306 悪役令嬢は彫像になる
「ジュリア……説明して」
魔法科一年の教室の前で、エミリーは姉二人を白い目で見た。
アルカイックスマイルを浮かべて立っているマリナと、絶えず乾いた笑いを漏らしているジュリアは、エミリーが教室に来るのを待っていたのだ。
「あ……っとさ、例の話、エミリーから説明してもらおうと思って」
「例の話?」
「だから……」
言い淀むジュリアを押しのけて、マリナが一歩前に出た。
「ジュリアが言ったのよ。セドリック様に近づいて身体は大丈夫だったのかって」
――ジュリアに教えるんじゃなかった!
猛烈に後悔していたが、エミリーは表情を変えずに、
「ここじゃ誰かに聞かれるから、自習室に行こう」
と淡々と言った。マリナの背中を押してとぼとぼと廊下を進みながら、後ろを歩くジュリアに二度ほど軽い風魔法をお見舞いしてやる。
「ぐふっ」
「……」
「エミリー、やったな!」
「やられて当然」
エミリーは上から目線でジュリアを睨み、鼻で笑った。
◆◆◆
「……」
「……マリナ?」
ジュリアは姉の目の前で指を三本出して、ぶんぶんと振ってみたが反応がない。
「屍か?」
「……だから、教えない方がよかったのに」
溜息をついたエミリーは、椅子からすっと立ち上がった。
「どこ行くの?」
「説明終わったから、教室に帰る。……術式も書きたいし」
「マリナはどうするのさ?」
「ジュリアが連れてって。どうせ、剣技科に戻る途中でしょ」
ばさりと音を立てて黒いローブを翻し、エミリーは自習室を出て行った。
後に残されたジュリアは、完全に固まっているマリナの隣に座り、鼻の辺りに手をかざす。
「よかった、息はしてるね」
まるで彫像のように動かず、呼吸もしていないのかと疑うほどだ。マリナは微動だにせず、床の一点を見つめていた。
「……エミリーがさ、対抗する魔法を考えるって言ってた。マシューと二人で研究してるって。あの子、魔法はチートじゃん?きっと解け……」
「どこにそんな保証があるの?」
マリナはカッと目を見開きジュリアを凝視した。瞳は涙に濡れている。
「ねえ?いつになったら解けるの?明日?明後日?それとも一年後?」
「いや、それは……」
「何年待ったら解けるの?」
「エミリーは頑張ってて……」
「何もしないで待っていろって?」
制服の喉元を締められるように掴まれ、ジュリアは思わず椅子の背凭れにのけ反った。
「魔法に関して、マリナはどうにもできないじゃんか!」
「そうね。術式を書けと言われてもできないわ。でも、私は……セドリック様との幸せな未来のために、自分にできることはしたい。既定路線通りにバッドエンドへ突き進むゲームの悪役令嬢なんかじゃない、諦めたらそこで終わりなのよ。一人の人間として、貪欲に生きるって決めたの」
ジュリアはしばらく黙ったままだった。
一度深く頷くと、マリナの手を両手で包み込むように握った。
「ねえ、マリナ。仮に魔法が解けなかったら、解ける見込みがないって分かっても、殿下の傍にいたい?残された命の時間がほんの数年で、残された殿下がマリナを死に追いやった十字架を背負って、一生苦しむとしても?」
「……っ!」
二人は瞳の奥の感情を探り合うように見つめ合った。
「私はマリナに生きてほしい。殿下にも悲しい思いはしてほしくないと思うよ。……それに、私が『命の時計』の魔法をかけられたら、……うん。諸国漫遊の旅にでも出るかな」
どこかに悲しみを隠し、ジュリアは歯を見せてにっと笑う。
「……何それ」
マリナがくすっと笑った。
「いいでしょ?とりあえず、印籠を出す係の付き人は欲しいよね。傭兵になってもいいかな。んで、行った先でアレックスに手紙を書くよ。返事は期待しないでおこうかな。アレックスは手紙が苦手だから」
「ジュリアは、……離れるの?」
「そう。婚約者兼親友から、ただの親友に戻るってわけ。そりゃ、最初はすっごい辛いと思うんだ。声も聞きたいし、会って話したいことがたくさんあるから。……アレックスは公爵家の跡取りだし、誰か他の令嬢を妻にするんだろうね。騎士団長になって、皆に慕われて……」
次第に声が小さくなり、ジュリアは頭を左右に激しく振った。
「あー、ダメダメ。暗くなっちゃった。うん。私はマリナに協力する。ただし!」
「ただし?」
「命を縮めるのは許さない。魔法が解けるまで、殿下と接触禁止!」
「ジュリアが決めることかしら?」
「当たり前よぉ。私、マリナが死んじゃって、悲しい思いをしたくないんだからね!」
ビシッ。
鼻先に指を突き付けられ、マリナは眉間に皺を寄せた。
◆◆◆
「マリナに、『命の時計』を……?」
レイモンドは絶句した。昨日調べたばかりの魔法の名が、幼馴染で無二の親友であるはとこの口から出たことに。
「うん。レイは知らないと思うけど、とても危険な魔法なんだ」
「……知っている。昨日偶然調べたんだが、あまり使われた例はないらしいな」
「そうなんだ。僕も王宮の書庫で調べてみたんだよ。どれも魔法を解けないままに、皆亡くなってしまっているんだ。僕は、マリナを死なせたくない」
「お前が近づけば、マリナの命が縮む。一生避け続けなければならないんだぞ?」
セドリックは悲しげに目を伏せた。やがて、窓の外に広がる雪景色に視線を向ける。
「きっと、僕の心が参ってしまうだろうね。いっそのこと、リオネルに頼んでアスタシフォンに行かせようかと思ったりもしたよ。僕のいないところで幸せになれるのなら」
「お前はそれでいいのか?」
バン。
窓際の机を叩き、セドリックは伏せるように崩れ落ちた。
「……嫌だ。離れたくないんだよ。僕の我儘で彼女の命を削ると分かっているのに!」
肩が細かく震えている。レイモンドはそっと手をかけて撫でた。
「学院の資料室で俺が『命の時計』を調べた時、資料にかけられた魔法は俺を認め、隠された情報をくれた。……つまり、俺にとって必要な情報だからだ。お前の助けになれと、俺を指名したんだ」
「レイ……」
「俺はあらゆる方法でお前を助ける。側近だからではなく、お前の兄代わり、親友として」
「ありがとう……!」
がばっ。
机に伏せていたセドリックが振り向くと、レイモンドはぎょっとして彼の顔を見た。海の色の瞳からは滝のように涙が溢れ、両方の鼻の穴からは鼻水が出ている。
「セドリック、顔を……って、やめろ!」
感激したセドリックが抱きつき、ブレザーとワイシャツを鼻水で濡らされたレイモンドが絶叫すると、遠くで予鈴が聞こえた。




