34 悪役令嬢と王宮の怪談
王立図書館の前にハーリオン家の紋章がついた馬車が到着し、建物の前で待ち構えていた少年が馬車に駆け寄る。ドアが開けられ、中にいた少女に手を差し出す。
「お待たせして申し訳ありません」
「今日もかわいらしく着飾ってくれたな。嬉しいよ」
アリッサの手を引き、レイモンドは彼女の頭からつま先まで、少しの乱れもない完璧な服装に目をやる。
「そんなっ。少しでも見栄えをよくしようと、時間ばかりかけてしまって」
父に内緒で家を抜け出すには、頃合いを見計らう必要があった。ただ待っているより美しく着飾ろうと髪型や薄化粧に気合を入れた。侯爵がなかなか出かけてくれず、アリッサは完璧すぎる身支度で図書館へ来たのだ。
従者から本を受け取ると、二人並んで館内へと進む。
「この間の本は返すんだろう?」
「はい。面白くてあっという間でしたわ」
「そうか。……うん。今日はあちらの棚にある本にしよう」
図書館に来るたび、アリッサはレイモンドにおすすめの本を紹介してもらい、一冊借りて帰ることにしていた。
受付カウンターでレイモンドは男性に呼び止められた。仕立ての良い上着が高い身分を思わせる。
「植物学と生物学の棚に新しい本が入ったよ。君が気に入るような外国の本だ」
「ありがとうございます。侯爵のお力で次々と良い本が揃えられていると、僕の知り合いも皆喜んでおりました」
「私の力など取るに足らないよ。全ては優秀な職員がやってくれたのだからね。……そちらのご令嬢は、君の?」
「アリッサ」
手招きされてレイモンドの隣に立ち、アリッサは淑女の礼をした。
「おやおや、こんなに素敵なご令嬢が、レイモンド君のような本の虫に……ああ、申し遅れたね。私はグレゴリー・エンフィールド。新しくここの副館長になったんだよ」
エンフィールド侯爵の名前は、アリッサも聞いたことがあった。辺境を領地に持つ侯爵家の中でも特に広い領地を有し、農産物の品種改良や特産品開発など、領地経営にも熱心な人物だと。領地はハーリオン侯爵領の近くだったはずだ。見たところ二十代半ばか。肩にかかる金髪は少し波打ち、眼鏡の奥の茶色い瞳は長い睫毛に縁どられている。副館長を務めるには若いのだろうが、王に請われて役目に就いたのだろう。彼は若いのに先見の明があると、父のハーリオン侯爵も褒めていた。
「彼女も僕と同じ、読書を趣味にしているのです」
「ほう。それは珍しい」
女性や子供だから図書館に来てはいけないとは思っていないらしく、エンフィールドはただ驚いているようだった。前任者の一件を知っているようで、これからもどんどん来てくれと二人は頭を撫でられた。
昼下がりの王立図書館は人もまばらだ。司書も交代で休憩に入っており、人気のない書物のエリアは全く人が通らない。
「この本はどうだい、アリッサ」
目を細めて微笑みながら、レイモンドは黒地に金箔押しの重厚な装丁の本を机の上に置いた。ドスン、と音がして埃が舞う。
「うわ」
「読む人がいなかったみたいだな」
レイモンドはくすくすと笑う。この優しい彼が、ゲームの中ではツン:デレ=9:1の難攻不落キャラだとは思えない。アリッサを甘やかしまくっている。
「……この本、もしかして……」
黒い表紙に銀色で文字が刻印されているそれは、見るからに重々しい雰囲気を放っている。
「『グランディア怪異譚』だよ。各地に伝わる怖い噂話の類を集めた読み物だ。夜寝る前に読んでみたらどうだ?」
本をアリッサの頭の上にコツンと載せる。頭頂部につけた若草色のシフォンのリボンがくしゃりと潰れた。綺麗に髪をまとめているのに酷い。
「レイ様!」
怖い話が嫌いなアリッサをからかってこの本を選んだに違いないのだが、それにしても寝る前に読めとは。眠れなくなるではないか。
「特にお勧めはここ。王宮の章、東翼の首なし騎士の……」
「ひぃぃ……」
アリッサは耳を塞いで顔を背けた。レイモンドは彼女の背後に回ると、左右の細い手首を掴んで下ろす。
「……怖がらないで」
耳元で囁かれ吐息がかかると、アリッサは混乱して真っ赤になった。
「君なら、この本の面白さが十二分に分かると思う」
「私、怖い話はちょっと……」
「この話の冒頭を見てごらん。ノーレスド地方のある貴族が初めて王都の王宮に行った時、とあるだろう。これがすべての鍵なんだ」
◆◆◆
グランディア怪異譚 巻之六 王宮の章 第十二話
東翼の首なし騎士
昔、王に仕える騎士ありて、密かに王子の許嫁たる娘に懸想したり。娘に胸中を告白すれば、王大いに怒り忽ち捕らえられ、明くる日に斬首されたり。
新たに貴族位に就きたる男、王に見えんとし、鄙より王都に来たりて其を聞く。
王に見えて後、漸く風雨激しくなりて王宮に留まれば、闇夜に鎧の音高く其は現れたり。
血を纏いし騎士に首無し。首を求めて歩き……
「やあああ、もう、やめてください……」
レイモンドが読み上げていた隣で、アリッサが涙目になって頭を振っている。
「どうした、まだ終わっていないぞ」
「王宮には首がない騎士様の、お化けがでるんですか?」
「どうだろうな。この本に書かれていることは、あくまで伝承に過ぎないが」
「そんなあ……」
怖くてもう王宮には行けないとアリッサは思った。
「アリッサはこの国の歴史書は一通り読んだか」
「はい」
「歴史的事柄には複数の説が存在する。我々後世の者は、一つの側面だけを見て判断してはいけない。怪談もそうだ」
涙を擦り、アリッサは目を丸くしてレイモンドを見た。
「怪異譚は年代順に構成されている。前後の物語から、この首なし騎士の話がいつ頃のものか推測できるだろう」
第十一話と第十三話は、共に歴史的戦いに端を発するもののようだ。戦いの終結から次の戦いまでは三十年ある。この物語はその間のことなのだろうか。
「騎士を処刑した王は誰なのか、懸想された王太子妃は誰なのか。アリッサなら分かるはずだ」
「はい。歴史書を読みかえしてみます!」
「よろしい」
レイモンドは満足そうに目を細め、モノクルの端をつまんで上げた。
「物語の中には情報がいくつも詰まっているんだ。この話だけではなく、他も読んでみて感想を聞かせてくれないか」
どこまでが本当の話なのか。アリッサは文字を追いながら思った。視線をレイモンドに向けると、すぐに視線が絡み、レイモンドのアイスブルーの瞳が熱を孕む。
「……騎士の話が嘘だとしても、少し共感する部分はあるな。俺は君が王子の婚約者になっても王子から奪ってみせる。安心しろ」
いきなり何の話?とアリッサは言いそうになったが、小さな唇をキスで塞がれる。
先日、アリッサが王太子妃候補に内定したと誤解したレイモンドは、他人の物になると知って初めて彼女を奪われたくないと思い、激しい独占欲に駆られてキスの雨を降らせた。二人の想いを確認し合ってからは、アリッサがキスに抵抗がなくなったのをこれ幸いと、隙あらば唇を奪うようになったのだ。
「レ、レイ様……ここ、図書館です」
「うん。分かっているよ、アリッサ」
首の後ろに手を滑らせ、銀の髪を梳いていたかと思うと、再び唇を重ねてくる。
「ん、む……ふっ……」
――気が遠くなりそう。
「君達」
突然大人の男性の声が聞こえ、レイモンドはアリッサから手を放し、声の主を見た。
「あ……」
アリッサはいたたまれなくなって涙目で下を向く。
「誰も来ないからと言って、閲覧室でキスするのはやめてくれないか」
「……」
レイモンドは相手を見て俯いた。
「エンフィールド侯爵……」
「私は若い人の恋愛には寛容なつもりだが……君達は少々度が過ぎるようだね」
「申し訳ありません」
「宰相閣下のご令息は、ハーリオン侯爵にお許しがもらえていない、内緒で図書館で逢引していると噂が立っているんだよ。レイモンド君はいいとしても、アリッサ嬢には不名誉な噂だ」
「その通りです」
「早くハーリオン侯爵に認められて、互いの家を行き来できるようになれば、思う存分キスできるぞ」
エンフィールド侯爵は、たれ目の瞳で悪戯っぽく二人を見ると、ふっと笑いながら書棚の向こうへ消えた。
◆◆◆
自室に籠り、歴史書を読み漁るアリッサに、異様なものを感じた姉達は声をかけた。
「大丈夫?随分根を詰めているみたいね」
マリナが妹を労った。
「その本前にも読んでたねー。全っ然面白そうに思えないけど」
「首なし騎士の謎を解いているの」
「首なし騎士?」
マリナとジュリアの声が重なる。声に驚いたエミリーが弄んでいた魔法石を床に落とし、キラキラと魔力が霧散する。
「王子の婚約者に思いを寄せて斬首刑になった騎士が、夜な夜な王宮の中を、首を探して歩くっていう……」
「嫌だ、アリッサ。あなた怖い話は苦手でしょう」
「そうね。でも、これには裏がありそうなのよ、マリナちゃん」
「首なし騎士かぁ~。出会ったら勝てる気がしないな」
ジュリアは頭を掻いた。
「待てよ。相手に首がないから目は見えない?回り込めば勝てる?」
「幽霊相手に必勝法を模索するのはやめなさい、ジュリア」
「だってー」
「あまり夜更かししないようにね、アリッサ」
「うん。ありがとうマリナちゃん」
マリナはジュリアの背を押すようにしてベッドまで行くと、魔力で灯されていた部屋の灯りを消した。




