267 悪役令嬢は集中力に欠ける
「ツイドネル王国は、ドドレ将軍により……」
――僕と婚約するのは、それほど嫌ですか?
「ド、ドドレ将軍によりケレファ暦……」
――僕はあなたに男として見てほしかったんです。
「ケレファ暦三百二年……ん?三百十二年?」
――友情からでも愛情は育てられると、僕は思います。
「十二年に首都のジルデが陥落……」
――僕はあなたに恋し、初めて会った時からあなたに憧れているんです。
「あ゛―――――――っ!」
寮の部屋でエミリーが絶叫した。
夕食時間までのわずかな間も、必死で勉強しているのだが、どうも集中できない。
「ゴクッ……な、何、どした?」
頬張っていたリリー特製チョコレートマフィンを呑みこみ、ジュリアが妹に走り寄った。
「どこか痛い?エミリーちゃん?」
アリッサが部屋の隅から小汚い熊のぬいぐるみを持ってくる。
「……何でもない。って、何で熊?」
「だって、具合が悪い時はこの子を抱っこすると……」
「それで治るのはアリッサだけでしょ」
「……ねえ、本当に何ともないの?エミリーが絶叫するなんて、数えるほどしか見たことないし。勉強してて分からないところがあった?」
ジュリアが教科書を覗き込む。歴史、特に世界史の教科書だと知って、うげっと仰け反る。
「分からない……そう、かもしれない」
「どこが分からないの?私でよかったら教えるよ?」
学年主席のアリッサは、テスト前だというのに余裕で編み物をしているほどだ。ハロルドの勉強会でも、記憶力が素晴らしいと初日に絶賛されている。
「……アリッサじゃ、分からない」
ガタッ。
いきなり立ち上がったエミリーに姉二人が瞠目する。
「ちょ、エミリー?」
「男子寮に行ってくる!」
図書室に寄ってから寮に戻ってきたマリナに何事かと訊く間を与えず、エミリーは転移魔法の光に包まれた。
◆◆◆
男子寮の一室。
伯爵令息であるキース・エンウィは、今年の新入生の中では家格が上の部類に入った。そのため、二年生以上の生徒やアレックスと同様に一人部屋が与えられていた。
伯爵家の生徒が連れて来ることができる使用人は一名。エンウィ家では、選りすぐったスーパー執事のダンを、一人息子の彼につけた。見た目はインチキマジックショーのマジシャンのように、先端がくるくると丸まった奇妙な髭を生やしているが、ダンは器用で裁縫も上手、若い頃は武芸でも鳴らした戦う男だ。しかし、寄る年波には勝てず、重い物を持つと腰痛に悩まされる。魔法が使えるキースが、彼の不得意分野を補っていた。
「坊ちゃま、そろそろお休みになられては?」
「まだだ。試験は明後日なんだよ?明日は最後の確認をしたいから、今日のうちに魔法史の仕上げを……うっ、何だ?」
いきなり宙が光った。
キースはすぐにその魔法の発動者が誰か感じ取った。
光の中から現れたのはエミリーだった。
眠そうな紫色の瞳をゆっくりと開け、椅子の向きを変えてこちらを見ているキースを捉える。
「……エミリーさん?こ、こ、男子寮ですよ?」
「聞きたいことがあるの」
「は」
予告なしに男子寮に押しかけて、挨拶も何もなく、エミリーは単刀直入に話し出した。
「キースが好きなのは、私?それとも、私の魔力?」
「え……」
「勉強が捗らないから、さっさと答えて!」
「あ、あの……」
エミリーの表情が曇る。瞳が怒気を孕んでいく。
「魔力、ってことね?」
「あ、待って下さ……」
キースが止めるのも聞かず、エミリーは転移魔法で自室に戻った。
◆◆◆
「お帰り、エミリーちゃん」
「早かったねー。どこ行って来たの?」
「……男子寮」
「エミリー、あなた、男子寮に勝手に入ったの?」
「キースの部屋に出入りしただけ」
「キース君、びっくりしちゃったんじゃないかなあ?……寮には帰ってたのね?」
「勉強してた。……あいつが、昼間に告白まがいのことしてきたから、こっちは気になって勉強が進まない。頭に来たから仕返ししてきた」
「仕返し……」
マリナが絶句した。まさか魔法対決でもしてきたのだろうか。
「痛い目には遭わせてないから、安心して」
続きを聞きたくてうずうずしている姉三人を放置し、エミリーは再び机に向かった。
◆◆◆
時計を見ながらそわそわしているアリッサが、椅子の背凭れの後ろを通る度、エミリーの例文を書き写す手が止まった。
「……落ち着かないんだけど?」
「あ、ごめんね?」
「何?」
アリッサは再び壁掛け時計をちらりと見た。
「その……もうすぐ夕食だね」
「うん」
「私、夕食の時間に薔薇園で……」
「……そうだった。支度はできてる?」
こくんと頷いたアリッサは、既に学校指定のコートを着ている。落ち着いた赤のダッフルコートだ。裾から見える制服のスカートが可愛らしい。
「エミリーちゃんは、コート着ないの?」
「すぐ戻るから、いい。帰りはレイモンドに送られてきて」
エミリーはアリッサの手を掴むと、無詠唱で転移魔法を発動させた。
二人が薔薇園の中に転移した時、まだレイモンドは来ていないようだった。
「四阿で待ってる。ありがとう、エミリーちゃん」
「お安い御用。……勉強あるから、戻る。寒いから早く帰ってきて」
「うん」
深く頷く姉の頬は薔薇色に染まっている。レイモンドに会えるのが嬉しくて仕方ないのだろう。早く帰れと言っても無駄かもしれないとエミリーは思った。




