295 悪役令嬢は不恰好なカップを笑う
涙が落ち着くのを待って、マシューはエミリーを抱きかかえたまま、転移魔法で学院へ戻った。生徒に見られないように、魔法科教官室の裏手に転移する。
「……泣き止んだか、エミリー」
「うん」
「少し、教官室で話していくか?」
「うん」
マリナの命が縮まると聞かされてから、エミリーは一頻り泣いて、後は何を言っても頷くだけだった。マシューの耳に風魔法で兄から、マリナが目覚めたと連絡が入る。その後に続いた話をエミリーにするべきかどうか、彼は迷っていた。
ぼんやりしているエミリーを長椅子に座らせ、寒くないように光魔法球を浮かべて部屋を温める。魔導具で湯を沸かし、ありあわせの茶葉で紅茶を淹れた。
「飲め。落ち着くぞ」
「……ありがとう」
使いこんだマシューのカップは、幼い頃に土魔法と火魔法の練習のために作ったものだ。見た目は不恰好だが手に馴染む。手渡すとエミリーはくすっと笑った。
「変なカップ」
「いいだろう?」
「どこが?」
言い合いをしているうちに、少しだけ元気が出てきた。マシューは目を細めて、紅茶を啜るエミリーを見つめている。
「マリナが目覚めたと、兄さんから連絡があった。まだ起き上がれないらしいが」
「……よかった。歩けるようになったら、学院にも戻れるね」
「ああ。……だが、一つだけ気をつけなければいけない」
「命の時計のこと?まだ発動要因が分からないから……」
マシューはエミリーに告げるべきかどうか逡巡したが、マリナの身近に事実を知る者がいなければ、気づかずに命を縮めてしまいかねない。思い切ってエミリーに言うことにした。
「何が時計を早めるか、ステファニーが気づいたそうだ。……時計を早めるのは、セドリック王太子だ」
「王太子?」
エミリーは紅茶の入ったカップをテーブルに置いた。手が震えて零しそうだ。
「犯人は禁忌の術式をそのまま使ったんだろう。命を縮める速度だけを変えて。最愛の人の傍にいるだけで、命が縮まるように」
「じゃあ、マリナは……王太子に近寄れないの?」
「殿下が部屋に入って来た時に苦しみだしたそうだ。近寄ってはいけないと、兄さんが殿下に話した」
「マリナはこのことを知ってるの?」
王太子に振り回されながらも、相思相愛になってからのマリナは幸せそうだった。バッドエンドなど撥ね退ける意気込みで、必ず彼と幸せになると言っていたのに。
――酷すぎる。
「知らない。兄さんもステファニーも、命が縮まるなんて可哀想で言えるわけがないだろう」
◆◆◆
暗澹たる気持ちで寮に戻ったエミリーは、部屋に入るなり大きな毛糸玉に躓いた。
「……ったぁ……何?」
「ごめんね、エミリーちゃん。セーターの毛糸が」
「見てよエミリー。アリッサったらまた解いてんの。いつになったら完成するの?って感じ」
隣の部屋から出てきたジュリアが肩を竦め、転んでいるエミリーを引っ張って立たせた。
「途中まで編んだんだけど、やっぱり別なデザインの方がいいかなって思って……」
「前のやつでよかったと思うけどな。つか、完成させて別なの編めばいいじゃん」
「うう……」
アリッサは悔しそうに唇を噛んだ。ジュリアの話も一理あると思ったのだろう。
「マリナはまだ目が覚めないの?今日も泊まりだね」
「うん。目は覚めたみたい。まだ立てないって」
「心配だね。マリナちゃんが魔法で撃たれるなんて……」
「撃たれたのは殿下でしょ?マリナが庇ったって、寮でもすごい噂になってるよ」
ジュリアは女子寮の中の噂話をし始めた。姉の結婚式に出席した帰りに、広場から返ってくる人の群れに話を聞いた生徒が、寮に戻るなり瞬く間に噂が広まった。演説をしていたセドリックが魔法で狙われ、婚約者として紹介されたばかりのマリナが彼を庇って倒れたと、大筋では事実の通りだった。
「でさ、魔法で大怪我したって本当なの?王宮からの連絡だと、傷はないんでしょ?」
「怪我は……してない」
「歩けないのは何で?マリナちゃん、魔法でバルコニーから飛ばされちゃったの?」
「飛んでない。……魔法弾の効果が胸に残ったから」
「効果が、残る?」
魔法に全く造詣が深くないジュリアが首を傾げる。さっぱり分からんという顔だ。
「……マリナには、言わないって約束……できる?」
姉二人を交互に見る。二人が頷いたのを確認し、エミリーは重い口を開いた。
◆◆◆
エミリーの話を聞いた後、ジュリアとアリッサは何も言わず、ただ隣に腰かけていた。
ガタッ。
アリッサがいきなり立ち上がり、寝室へと走って行き、しばらくして嗚咽が聞こえてきた。
「……エミリー」
「何」
「エミリーがもし、マリナと同じ魔法にかかったら、どうしたい?ほんの数年しか一緒にいられなくても、マシューと暮らしたい?」
アメジストの瞳が遠くを見つめ、エミリーはすぐに頷いた。
「……数年しかいられないからこそ、一緒にいたい」
「そっか」
ジュリアは頭の後ろで手を組み、足を組み直した。
「私は生きててほしいと思うよ。マリナにも、エミリーにも。勿論、アリッサもね。でも、その気持ちって、殿下と一緒にいたいってマリナが思ったら、迷惑なんじゃないか。妹のエゴかなって」
「魔法を解く方法が見つかれば、こっそり解いてやればいい。絶対解けないって分かったら、話して……マリナに決断させる」
「うん、いいんじゃない?アリッサが泣き止んだら言っとく」
椅子に転がった毛糸玉を籠に戻し、エミリーは着替えのために奥の部屋へと入った。気合を入れて着て行った可愛らしいドレスを脱がされながら、エミリーは襲い来る不安に震えた。まるで自分達が幸せを手に入れられないかのように仕組まれている……。
「強制力……?」
「どうなさいました、エミリー様?」
「……何でもない」
「お部屋をもっと暖めますね。震えていらっしゃるなんて」
気が利かずに申し訳ないと謝り、リリーはすぐに温かいガウンを持ってきた。ぬくもりに触れて泣き出しそうになるのを堪え、エミリーは瞬きを繰り返した。




