか」
「そうだね。可愛い女の子だったって分かったよ」
レイモンドが部屋の外に控えていた職員を呼び、『開かずの間』が施錠されたのを見てから二人は博物館を後にした。




