271 悪役令嬢は試験結果に呆れ返る
期末試験の翌々日、職員室前の掲示板には朝から生徒達が群がっていた。
「うわー!俺、今回も追試かよ」
「俺も!あ、補習になってフィービー先生と二人っきりもいいかな……」
「いいなあお前、俺なんか鬼のバイロン……」
剣技科三年の男子生徒が絶叫しているのを遠目に見て、マリナ・ジュリア・エミリーは、一年生の結果に目をやった。
この世界の期末試験は結果が出るのが早い。乙女ゲームの進行の都合なのか、採点にはあまり時間を要することなく結果が貼りだされた。選挙の投票と同じく、試験の答案もある程度は魔法でチェックできる。前世で言うところのマークシート方式の部分は魔法で判定する。残りの記述式の部分は、先生方が読んで点数をつけるのである。
「何もさ、最下位まで書いて貼らなくてもよくね?プライバシーはどうなってんのさ」
ジュリアが結果表を指で弾いた。
「生徒に奮起させるのが目的らしいわよ。よかったわね、ジュリア。鬼門のアスタシフォン語も最下位を免れて」
「ホント、そこはハリー兄様のお蔭だね。足向けて寝られない感じ?」
「……下から三番目」
「うるさいなあ、エミリー。そりゃ、追試だけど……」
追試確定の生徒達の上に線が一本引かれている。ここから下は、五日後に追試験を受けるという印だ。
「アリッサが見たらショックを受けるわね。全科目追試ですもの」
「欠席したんだから仕方ないよ。アリッサなら満点で合格するさ」
総合得点による順位表も貼られている。アリッサ不在により、マリナが一位を獲得した。
「すごいじゃん、マリナ。……ん?フローラが二位か。姉と親友がワンツーフィニッシュだったって聞いたら、アリッサも喜ぶよね」
「正直、自分でも驚いているわ」
「兄様に教えてもらってよかったな。次もお願いしようよ」
「私達に教えている時間があったら、お兄様だって試験勉強をしたいはずよ?あまり頼りすぎるのもご迷惑だわ」
「そうかなあ?兄様は喜んで教えてくれると思うよ。特に、マリナにはね」
「……手取り足取り」
エミリーがにやりと笑う。
「私達が心配しなくても兄様なら余裕だって。……ほら、三年の結果、見てみ?」
ジュリアに促されて三年の総合成績に視線を走らせる。タイトルのすぐ下、総合順位一位のところにハロルド・ハーリオンの名がある。
「一位……満点?」
瞠目して軽く口を開けているマリナの斜め後ろから、エミリーがそっと囁く。
「……ご・ほ・う・び」
「兄様、何をおねだりするのかな。……頑張って、マリナ」
彫像のように固まっているマリナの肩を、白い歯を見せてニヤニヤしながら、ジュリアは力一杯叩いた。
「レイモンドの奴、一位陥落したんだね」
「……どうでもいい」
「本当ね。……あら?上位に名前がないなんて、具合でも悪かったのかしら?」
「アリッサを外で待ちぼうけ食らわせるような奴、バチが当たって当然」
「まさかエミリー、呪いとかかけてないよね?」
「やってない。あいつが勝手に自滅しただけ」
眉間に皺を寄せたエミリーは、迷惑そうに吐き捨てた。
各学科でのみ学ぶ科目は総合得点に含まない。そのため、エミリーは得意科目の魔法分野の得点で勝負できない。一般教養科目の合計点では、中の上といったところだ。血眼になってキースの名前を探す。
「……は?」
キース・エンウィの名前は、ジュリア・ハーリオンの僅か二人上のところに書かれている。
「私に勝つとか豪語しておいて、これ?」
「エミリーはキースに勝ったのね。……あら?随分……」
マリナは言葉を濁した。普段のキースの様子からは、授業も真面目に受けていそうなタイプに見えるのに。
「頑張ってよかったじゃん。婚約なんか絶対言い出さないだろうし、『彼氏』も魔王にならなくて済むよ」
「……だといいけど」
◆◆◆
教室に戻ったジュリアは、クラスメイトからレナードが神と讃えられているのを目の当たりにした。
「おはよう、アレックス。あれ、どうしたの?」
ぼんやり机に肘をついているアレックスに問いかける。
「おはよう、ジュリア。レナードの奴、追試なしだったんだってさ」
「へえー。すごいね。私、アスタシフォン語と数学と歴史はダメだったよ?数学なんて点数一ケタだもん。アレックスは?」
「俺も。ついでに、剣術理論もギリギリ線の上だった。……なあ」
「ん?」
「殿下達と出かける話、あれ、無理じゃね?」
「そっかー。次の祝日は勉強しないとないよね……」
二人は大きく溜息をついた。
賑やかな教室では、『一ケタ点数自慢』(自虐)が繰り広げられている。こんな有様なので、成績は中の中で追試にならないレナードは神扱いなのである。
「おはよう、ジュリアちゃん。……あれ、その顔。試験結果を見てきたの?」
「うん。三つ追試」
「お姉さんのマリナちゃんに教えてもらいなよ。学年一位だよね」
「そうするつもり。エミリーも頑張ったし、アリッサは風邪引いて追試だけど余裕だし。あーなんで私ばっかり……」
普段から授業を真面目に受けていればいいのにとレナードは思ったが、口にしないでおいた。組んだ腕を枕にして机にうつ伏せになったジュリアの髪を撫でる。
「ジュリアちゃんには他の三人にない、いいところがいっぱいあるからね。勉強までできたら、マリナちゃん達が嫉妬しちゃうでしょ?」
「いいところ?」
視線だけ上げてレナードを見る。
「今の顔、子供みたいに拗ねてるところも、すごく可愛いよ?」
「かわ……っ!?」
「元気に動き回るから、銀髪を結ったところから解けて……」
レナードの長い指がジュリアの襟足をそっと撫でた。
「おい」
すぐにアレックスの手がレナードの手首を掴む。
「やだなあ。アレックスはすぐに目くじら立てるんだから」
「めく……?」
逞しい首を傾げる。赤い髪がさらりと揺れた。
「アスタシフォン語より、グランディア語を勉強した方がいいかもね。俺はこんな騎士団長の下で働きたくないし?」
「何だって?」
「ちょ、やめなって、アレックス。レナードもどうしたの?何か変だよ?」
ジュリアには何が変なのかうまく言い表せなかった。仲良しの三人組に生まれた緊張感に、自然と鼓動が速まるのを感じながら、無言で席に着いたレナードの背中を目で追いかけた。
次回から新章に入ります。




