310 悪役令嬢は飛び級に憧れる
エミリーが医務室から出た頃、食堂の前では、三人の銀髪の少女が待ちぼうけを食らっていた。
「エミリーちゃん遅いねえ」
「三時間目と四時間目は、魔法科も実技の時間なんでしょう?練習場から戻るのに時間がかかっているのかしら」
「案外、マシューに捕まってたりして。『お前を放したくない、エミリー』とかなんとか言われちゃってさあ」
ジュリアが声を低くしてマシューの真似をする。アリッサがキャッと頬を染める。
「いいなあ……一緒の授業……私もレイ様と一緒に授業に出たい」
「飛び級すれば?」
「学院には飛び級制度はないのよ、ジュリア。アリッサが飛び級できるなら、レイモンドはとっくに卒業しているでしょうよ」
「そっかー、残念」
「それよりもジュリア、落第しないように気をつけてよ」
「う……」
「アスタシフォン語の追試は今日の午後だったわよね。頑張ってね、ジュリアちゃん」
「アリッサも受けるんでしょ。どうして余裕なのかなあ?」
泣きそうな顔でジュリアがアリッサに掴みかかった瞬間、三人の目の前が白く光った。
「……お待たせ」
「遅ぉい!私、腹減って倒れるかと思ったよ」
「……たまに倒れてみたら?」
「どうしたの?随分と時間がかかったのね」
「……マシューが逮捕された。詳しくは夜に」
「ええっ……」
驚いた三人を残し、エミリーはすたすたと歩いて食堂の奥へと進んだ。
◆◆◆
資料室の中を光が満たす。セドリックは一瞬ぎゅっと瞼を閉じた。
「わ、眩しい……」
「目を開けて見ろ、セドリック。ほら、次々と資料が下りて来るぞ」
「凄いね。資料室ってこんなところだったんだ……」
セドリックは入学以来初めて、資料室に足を踏み入れた。新入生への説明を受け、ここにこういう部屋があるとは知っていたものの、実際に使ってみようとは思わなかったのだ。
「ここにはお前のためになる資料があると俺は思う。『命の時計』に関する資料は、……これだな」
「父上の……妃候補が?」
「指で辿ってみろ」
レイモンドに言われるまま、セドリックは文字を指でなぞった。すぐに光り出して手を引っ込める。
「こ、これ、何で……?」
「情報を隠していたんだ。真の内容を知るべき者にしか伝わらないように。……国王陛下の最初の妃候補、クレメンタイン・メイザー嬢は『命の時計』の魔法をかけられ、王太子に会わないように転地療養することになった。そこで、急遽、幼馴染であるソフィア嬢……アリッサやマリナの母上だが、彼女を妃候補に据えた」
「ハーリオン侯爵夫人が父上の妃候補だったって聞いたことがあったけれど、クレメンタイン?は知らないなあ。メイザー家って、今はないよね?」
「令嬢の死後、両親と弟は流行病で亡くなったようだ。令嬢の死因も、表向きは病死となっている。魔法のことを詮索されると思って秘密にしたんだろう。メイザー家は親戚もなく、現在は断絶している。……問題は、二つある」
「何?」
セドリックは真剣な眼差しでレイモンドを見た。
「一つは、クレメンタインに『命の時計』の魔法をかけたのは、モディス公爵ではないかという憶測が流れたことだ。モディス公爵は年老いてからできた一人娘であるソフィアを、何としても王妃にしたかった。娘が王太子妃候補になるには、当時の国王の幼馴染であるメイザー伯爵の娘が邪魔で、『命の時計』の魔法を使ったと書かれている」
「憶測なんだろう?」
「状況証拠に基づいた悪質な噂としか思えないな。モディス公爵は豪気な方だったが、娘の気持ちを無視して嫁がせようとは考えていなかった。ただ、彼は王立図書館長で、貴重な文献を自由に閲覧できる立場だったんだ」
「あれ?図書館長は王立学院の学院長だったんじゃ……」
「俺も気になって調べたが、公爵亡き後、適任者がおらず空席になっていたのを見かねて、学院長が兼任するようになったようだ」
「話は戻るけど、マリナの母上は、クレメンタインを押しのけて妃候補になったんだね。でも、モディス公爵は亡くなっているし、そもそも敵討ちを仕掛ける人ももういないはずだよね?クレメンタインの家族は亡くなっているんだから」
「そう考えるのが一般的だろうな。敵を討つにしろ、侯爵夫人かマリナを狙うのが筋だ」
「犯人は僕を狙ったんだよ?」
「……本当に、そうか?」
レイモンドは目を眇めた。
「敵はお前がマリナを溺愛していると知り、マリナを妃候補から外すためにお前を狙おうと考えた。お前の命を長らえさせるには、マリナを遠ざけるしかないからな。だが、予期せぬ事態が起こった。王太子は国民の前で妃候補を紹介した。貴族の間でしか知られていなかった事実を公にしたんだ」
「だから、マリナが……」
目元に手を当て、俯いたセドリックは声を詰まらせた。
「まあ、聞け。……敵はマリナを試したと、俺は思う。王太子を心から思っているなら身を挺して庇うだろうし、怯えて何もできないようなら妃としての資質を問われるだけのことだ。魔法がお前にかかっても、マリナにかかっても、二人は離れなければいけなくなる。どのみち目的は達成される」
「……犯人の目的は一つだけ、僕とマリナを引き離すこと、か……」
「クレメンタインが王太子と想いあっていたと考える者が、マリナを狙ったのかもしれない。それから、もう一つ」
細い縁の眼鏡を中指で押し上げ、レイモンドは古い貴族名鑑を呼び寄せた。
「メイザー伯爵家が途絶える前の貴族名鑑だ。この本が出版された時には、クレメンタインは亡くなっていた。メイザー家の欄に彼女の名前があるが、生没年が書かれている。これによると、彼女は二十歳で亡くなっている。王太子の傍を離れたのにおかしいと思わないか?セドリック」
「『命の時計』は関係なくて、病死なんじゃないかな。ほら、家族も流行病で……」
「メイザー領で流行病が出たのはもっと先だ。……これは推測だが、クレメンタインは王太子ではない誰かを愛していて、その人は彼女が亡くなるまでの数年間、絶えず一緒にいたのではないか?」
「だったら、クレメンタインは幸せだった?王太子と政略結婚させられて長生きするより、好きな人と一緒にいられたんだし……」
「幸せかどうかは本人にしか分からんがな。クレメンタインの恋人がいたとして、そいつはどう考える?娘を王妃にしたい公爵の策略で、愛しのクレメンタインは短い生涯を終えたんだぞ」
「恨まれて当然?」
「だろうな」
「つまり、レイは……クレメンタインの関係者が、マリナを僕の妃候補から引きずり下ろそうとしたと考えているんだね」
「ああ。治癒魔導士でさえ知らない者がいる『命の時計』を知っているのは、当時の内情を知る者……当事者の関係者だけだ。当時は王太子、現国王陛下にも知らされていない。俺は魔法をかけた犯人を探し、必ず解呪させてやる」
決意に満ちた瞳を見て、セドリックは唇を歪めて微かに笑った。
「ありがとう。……僕は落ち込んでばかりで、解決しようと動き出せないでいた。レイが道先を示してくれたから、希望が見えた気がするよ」
そっとレイモンドの肩に手を回し、セドリックは軽くハグをした。
説明的ですみません。




