35 悪役令嬢はスコーンをこぼす
半年後。王宮の中庭にて。
定期的に招かれ、今日も王太子セドリックとお茶を飲むマリナである。アレックスが緊張した面持ちで傍らに付き添い、ジュリアは話を聞かずにお菓子を食べあさっている。
十二歳の令嬢が口の端にクッキーのカスをつけていると知ったら、お母様が卒倒するわね。
マリナは残念な妹を憐みの目で見つめた。それから王太子に向き直り
「この間のドレス、王妃様の反応はいまいちでしたね」
と手短に感想を述べた。
マリナのドレスを着せて王妃に見せて喜ばれて以来、セドリックは仕立て屋にドレスを注文し、それを着せに来るようマリナを誘っている。いちいち誘わなくてもいいのに。王宮にはたくさんの侍女がいるのだから。
「うん。母上はこのところ、随分とお疲れのようだから。先日も眩暈がしてお倒れになられたんだ」
「心配ですわね。どこかお悪いのでは……」
「そのう……、お腹に僕の弟か妹がいるから。父上はとても心配されて、公務のない時間は常に母上に付き添っておられるんだ。」
王が始終べったりと貼りついていたのでは、ドレスを着て見せる機会もないだろう。
「では、なかなかドレス姿をお見せできませんね」
「うん。昨日もマリナがいないときに、侍女にドレスを着せてもらって、母上のお部屋に行ったんだ。そうしたら」
自分がいない時にも女装しているのか、とマリナは呆れて王太子を見た。
「母上はあまり喜ばれなかったし、僕も、なんだか……」
「殿下?」
言いよどんだセドリックは、覗き込んだマリナの瞳をじっと見つめた。
「……君に着せてもらうほうがいいって思った」
――何だと?
マリナの顔が引きつった。が、ここは侯爵令嬢の意地で笑顔を死守する。
「私より、侍女の方が慣れていますわよ」
「うん。だけど、なんか違う」
ドレスを着せる際、セドリックの服を脱がすのもマリナの役目になってしまっている。胸元を寛げるときの小さく息を詰める様子や、何気なく指先が肌に触れた瞬間に「ひっ」と声が漏れることがあったが、特段気にせずにいた。
――これはまずい。王太子に変な性癖を植え付けてしまった。
将来の王が変態になっては、婚約破棄がうまくいって没落しなかったとしても、国家の不安要素になってしまう。
考え込んでしまったとセドリックを見れば、長い睫毛が影を落とす青い瞳が、物言いたげにマリナを見つめている。王子の威厳は全く感じさせなかった。
「ねえ、マリナ。お願いがある」
セドリックはマリナの手を取った。この頃アレックスの父である騎士団長に真面目に剣を教わっているため、あどけない容姿と裏腹に彼の手は少し硬い。
「何でしょうか」
「君の手で、僕の服を、脱がせてみてくれないか」
王太子は瞳を期待で輝かせて、真剣にマリナを見ている。
マリナが目を見開いて固まり、ジュリアがぶほっと口に入れていたスコーンを吹き出し、アレックスが紅茶をひっくり返したところで、侍従が何事かと駆け寄ってきたのだった。
◆◆◆
ハーリオン侯爵家、四つ子姉妹の寝室にて。
「やばいね、あれは。……くくっ、はっはっは!」
ジュリアは盛大に笑い転げた。
「笑い事じゃないわよ、ジュリア!」
「ごめんごめん。だって、王子が変態とはね」
四姉妹は、今回明らかになった王太子の性癖について、秘密の会議を開いているところだった。
「女装に目覚めさせたんじゃなかったのか?」
エミリーが怪訝そうに言う。
「私もそう思ってたよ。マリナちゃんが無理やり女装させたって言うから……」
アリッサは大きな熊のぬいぐるみを抱きかかえ、頭に顎を乗せるようにしている。小首を傾げるのもいつも通りだ。
「セドリック殿下にドレスを着せる時、いつも私が一人で着せていたの。先に殿下の衣装を脱がせて。言っとくけど、私だって緊張するんだからね!」
顔を赤くして力説するも、マリナを姉妹たちは楽しそうに眺める。
「王太子様、服脱がせられてドキドキしちゃったんだ……」
「まあ、マリナだってそこいらの令嬢なんか足元にも及ばない美少女なんだよ?まだまだ子供の王子とはいえ、美少女に服脱がされて触られたら……」
「そんな!触るだなんて!」
「触ってないわけがないでしょ。無意識にエッロい触り方したんじゃないの。マリナ、美少年好きじゃん」
ジュリアがにやにや笑う。
エミリーは魔法で天井に、マリナに肌を触られて赤くなる王子の幻影を描き、姉をからかう。
「エミリー!やめなさい!」
マリナがエミリーにクッションを投げつけると、エミリーの集中が途切れて幻影が消えた。
「よかったじゃない、マリナちゃん。ゲームのシナリオとは確実に違ってきているわ。セドリック殿下は婚約者が誰でもよかったはずで、今みたいに望まれて婚約したのではなかったの。それに、殿下はマリナちゃんに触られるのが好きな変態なら、ヒロインが現れても簡単に靡いたりしないと思う」
「マリナが変態王子のお世話役確定、ってことで、今日は解散でいいわね。お疲れー」
エミリーがマリナにクッションを投げ返し、自分のベッドに引き上げる。四つ並んだ天蓋付きのベッドの端がエミリーのベッドである。朝日が差すのが嫌いなエミリーは、部屋の入口に近い位置にベッドがある。さらに闇魔法で周囲だけ暗くして、完全な暗室にして寝るのが好きなのだ。
「おやすみー」
ジュリアが窓際のベッドに移動すると、隣のベッドの主アリッサがランプを消し、姉妹の寝室は闇に包まれた。
マリナはベッドに横になると、寝具を引き被って考えた。
王と王妃は、ゲームシナリオにはない二人目の子ができるくらい仲睦まじい。危惧していたように、四姉妹の母であるソフィアが王の愛妾になることはないだろう。王太子に断罪されてつらい目に遭わせられる理由の一つ、ハーリオン侯爵令嬢が父の愛妾の娘だったからという事実は、これで消滅させられたと思う。しかし……。
「君の手で、僕の服を、脱がせてみてくれないか、か……」
王太子セドリックの真剣な、熱を帯びた眼差しが、マリナの脳裏に何度もフラッシュバックするのだった。




