282 義父上の提案
【ハロルド視点】
久しぶりに私はハーリオン侯爵邸の門をくぐった。紋章つきの馬車が玄関に着くと、待ち構えていた従僕が中に走っていく。ほどなくしてハーリオン侯爵夫妻が現れた。
「待っていたよ、ハロルド」
「お帰りなさい」
「只今戻りました。……クリスは?」
「クリスはお昼寝中よ。おやつの前には起きるでしょう」
他愛ない会話を交わしながら、私は義父の書斎へと向かった。
「無理を言って……ずずっ……すまないな。……ずずっ。試験が終わったばかりだというのに」
義父上は指定席の一人掛け椅子ではなく、私の隣に座ってジョンが淹れた紅茶をすする。猫舌だからか少し口をつけては離し、会話をしようとするものだから聞き取りにくい。
「ビルクールで調べたいことがおありだとか」
「ああ。例の種の件だよ。ビルクール海運が輸出しているのでなければ、どこの会社の船に乗っているのか。我が国の会社ではなく、アスタシフォンの会社の可能性もある。アスタシフォン語が得意な君についてきてもらえれば心強い」
「私でお役に立てるのでしたら、何でもいたします」
語学力を褒められるのは単純に嬉しかった。義父上に認められれば、将来海運会社を任せてもらえる可能性もある。――勿論、マリナの婿として。
医務室のロン先生に事情を話し、何度か転移魔法でビルクールへ行った。一人で調査したところでは、やはり私の名を冠したユーデピオレの種が積荷のリストにあった。載せた船はバラバラで、ハーリオン家所有の船はない。ユーデピオレの種を一袋持ち帰って中身を調べると、どれも薬効のない白ピオリの種であり、万能解毒薬として売るのは詐欺だと分かった。ビルクールの街では売りさばかれていないことは確認済みだ。
「これは?」
「先日、ビルクールで入手しました」
「なんと、一人で行って来たのか?」
「報告せずに申し訳ありません」
頭を下げると、楽しそうな笑い声がした。
「義父上?」
「いや。私は喜んでいるんだよ。君の行動力に脱帽だ」
「転移魔法を使える先生にお願いして、ビルクールまで送っていただきました。帰りは街の魔法陣から王都へ戻りました」
「気をつけなさい。君は見た目が華やかで目を引くし、誰が見ているかも分からない。それこそ、誰が味方で誰が敵なのかも」
「はい。学内では見咎められないようにしています。……王宮へユーデピオレの種を見に行った時に、マリナに馬車を見つけられてしまいましたが」
「マリナには事情を話したのか?」
「いいえ。危険に巻き込みたくありませんので」
「賢明な判断だな」
実の娘には日向の道を歩かせたいという父親の気持ちをひしひしと感じた。
「ユーデピオレから作った解毒薬は王宮で保管している。過去の例から、王族に毒を盛る事件が起こった時に備えてだ。博物館で厳重に管理している赤ピオリの種は、何重にも魔法の鍵がかかっている先にある。君が手紙に書いていたように、簡単に輸出できる品ではないよ。だが……ピオリの木は国内に広く自生している。稀に咲くピオリの赤い花が毒の種を持つと知ったら、悪用する者も出てくるだろう」
「私が恐れているのはそれなのです。グランディア国内でも知られていない赤ピオリの種の毒性を、他国に気づかれてしまったら……」
「毒薬一つでグランディアの国内に騒乱が起こるだろうな。考えたくはないが、王家が毒薬で断絶ともなれば、王位を巡る戦争に発展しかねない。しかも、毒薬のもととなる植物はグランディアにしかないとなれば、毒殺を企てたのが他国の人間だったとしても、犯罪の証拠を揃えるのは容易ではない。相手国にでっち上げだと言われればそれまでだ」
義父上は紅茶に口をつけた。
少し考えるような仕草をして、私をじっと見つめた。
「ハロルド、君に頼みがある」
「通訳として……だけではなさそうですね」
「アスタシフォン側が気づく前に、輸出元を特定して販路拡大を防ぎ、既に出回っている種を回収したい。アスタシフォンの商人に成りすまし、グランディアから輸出される種を全量買い上げるんだ」
ユーデピオレの種と称して、ピオリの種を大量に輸出すると、アスタシフォンでピオリの栽培が容易に行えてしまう。気候条件が異なっていても、植えたうちのいくらかは実を結ぶかもしれない。植えられる前に可能な限り種を回収するべきだ。
「全部……ですか?」
ハーリオン家の財力をもってすれば、買い上げることも可能だが、それは敵に資金を与えてしまうことになるのではないか。私の表情から義父上は察したらしい。心配するなと肩を叩いた。
「種を売った側が、グランディア国内で資金を使えば分かるようにするさ」
「アスタシフォンの商人としてグランディアの商船と取引するには、私はロディスに向かえばいいのですね?」
「君にとってあまりいい思い出がない場所だとは思うが……すまない。行ってくれるか?」
「はい」
私が短く頷くと、真剣な眼差しで義父上はテーブルの上の袋を手に取った。
「赤ピオリか……我が家の庭にもあるな」
「ペックに聞きましたら、十年に一回程度赤い花をつけるようです。今年の秋も赤い花をつけたと」
「そうか。種は博物館で預かることになりそうだな」
ガタリ。
私達ははっとしてドアを見た。
少しだけ開いたところから、銀色の髪が見える。
「ああ、アリッサか。入っても構わんぞ」
おどおどした様子で入ってきたアリッサは、義父上と私をちらちら窺っている。話を聞いていたのだろうか。
「お父様、お兄様、お話し中にごめんなさい。……お父様がビルクールにお出かけになる前に、お話ししておきたいことがあって」
私に聞かれたくない話なのだろう。なかなか話し始めず、こちらが出ていくのを待っているようだ。
「では、私は明日の出立の準備を整えます。……また夕食の時にお話ししましょう」
アリッサに微笑みかけて踵を返す。銀髪が肩に流れる後姿にマリナを思い出し、私は心なしか足取り軽く書斎を後にした。




