265 悪役令嬢と名前不詳の令嬢
おどおどしているくせに、強引な二年女子はぐいぐいとエミリーの腕を引っ張ってどこかへ連れていく。
「……どこに行くの?」
「こっちよ」
女子生徒は渡り廊下にある出入口から、エミリーを外に連れ出した。
――げ。校舎裏じゃん。
日当たりが悪い校舎裏は、冬ともなれば殆ど日が射さない。昼間でも寒いのだ。面倒くさがりで暑がり・寒がりであるエミリーにとって、まさに鬼門である。
「寒いんだけど……」
「私は寒くないわ」
――あんたの感想は聞いてないっての!
「このあたりでいいかしら」
「……」
とにかく早くここから帰りたい。エミリーはコートが恋しくて仕方がなかった。
「用件は一つよ。……キースから離れて!」
「……ん?」
「ん?じゃないわよ!あなた、キースを弄んで……」
いじると多少は面白いが、弄んだつもりはない。パシリには散々使ったな。
「……弄んでない」
一言告げただけで、火が点いたように女子生徒は怒りだした。
「キースが告白したって聞いたのよ。あのキースが、勇気を振り絞ってっ!あなたはそれをっ……!」
――昨日のアレ、告白だったのか?
それにしては微妙だったな、とエミリーはぼんやり思い返す。
「……で、あんたは何?」
「私?キースの従姉よ。母方の」
「そう。……キースが好きなんだ?」
図星を指されて、二年女子は激しく狼狽えた。
「ち、そ、そんなに、の違う」
「はっきり言えば?『私の男に近づくな』って」
エミリーは回りくどいのは嫌いだ。もっと言えば、自分が彼に好かれる努力をしないで、友人(今のところ)のエミリーを逆恨みしているような奴は大嫌いだった。
「……あんたなんかの何がいいのかしら?魔力?そうよね、魔力しか取柄がないもの!」
恐らく魔力ではエミリーに劣る彼女は、容姿も十人並みだ。贔屓目に見なくても悪役令嬢エミリーの方が容姿も魔法の実力も勝っている。
――魔力しか、取柄がない?
苛立ちが魔力を増幅させ、指先がチリチリと痺れるような気配がする。
「魔法でやるつもり?普通科の生徒相手に?」
「……やらない。卑怯な手は使わないの。用事はそれだけ?…帰るわ」
一流の魔導士たるもの、戦闘時でもない限り、魔力のない相手に魔法をつかうものではないと、魔法実技の授業でメーガン先生が口を酸っぱくして言っていた。力がある強き者は、弱き者を守るのだと父侯爵から教えられている。
頭に来たが、無視して踵を返して校舎に戻ろうとした時、ローブのフードが後ろから引っ張られた。
ぐっ……。
一瞬首が締まり、目の前が霞んだ。
「く、けほっ、げほ、……げほっ」
喉を押さえてエミリーはその場に蹲り、ふらつきながら湿った落ち葉の上に手をついた。
「あら、ごめんなさい。話の途中で帰ろうとするから。……少しは思い知ったかしら?」
マシューのくれた腕輪はアイリーンからの物理攻撃を防いでくれるが、名も知らない生徒から、攻撃かどうか曖昧な方法で危害を加えられたら反応しなかった。
――不良品じゃない、これ!マシューの役立たず!
後で直接文句を言ってやろうと心に決め、エミリーは膝に手を当てて立ち上がろうとした。
激しく落ち葉を巻き上げ、細い木の枝を踏みながら走ってくる音がする。
「エミリーさん!」
「キース!?」
呼びかけたのはエミリーではなかった。目の前で仁王立ちになっている、キースの従姉と名乗る女子生徒だ。エミリーをいじめているように見える構図に戸惑っている。
「大丈夫ですか?立てますか?」
「……」
何も言わず、エミリーは少し頷いた。寒さで震えているのを恐怖で震えていると勘違いしたキースは、従姉と名乗る女子生徒をキッと睨んだ。
「何てことを……!」
「わ、私はキースが……」
「勝手なことを。……僕の片想いなのに、酷い。あなたを見損ないました、ライラ!」
「……?」
「あれ、違いましたか?……見損ないました、リリアン!」
「リリアンじゃないわよぅ!」
「……リ……リンダ?」
「もういいっ!わあああああん!」
二年のリンダ(仮)は涙と鼻水を同時に流しながら、校舎裏から走り去って消えた。
「……本当に、申し訳ありませんでした。エミリーさん」
「寒い」
「あっ、気づかなくてすみません!」
キースは自分の制服の上着を脱ごうとする。
「い、やめて。キースが風邪引く」
「教室に戻りましょう?」
何かぼそぼそと呟くと、エミリーの頭上に光の球が現れる。
「光魔法で少しは温かいかと」
「……眩しい」
「あああっ、ご、ごめんなさい。エミリーさんは明るいのが嫌いでしたよね」
仲良く話しながら教室に戻る二人の影を、遠くから見つめる人物がいた。
「……遅かったか」
黒いローブを翻し、マシューは赤く光った左目を軽く手で覆った。
何故か魔力が溢れてくる。
――エミリーは俺のものだ。誰にも渡さない。
自分の中にもう一人、誰かが棲みついて切ない咆哮を上げているような気がして、マシューは自分の胸を押さえた。
北風に乗って流れてきたミントの香りにエミリーが振り向く。
「……」
「エミリーさん?」
「何でもない。……行こう」
――マシューが来てくれた?まさかね。
「先生にノートを届けて戻ったら、エミリーさんが二年生に連れて行かれたって聞いて、僕は生きた心地がしませんでした」
「……大袈裟」
「大袈裟なんかじゃありません。……だから、あなたの側を離れないことにします」
「ウザい。一人にしてくれる?」
「遠慮は要りませんよ?」
「遠慮なんかしてない」
再びミントの香りがしたような気がして、エミリーは風上を見つめた。
◆◆◆
普通科二年一組の前で、セドリックはやる気満々のアレックスに押されていた。
「行きましょうよ、殿下!今度の休みの日に」
「行かないよ」
「そんなこと言わないで、行きましょうよ!」
「次の祝日が何の日だか知っているの?アレックス。僕の誕生日なんだよ。一日六回、王宮のバルコニーから手を振る仕事があるんだ。君と街に出るなんて……」
「俺と二人じゃないです。殿下とマリナ、ジュリアと俺、……俺達帯剣できないから、エミリーとキースも連れて行こうって」
「皆で出かけるの?……僕は空き時間をマリナと二人きり、王宮の部屋の中でゆっくり過ごしたいな」
常に侍従達に囲まれているセドリックが、部屋にマリナと二人きりになれるのだろうか?とアレックスは疑問に思う。
「マリナが行きたいって言ったら、どうします?」
「……少しの時間なら……出られるかもしれないけど」
「おっし、決まった。俺、マリナとエミリーに話してきます。絶対行きましょうね、約束ですよ……おっと」
チャイムの音がする。次の時間は……アスタシフォン語だ。遅れたら大目玉だ。
セドリックの返事を聞かず、アレックスは剣技科の教室へと走って行った。
2018.2.11 誤字修正




