260 騎士団訓練場見学
今回はコメディ要素がありません。
【レナード視点】
二年の教室からの帰り道、俺の隣を歩いていたジュリアが、突然噛みしめるように言った。
「やっぱレナードって頼りになるなー」
それはこいつとの比較だろう?
「誰かさんと違って」
――ほら、思った通りだ。
アレックスが口を尖らせて悪態をつく。ジュリアは楽しそうに彼を見つめる。悪戯に笑うアメジストの瞳が、額を小突く指先が、鋭い肘鉄でさえも、全身でアレックスが好きだと言っている。
――キツいな。
入学してすぐ、俺はこの二人と友達になった。正しくは、ジュリアに声をかけたらアレックスがついてきた、という感じだ。男ばかりの剣技科の中で、ひとときの癒しが欲しいと思い彼女の気を惹いた。校内で知り合った他の令嬢なら簡単に陥落するような甘い台詞を言っても、どれだけ優しくしても、ジュリアの気持ちは揺るがない。
黙っていれば極上の美少女なのに、堂々とした態度で誰にでも平等に接する――彼女にとって特別なアレックスを除いては。小鹿のように活発に駆け回り、時折悪戯な瞳を細めて俺を見る。向けられた屈託のない微笑は、アレックスに対するものとは違う。
気心の知れた幼馴染の二人は、授業の合間も常に一緒だ。俺が入る隙間はない。
あの笑顔を自分だけのものにしたいと思うようになったのはいつだったか。
半ば意地になって、彼女にいいところを見せようとした。俺にあってアレックスにないもの――幅広い人脈を駆使して、ジュリアの成功を手助けしていった。剣技科の上級生に頼みごとをすると、見返りに問答無用でしごかれ、手軽な鬱憤晴らしの相手にされた。打ち身だらけの身体を制服で隠し、俺は毎日彼女の前に立つ。
――馬鹿なのかもしれないな。
決して振り向いてもらえないと知っているのに、繰り返される心地よいやりとりに痺れ、あえてほろ苦い絶望感を求めていく。
アレックスの太刀筋が身体に染みついたジュリアと手合わせをした。俺の剣が薙ぎ払う方向に驚き、彼女が戸惑っているのが分かった。
――俺は俺だ。アレックスじゃない!
上級生との練習の甲斐があったのか、俺の剣の切っ先が彼女の肌を傷つけた。アレックスとの生温い練習では負傷することもなかったのだろう。一剣士として彼女が強烈に俺を意識し、唖然とした顔に満足した。
◆◆◆
「今日の実技の授業は、騎士団を見学する!」
試験直前の実技の時間。
ロディアス先生は生徒を喜ばせた。伊達に歳は取っていない。わあっと歓声が上がる。
隣を見れば、ジュリアが顔を綻ばせてアレックスと見つめ合っていた。彼女が喜びを分かちあう相手は常にアレックスだ。俺じゃない。
「試験前で、お前達も授業に身が入らないだろう。騎士団の仕事ぶりをみて、将来の展望を持ち、試験に精一杯取り組んでくれ」
兄達が言っていた通りだ。毎年の恒例行事なのだろう。
「王都のはずれ、森の中にある訓練場へ向かう。ここから歩いて……何分だったか、すぐのところだ。列になってついてくるように」
騎士団の訓練場は、王宮の中以外に東西南北に一か所ずつ置かれている。防衛上の観点からそうしていると父から聞いた覚えがある。正式な騎士ではない訓練生でも、有事の際には戦力になるのだと。
訓練場までは大した距離ではない。二時間連続の実技の時間なら、余裕で戻って来られそうだ。
重厚な石の門を抜け、ロディアス先生は待っていた青年と会話を交わした。
「彼は君達の先輩……まあ、騎士は皆剣技科の出身だが……パーシヴァル、自己紹介を」
促されて一歩前に出て、青年はきびきびとした動作で挨拶をした。優しそうだが視線に厳しいものが混じる。
「パーシヴァル・ロファンです。この訓練所……第二大隊の隊長をしています」
見たところ、彼は俺の長兄・ルイスより若そうだ。王立学院卒業後、すぐに騎士になったくちだろう。もっとも、ロファン家は侯爵家だ。五侯爵家のうちでは最下位だが、平民スレスレのネオブリー男爵家よりはるかに上位だ。同じ実力か、少し上だったとしても、ルイス兄さんに勝ち目はない。実力主義を謳いながら、騎士団の中にも身分による差別が現前としてあるのだ。
生徒達は三人一組になって、訓練所に詰めていた騎士に案内されることになった。ロファン侯爵は、一団の中にアレックスの姿を見つけて声をかけてきた。騎士団長の息子であるアレックスが、有望株のロファン侯爵と懇意にしていたとしても、何ら不思議はない。
「久しぶりだね、アレックス。学院でも元気でやってるみたいで安心したよ」
「パーシーも元気そうで何よりです。パッツィーも大きくなったでしょ?」
「ああ。この頃じゃ、女騎士になると言って、僕のレイピアを振り回してるよ。あ、刃は潰してあるから大丈夫」
「将来が楽しみですね」
「君も、卒業が楽しみなんじゃないか?……婚約したって本当かい?」
「えっ……はい。ジュリアと婚約、しました……」
照れてぼそぼそと話すアレックスを後ろから蹴飛ばしたい気持ちになった。自分の後ろ、俺の隣を歩いていたジュリアをちらちらと見ているのも気に食わない。
「君がアレックスの婚約者?」
「はい。ジュリア・ハーリオンです!よろしくお願いします!……と、三人一組なら、レナードと一緒に」
ジュリアが俺の背中を押した。
「レナード・ネオブリーです。よろしくお願いします」
「ネオブリー……というと、剣技科で一緒だったルイスの弟か?」
「はい。兄は今、第四大隊におります」
「そうか……懐かしいな。隊が違うと会う機会も少なくてね。元気でやってる?」
隊が違うだけじゃない。兄はやっと小隊長だ。階級別の集会でも会うことはないだろう。他愛ない世間話をしながら、俺は身分の理不尽さを痛感した。
その後も、侯爵が案内する先で、アレックスは好意的に迎えられた。俺の父も前副団長だが、誰も覚えていやしない。王立学院を卒業後、すぐに騎士の試験に合格したオリバー・ヴィルソードは、僅か三か月で小・中・大隊長の位を上り、翌年には副団長になった。当時の騎士団長は彼の父、先代のヴィルソード侯爵で、オリバーが団長に昇格すると同時に引退した。俺の父は、騎士になってから二十年かかってやっと、オリバーの後に副団長に就任した。猪突猛進型の団長の盾になって大怪我を負い、同行した治癒魔導士の力では完治させられず、副団長になって一年と少しで騎士をやめた。
俺とアレックスの間には、途方もない隔たりがある。
アレックスが望めばすぐに手に入るのだろう。騎士団長の地位も、美しい婚約者も。
俺が一生をかけても指先さえ届かないものを、あいつは……。
「レナード、どうしたの?」
物思いに沈んでいた俺に、ジュリアが優しく声をかけた。目の前で手をひらひらさせている。
「え?ううん。何でもないよ?」
「そお?なーんか、さっきから変だからさ」
――俺を気にしてくれたのか?
ひとりでに心臓が高鳴っていく。
「やだなあ、いつも通りだって。……ほら、男ばっかで気が滅入っちゃってさ。ジュリアちゃんがキスの一つでもしてくれたら、俄然元気が出るんだけど?」
顔を傾けて片目を瞑り、彼女の柔らかい唇に人差し指でそっと触れた。
「んもー!レナードったら……心配して損した!」
俺の手を払い落とし、真っ赤になって怒るジュリアに自然と頬が緩む。唇の感触を覚えた指先が熱を持ち、俺はぎゅっと拳を握った。
――限界が、近い。
三人の時間は、きっと長くは続けられないだろう。
先を行くアレックスに追いついて肩を叩き、何か話している彼女を遠目に見ながら、俺はじわじわと締め付けるような胸の痛みを感じていた。




