308 悪役令嬢と黒い蝶
王宮の一室で、グランディア国王は渋い顔をしていた。
「本当なのか?オリバー。私はどうも信じられないのだが……」
「間違いない。俺の部下達が嘘を言うわけがなかろう」
騎士団長オリバー・ヴィルソードは分厚い胸を反らして、ハッハッハッハと豪快に笑った。
「自慢するほどのことでもないぞ。本来なら、予兆に気づいて襲撃を防ぐのが騎士団の仕事だろうに」
オードファン宰相が眼鏡を押し上げた。ざっと目を通した書類を王に渡し、
「複数の証言が得られているようだ。マリナ嬢が撃たれた瞬間、手を挙げた男がいたと」
と要点を説明した。
「な?しっかり書いてあるだろう?長い黒髪の背が高い若い男で、銀髪の少女を連れていたと。広場から大通り、市場までうちの奴らが走り回って情報を聞き出したんだぞ。お出ましが何度かあったから、情報を整理するのに時間がかかった。遅くなって悪かった」
「全くだ」
宰相は申し訳なさそうに頭を掻いた騎士団長を一言で切り捨てた。フレディは相変わらずきついなとオリバーは文句を言っている。
「銀髪?ハーリオン家の姉妹ではないのか?他に銀髪の令嬢はいるのか、フレディ」
王が椅子から身を乗り出した。愛称で呼ばれた宰相は王から書類を受けとる。
「ハーリオン姉妹の可能性は高いな。見事な銀髪を持つのは、貴族の中ではあの姉妹とその母だけだ。市井でも銀髪はかなり珍しい。ハーリオン侯爵夫人には血が繋がった兄弟姉妹はいないから、十中八九、妹の誰かだろう」
「姉妹なのに、怪しい男に姉を狙わせたのか?んん?おかしいぞ」
オリバーは自分の持ってきた報告書に疑問を呈し、盛んに太い首を捻っている。
「忘れたのか、オリバー。狙われたのはマリナではないよ。マリナはセドリックを庇った。つまり、ハーリオン姉妹の誰かと一緒にいた男が、セドリックを魔法で撃ったんだ」
王は静かに結論を出した。視線だけで宰相に意思を伝えると、彼はすっと椅子から立ち上がり、
「マリナ嬢が受けた魔法はかなり高度だったと聞いている。容疑者は絞られるな」
と言い置いて、王の御前を辞した。
◆◆◆
エミリーがマシューに抱かれて転移した先は、魔法科教官室ではなく、独身寮のマシューの部屋だった。
「……教官室に行くって言ったくせに」
「気が変わった」
黒衣の全属性魔導士は、フッと笑って黒と赤の瞳を細めた。
――くっ……嘘つきなのにカッコいいって反則っ。
エミリーは彼を見ないようにして、本棚に向かって立った。マシューの部屋は家具が少なく、至る所に魔法書が積み重なっている。この雑多な空間に座る場所があるとすればベッドだ。何か期待しているように思われたら恥ずかしい。
「『命の時計』のこと、何か分かったの?」
振り返らずに問うと、背中から長い腕で抱きしめられる。ローブを脱いだ白いシャツに、素のままのマシューを見た気がして、エミリーの胸が高鳴った。
「兄さんが宮廷魔導士の資料庫で探したが、王宮内には『命の時計』について記した魔法書は見つからなかった。ステファニーの話では、治癒魔導士の間では口伝されるものらしい。最初に魔法を作り出した魔導士は、研究ノートに書き記していて、危険な魔法だから書き写されてはいない」
「原本は?一冊しかないってこと?」
身を捩って見上げる。喉仏とすっきりとした顎の線が目に入る。鬱陶しい黒髪で普段はあまり見えないが、マシューの色気はこういうところにあるのだとエミリーは思った。
「そうだ。……そのノートが収蔵されているのは、厳重な機密保持ができる場所だ」
「……王立図書館?」
「地下書庫の深い階層にあるそうだ。俺も入ったことはないが、王族や公爵家の者なら、入れるかもしれない」
「『命の時計』の魔法を使った魔導士は、どうにかして地下書庫に入り込み、術式と呪文を調べたんだわ」
「王族は国王夫妻と王太子、それに王女の四人だけだろう。公爵家三家のうち、二家は遠くの領地にいて王都に来ていない。オードファン公爵は宰相を務めていて、王太子を狙う理由がない。調べた者は王族と公爵家以外の可能性が高いな。術式が書き写されたとすると……」
「術式を書き写すにも手間がかかるはず。物を盗むように、簡単にはいかない。でも、ノートが盗まれたなら話は別」
マシューと視線を合わせると、彼は瞬き一つせずにエミリーを見つめた。
「重要機密資料が盗まれたのか。犯人を見つけさえすれば、一生投獄できるくらいの刑には処されるな。俺は引き続き、兄さんと連絡を取り合って、ノートの所在を確かめる」
「私はマリナと王太子が近づかないように気をつけておく。マリナの奴、今朝は一人で男子寮に迎えに行って……」
「不調は」
「なかった。ジュリアが下手こいて、魔法のことがマリナにバレた」
「な……!」
赤い瞳が一瞬ギラリと輝いた。動揺したのかマシューの魔力が漏れている。
「ジュリアが説得したはず。マリナが納得したかは知らない」
「……そうか。ところで、エミリー」
「ん?」
抱きしめた腕を解き、マシューは古びた茶色い机の引き出しから箱を取り出した。可愛らしさも何もない、白い紙製の箱である。
「銀雪祭の夜はパーティーだろう。これを」
受け取って紙箱を開ける。
「あ……」
黒い金属製の蝶だ。裏に留め金がついていて、大きさからも髪飾りだと分かる。蝶の羽根には透ける銀細工が使われ、ルビーが散りばめられている。
「よかったら、パーティーで使ってくれ」
「ありがとう。マシューは出ないの?ダンス、したかったな……」
何気なくエミリーが訊ねると、マシューは口元を押さえて顔を背けた。




