31-2 悪役令嬢は侍女をナンパする(裏)
【アレックス視点】
練習を一通りやって、少し休憩しようとジュリアンに声をかける。ジュリアンは布で汗を拭うと、風通しをよくしようと頭を振った。後ろで束ねた銀髪が揺れる。結い上げた髪で隠れていた首筋に目が行く。白くて細いそれは、父に連れられて出た夜会で見た貴婦人より艶めかしい。男で、しかもガキのくせに、変な色気を振りまくな。
ジュリアンの父上、ハーリオン侯爵も綺麗な方で、母上は国で一番の美人と言われているから、ジュリアンが女っぽく見えるのも仕方がないのかもしれない。
「アレックス坊ちゃま。旦那様がお呼びでございます」
父上の乳母、ばあやの孫であるエレノアが、俺を呼びに来た。ジュリアンと練習している時間を見計らって、どうでもいい用事で呼びつけるのはやめてほしい。
しばらく一人で練習を続けていてくれとジュリアンに言おうとしたが、奴はエレノアに見とれていた。どうしたらいいかエレノアは困っている。
「こら、見つめすぎだろ」
後ろから目を塞ぐと、手が頬に触れた時、ジュリアンの身体がビクンと震えた。流れる銀の髪や、白い首筋に触れたくなったが、ふざけて触るのもなんとなく躊躇われて、俺は手を引っ込めた。エレノアを紹介してやると、
「エレノアは、いくつなの?」
明らかに年上の侍女に興味津々だ。年上が好きなのか、こいつは。
「十五歳です」
「ふうーん。彼氏いる?」
いきなり何言ってんだ。人の家の使用人に手を出すつもりか!
「おい!ジュリアン!」
「ここんち、騎士がよく来るでしょ。女っ気ない生活してる人たちだから、君みたいな子がいたら舞い上がっちゃうよね」
「いえ、あの……」
父上に用がある騎士がちょくちょく我が家を訪れ、珍しく若い使用人がいるものだからエレノアに声をかけている。気にしたことはなかったし、別にエレノアが迷惑でないのなら構わなかった。しかし、ジュリアンの奴とエレノアが恋人になるのは嫌だ。
「だって、エレノア可愛いし、性格よさそうだし、働き者なんでしょ?」
「そんな、まだ見習いで……」
ジュリアンは姉妹が三人もいるから、女性の扱いに慣れている。こんな風にすらすらと褒め言葉が出てくるあたり、将来女たらしになりそうだと思う。が、俺の前で、うちの使用人を誑かすのだけはやめてくれ。
「いい加減にしろ、ジュリアン!」
「何だアレックス」
「うちの侍女に色目を使うな」
「嫉妬するなよ、見苦しい」
「何だと?」
誰が誰に嫉妬するというのだ。……誰に?
「ああ、わけわかんねえ!」
俺は小さく呟いた。
「俺とエレノアが仲良くするのが気に食わないんだろ。心の狭い男は嫌われるぞ」
心の狭い男?俺が?
ジュリアンの奴をとっつかまえて何か言ってやろうと思った時、執事が呼びに来た。父上は急ぎの要件で俺を呼んでいるらしい。
◆◆◆
父上は書斎にいて、地球儀をダンベル代わりにして筋トレをしていた。ぶんぶん振り回すものだから、骨董品のセピア色の地球儀が軸からガタガタ音がするようになってしまっている。
「お呼びですか、父上」
俺が入ってきたのにも気づいていないようだったから、改めて声をかけてみる。
「アレックス、待っていたぞ、息子よ」
父上、騎士団長オリバー・ヴィルソードは、丈夫な歯を見せて豪快に笑った。
「いいことがあったようですね」
「ああ、もちろんだとも、息子よ」
息子息子連呼しなくてもいいよ。さっさと本題に入って欲しい。剣の練習を続けたい。
「お前ももう十一歳だな」
「はい」
だから何だ。
「騎士になるため、毎日鍛錬を欠かさず、この一年の成長ぶりには目を見張るものがある。あとはもう少し筋肉がつけば……」
「はあ……」
褒められている。……父上の真意が汲めない。俺が細いのはその通りだが、父上のような筋トレマニアにはなりたくない。
「そろそろ将来のことを考えてもいいのではないか」
何だ、進路の話か。
「王立学院の剣技科に進み、騎士を目指します」
「それは知っている。お前の夢だからな」
「騎士になった暁には……」
「もうよいよい、今日は騎士の話ではなくてだな。お前の結婚だ」
……。
…………?
「ハア?」
ガシャン!
俺は驚き、横にあった甲冑を肘で押しやった。廊下の端にいた使用人が驚き声を上げた。
「な、お、おれにそんな話が」
「伯爵家三家から打診があった。どのご令嬢もしっかりして気立てのよい……」
「無理です、父上。俺は騎士になるまでは、結婚なんてありえません」
「婚約するだけだ。結婚はもっと先だぞ」
俺の頭の中では、結婚式で祭壇に立つ自分を想像できなかった。国王陛下から騎士の称号を授けられて恭しく礼をして、騎士として王家のパレードを護衛し、馬車を挟んで俺の対にはジュリアンが騎馬に乗って……。
騎士になった後のことは容易に想像できるのに、結婚式なんて考えられない。
「すぐに返事をくれとは言われていない。少し考えてみてからでいい」
父上は大きな手で俺の頭を撫で、後ろを向かせると練習に戻れと背中を押した。
◆◆◆
その後の練習は最悪だった。
婚約の二文字が頭を過ぎり、ジュリアンと打ち合っていても身が入らない。役立たずの相手はつまらないのだろう。休憩しようと誘われた。
エレノアが紅茶を用意していると、ジュリアンがまた言い寄っていた。
「エレノアはお茶を淹れるのも上手だね」
「ありがとうございます……と、お褒めいただくほどのものではございません」
ポットを手に取り、エレノアの技術を真似ようとしたジュリアンが
「こういうのって慣れないと失敗するじゃん。……あちっ!」
とポットを落とした。ざまあみろ。女にうつつを抜かした天罰だ。
「お怪我はありませんか。ただいま冷やすものを持ってまいります」
ジュリアンは手を軽く火傷したようだ。白い指先が赤くなっている。零れた紅茶がかかった服がべったり肌に貼りついて鎖骨が見えている。
「大丈夫、たいしたことなかったから」
ジュリアンがエレノアについて行き、着替えて戻ってきた。
「悪い。アレックス。お前の服を借りた。後で新しいの返すから」
俺のシャツを着たジュリアンは、開きがちな襟元を押さえて苦笑いした。袖が長いのか指先しか見えず、華奢な身体が強調されている。こんなに体格差がついていたなんて思わなかった。
「……ん、うう、うん。そうだな」
男のジュリアンにまた色気を感じてしまい、俺はたじろいだ。
こいつは男だ。いくら綺麗な顔をしていても、細くても白くても声が高くても。そのうちひげが生えて声が低くなって、父上みたいな筋肉男になるんだ。
綺麗だなんて思っちゃいけない。ましてや触りたいなんてどうかしている。他の男に触りたいと思ったことはないのに。
ありえない、ありえない、ありえない!
……俺は、どこかおかしいのかもしれない。




