264 悪役令嬢とラ・ヴィ・アン・ローズ
翌朝。
期末試験前日だというのに、アリッサは朝から人生薔薇色状態だった。
「うふふふ、うふふ、うふふふふ……」
大好きな熊のぬいぐるみを抱きしめて、ネグリジェ姿でベッドの上をゴロゴロ、ゴロゴロと行き来している。
「……病気?」
怪訝そうな目でエミリーが呟く。毎晩夜更かしして勉強しているせいで、目の下に隈ができている。
「嬉しいのよ、今晩、愛しのレイ様に会えるんですもの」
「レイモンドは校内でも会わないように徹底してるからなー」
「そのせいもあって、昨日、セドリック様と仲たがいしてしまったのよね……」
「へえー」
「ジュリアちゃん、どうでもよさそうだね」
「喧嘩なんて、あの二人で成り立つんだなと思って。絶対殿下が謝って終わりのパターンだと思ったから」
アリッサとエミリーもジュリアの予想に頷いている。セドリックはレイモンドに勝てないと皆思っているのだ。
「セドリック様は機会を見て謝るつもりのようだけれど、しばらく続きそうね。きっと、今朝の登校は別々になるでしょう」
「アイリーンはどっちに絡むのかな?王太子殿下?それともレイ様?アレックス君は王太子様と一緒かな?」
「分からないわ……アイリーンが誰についていったとしても、私達は皆様とご一緒できないわね。ハーリオン侯爵令嬢が、ヒロインと攻略対象が一緒にいるところに来て邪魔をする、よくあるイベントが発生しそうだもの」
乙女ゲーム『とわばら』は、授業を受けることでランダムにヒロイン自身のパラメーターが上がるほかに、毎日の行動を朝・昼・放課後の三回選択し、攻略対象とのイベントを発生させる仕様である。朝のイベントは、普通科なら授業の前に自習する、剣技科・魔法科なら朝練をするというパラメーター上げもできるが、攻略対象の好感度が高かった場合、自習や朝練を選択する前にヒロインを誘いに来る。これが登校イベントである。
好感度を上げたくないキャラに誘われた時や、パラメーター上げを重視したい時は、断ることもできる。一緒に校舎まで行ければ好感度があがり、一緒に行こうとして侯爵令嬢に邪魔されると好感度は殆ど上がらない。
「……邪魔、しにいけば?」
明らかに寝起きのボサボサ髪をリリーに整えてもらいながら、エミリーが吐き捨てる。マシューは登校イベントで現れないが、魔法科で朝練を選択すると一定確率で登場する。ゲームプレイ中のエミリーは、朝の選択肢は朝練一択だった。
「なんだー、残念。アレックスと朝練しようと思ったのに」
ジュリアはベッドに身を投げ出した。
「朝練できないなら、もうちょっと寝ようかな。……あ。マリナ、ねえ」
「何よ。寝ながら呼びつけて、いいご身分ね」
「ごめん。あのさ、噂の話。確認したいことがあるんだよね、ナントカファンクラブに」
「……セディマリFC?」
「あ、それそれ。殿下とマリナを応援する会みたいなやつ。レナードの先輩の彼女がさ、トイレの窓の向こうで話してた四、五人の集団がいたって言うんだよ。マリナの体調を気にしてたって」
「それが、セディマリFCだっていうの?」
ジュリアは何度も頷いた。
「そ。マリナに敵意がある奴らなら、具合が悪くなったらざまあみろって思うんじゃない?私は絶対、噂をしていたのはマリナのファンだと思ったの」
「ファンなのに、妊娠騒ぎを広めたわけ?」
「違うよ。マリナの噂をしていたファンクラブの話に、途中から加わった人間がいるって。そいつが妊娠説をでっちあげたんだよ。ファンクラブメンバーが誤解するように仕向けたんだ」
「ジュリア、あなた、犯人捜しを始める気なの?」
「もう始めてる。ファンクラブのメンバーの、窓の外で噂をしていた人に会いたいんだよ」
腹筋を使って、すっと起き上がったジュリアは、探偵漫画の名台詞を口走りながら、ベッドからベッドへとジャンプして行った。
◆◆◆
レイモンド一行を避けて、いつもより早く登校したジュリアは、教室にいた数少ない生徒の中から一番に友人に声をかけた。
「おはよー、レナード」
「……あ、ああ、おはよう、ジュリアちゃん」
「お?顔色悪い?……さては昨日、いっぱい勉強したね?抜け駆けするつもりでしょ」
「はは。抜け駆けだなんて。俺は元からきちんと授業に取り組んでるからね、今さら慌てたりしないの」
腰に手を当てて胸を張り、レナードは軽くウインクした。
「そうなの?」
「信じてない?……じゃあ、俺と賭けをしよっか?試験で俺が勝ったら、ジュリアちゃんの唇をいただくよ」
「えー?レナードが負けたらどうするの?」
「俺の唇を奪っていいよ?好きなだけ」
「って、どっちも同じじゃん!」
「バレたか……」
ビシッ。
手加減したチョップを食らわせるジュリアの手を、レナードは楽しそうに受け止める。
「ははは……でもね、俺、こんなこと誰にでも言うわけじゃないよ?」
「そりゃそうよ。うちのクラスは私以外男子だもん」
「他の女の子がいたって、俺はジュリアちゃんに勝負を挑むと思うな」
彼の目から見て、自分は簡単に打ち負かせそうな相手なのかと、ジュリアは普段の行いを悔いた。授業中に寝ているし、宿題も写させてもらってばかりだ。
「勝負にならないって。今回、本っ当に自信ないの。兄様に教わってるけど、どこが分かんないかも分かんないって感じで」
「あー……」
レナードが眉を八の字にして残念そうな顔をした。
◆◆◆
「エミリーさん、お客様よ」
あまり話したこともない女子生徒に言われ、エミリーは面倒くさそうに廊下に出た。左右を見回しても、見覚えがある生徒はいない。
――気のせい?
休み時間も勉強を続けている自分を妨害しようという企みではないかと疑いたくなる。
「あ、あのっ……」
「……誰?」
身長はエミリーより頭半分高いが、妙におどおどした女子生徒が声をかけてきた。全く見覚えがない。制服とネクタイの色から察するに、普通科二年の生徒のようだ。
「私、ハーリオンさんにお話があって。……少し付き合ってくださるかしら?」
「期末試験の勉強で忙しいのだけど」
相手が二年生でも、エミリーは全く遠慮しない。
「そ、そうよね。でも……少しだけだから、ね?」




