259 悪役令嬢は聞き込みをする
本日3話目(夜は2話目)です。
「僕は用事がある、と言ったんだよ?聞こえなかったかな?」
アルカイックスマイルを浮かべ、セドリックは目の前のアイリーンを見据えた。
「でもぉ、セドリック様は教室移動もないじゃないですか?次の時間は歴史でぇ、教室で授業ですよね?」
「うん。そうだね。次は歴史だ。用事は別に、教室移動に限ったことではないよね」
「あ!分かった!……なぁんだ、早く言ってくださいよぅ」
「?」
「セドリック様のご用事って、『アイリーンと過ごす時間』だって、お顔に書いてありますよぉ?」
セドリックが本気でブチギレそうになった瞬間、スパーン!と音を立てて二人の間を誰かの教科書が通り過ぎた。壁に当たって後方の背の低い書棚の上へ落ちる。
「何……っ?」
アイリーンは教科書が飛んできた方向を見て固まった。
「ハーリオン……」
「アイリーンさん。どうでもいいご用事なら後にしてくださる?殿下は私と話がありますの」
驚いたアイリーンだったが、これで引き下がるタイプではない。
「あら、それじゃ、私もご一緒させてくださいな?」
今朝の噂を信じたクラスメイトが、本妻と妾の対立かとはらはらして成り行きを見守る中、間に挟まれたセドリックは神々しいマリナの姿に目を奪われていた。
「ご冗談を」
「マリナさん、怖い顔。そんなんじゃ、セドリック様も縮み上がってお話なんかできませんよねえ」
「あら、そうかしら?……では、もう一人話に加わっていただきますわ」
「う、うん。そうだ、レイを呼ぼうか……」
かろうじて声が出た。セドリックはマリナの迫力に圧倒されていた。
「ええ。三年の教室に寄って、別室に参りましょう?殿下」
◆◆◆
教室の入口で呼び出され、談話室に連れて来られたレイモンドは、心底迷惑そうな顔をして椅子に座るセドリックを見下ろした。
「否定しないお前が悪い」
「殿下の口から、はっきりと否定してください」
「でも……」
両手で顔を覆ったセドリックはくぐもった声で言った。
「……って訊かれて」
「は?」
腰に手を当てたレイモンドが顔を近づけて声を聞きとろうとする。
「聞こえないぞ」
「……っ!」
指の間から目だけを出して、セドリックは苦しそうに呻いた。青い瞳が潤んでいる。
「弁解するなら聞こえるように言え。事と次第によっては許してやらんこともない」
「……いかって……」
「ぁあん?」
――レイモンドを連れてきたのは正解ね。怖い、怖すぎるわ……。
セドリックに強く出られるのは彼をおいて他にはいない。問い詰める口調が次第にきつくなっていく。
ばっ。
とうとう顔に当てていた手を外し、涙目になったセドリックが
「男子生徒に聞かれたんだ。殿下は童貞ですかって!」
と叫び、また顔を手で覆って今度はさめざめと泣きだした。
「……阿呆か」
「だって、ひ、否定も肯定もできないだろう?」
「つまらん見栄を張ってどうする。お前まだ、十六歳だろう?」
「もうすぐ十七歳だよ!」
「誕生日が近かろうが変わらん。笑顔で『うん、僕は童貞だよ、君はどう?』くらい言え」
「は、恥ずかしくて言えないよ!僕の心はガラス細工でできているんだ。レイとは違う」
「お前のせいでマリナが妙な噂の的になっていると分からないのか?俺の作戦のせいで、アイリーンがお前につきまとうようになってから、捨てられた王太子妃候補とまで言われているんだぞ」
「じゃあ、レイが変な作戦をやめればいいじゃないか!元々僕は反対だったんだ。君がマリナ達を助けるためだって言うから、仕方なくつきあってきたけど。アイリーンの魔法が何だって言うんだ?何物にも揺るがない強い気持ちがあれば、僕はマリナを裏切ったりしないさ。小賢しい作戦に頼るなんて、レイこそ、アリッサを想う自分の気持ちに自信がないんだろう!」
「セドリック!」
重なるように叫んだレイモンドは、指先が白くなるほど拳を握りしめた。王太子に殴りかかるわけにはいかない。理性で必死に抑えていた。
「……お前の気持ちは分かった。勉強会にはアイリーンも来る。欠席するなり来るなり勝手にしろ。俺は俺で作戦を続ける」
踵を返したレイモンドは、荒々しくドアを閉めて出て行った。二人の喧嘩にマリナは一言も口を挟めなかった。
「……噂のことは、僕が対処するから。噂を消さない限りは、マリナは名前を呼んでくれそうにないし」
マリナの銀髪に手を伸ばしかけてやめ、セドリックはふっと笑うと、
「じゃ、行くね。長い時間二人でいると、また噂になっちゃうでしょ?」
と談話室を後にした。
◆◆◆
「誰が話していたのか、ですって?」
普通科二年二組の教室の前で、ジュリアは初対面の女子生徒と話をしていた。隣には彼女の婚約者でレナードが先輩と呼ぶ剣技科二年の男子生徒が立っている。
「覚えていませんか?どんなことでもいいんです」
「私が聞いたのは……化粧室で、よ」
「トイレ?」
アレックスが素っ頓狂な声を上げた。すぐにジュリアに足を踏まれる。
レディがトイレの話をしていると知られたら、この女子生徒の名誉にかかわるのだ。
「ええ。窓の外で数人が話をしていたの。マリナさんが朝食の時間に吐き気を催されて、席を立ってどこかに行かれたとか」
「マリナが吐いたのは本当なんです。でも、そこから噂が広がって」
「私は朝食を遅く取ったから、マリナさんが具合を悪くしたのは知らなかったの。自分の目で見ていないことを他の方に言うのは憚られて、彼に訊いてみたのよ」
「俺がレナードと友達だって知ってたからな。ほら、レナードは君と友達だろう?レナード経由で俺が何か知ってると思ったんだって」
剣技科の先輩は誇らしげに彼女の肩に手を回した。いい人そうだが、尊大な態度が馬鹿っぽいとジュリアは思った。
「化粧室で聞いたのは、マリナが吐いたって話だけですか?」
「初めに話していた何人かはそうよ。マリナさんを心配しているようだったの。でも、途中で誰か加わったように思えたわ。『そう言えばマリナさんが王太子殿下のお手付きだって噂がありましたけれど、もしかして?』って話を誘導するように……」
「噂を誘導した者がいた?」
「ええ、間違いないわ。可愛らしい声だったと思うわ」
ジュリアはレナードと顔を見合わせて頷いた。
「ありがとうございます、先輩」
「こんな話で本当によかったのかしら?」
二年の女子生徒は困った顔でくすっと笑った。




