257 悪役令嬢は朝帰りをする
客用寝室に運ばれたマリナは、侍女達によって楽な服装に着替えさせられた。例によって王妃御用達の店のフリルとレースがふんだんにあしらわれたネグリジェである。ベッドに寝かせたところで、セドリックはやっと入室を許された。
「マリナ、君を守ってあげられなくて、ごめんね」
セドリックはそっと銀髪を撫でた。そのまま額に口づけようとすると、壁際から王妃付きの女官長の咳ばらいが聞こえた。
「……額くらい、いいだろう?」
「なりません。王妃様のお言いつけです」
「母上が、キスはダメって言ったの?」
「はい。今晩は部屋に複数人で待機するようにと」
マリナが王宮に泊まった時に、セドリックは彼女の部屋に忍び込んだ前科がある。『お手付き』の噂が立ち、王妃は大層マリナを気の毒に思って、セドリックをきつく叱ったのだ。
「……あの時とは状況が違うよ」
「はい。あの時とは異なり、殿下もマリナ様も大人になられました」
「うん。だから少しは……」
「王妃様は、王立学院在学中に結婚式を行うことがないように、と仰いました。意味はお分かりですね?」
王家の慣例で、王子は王立学院卒業後に妃候補と結婚式を挙げる。長い歴史の中には、王立学院在学中に結婚式を挙げた王子が何人かいるが、挙式を早めた理由は妃候補を妊娠させたからである。生まれた時に両親が婚姻関係になければ、王子と妃の子であっても庶子と見做されるのだ。
「……分かってるよ。僕はただ、マリナが心配なだけなんだ。触るなというなら、ここで見守っているから、どうか同じ部屋にいさせてくれ!」
セドリックの懇願が部屋に響き、横たわっていたマリナは薄目を開けた。
◆◆◆
翌日、まだ薄暗い時間に、王家の紋章がついた馬車がこっそりと女子寮の裏口に横付けされた。女官長に手を引かれ、真っ青な顔のマリナが降り立つと、待ち構えていたリリーが頭を下げた。
「歩けますか、マリナ様」
「ありがとうございます。……大丈夫ですわ」
女官長に礼を言い、ふらつく頭で礼をする。
「大丈夫ではないではありませんか。はあ……今日は学院をお休みになって、しっかり療養なさることです。二日酔いを軽く見てはいけませんよ」
「はい……」
音を立てずに部屋のドアを開け、リリーはマリナを中に入れた。コートを脱がせて椅子に座らせる。マリナは昨晩着たドレスではなく、ゆったりしたデザインの普段着を着ていた。
「マリナ様、すぐに寝室へ行かれますか。それとも何か温かい飲み物を」
「ありがとう、リリー。朝食の時間まで、少し休むわ」
「朝食?寮の食堂へ行かれるおつもりですか?」
「いけないかしら。できるだけ、何事もなかったように振る舞いたいのよ」
「お顔の色が優れません。吐き気は収まりましたか?」
「吐くものがなくなったから……」
自分が酒に弱いのだとマリナは痛感した。何度か吐いて、王宮の侍女に迷惑をかけた記憶はある。
「よろしいですか、マリナ様。朝食は無理をなさらず……」
バン!
寝室のドアが勢いよく開いた。
「マリナ!帰って来たんだね」
「うっ……」
マリナは頭を押さえた。
「ジュリア様、少しお静かになさってくださいませ」
「あ、ゴメン。……ね、今日は休むんでしょ?」
「休まないわ。皆勤賞が」
「いいから、休んでおきなって。二日酔いのつらさは私も分かるし」
「分かる?ジュリア様、いつお酒を……」
おっと、とジュリアは口に手を当てる。二日酔いで倒れていたのは前世の話だった。
「何でもないよリリー。それより、酒乱騒ぎは収まった?」
「『酒乱騒ぎ』……もう事件になっているのね」
「いや、私が名づけただけだけど?陛下がカンコーレーってので、噂が広まらないようにしたって聞いたよ。生徒で出席したのは、殿下とレイモンドとマリナだけなんだから、噂にならないと思うな」
「だといいけど」
◆◆◆
アリッサが起きてきて、リリーがエミリーを起こし、四姉妹は朝食のために寮の食堂へ向かった。廊下で会った生徒達が声をかけてくる。
「おはようございます、マリナ様」
「お……はようございます……」
元気な令嬢方の声が頭に響き、マリナはどんどん顔色を悪化させていく。
「……部屋、帰ったほうがいい」
低い声でエミリーが呟く。
「マリナちゃん、食堂は無理だと思うよ」
「私、ついてってあげるからさ」
「ううん。食堂に行きましょう?風邪だと言い張ればなんてことはないわ」
生徒達と挨拶を交わしながらいつもの席に着くと、給仕が飲み物を運んできた。
「昨日の果実酒ってね、寮で飲むこのジュースと色がそっくりだったのよ」
「フルーティーな感じ?」
「そうね。ワインの仲間だと気づかなかったわ」
マリナはジュースを一口飲み、料理を何口か飲み込んだ。
――気持ち悪い……。
寮に戻ってから、飲まず食わずでいたから何とか持ちこたえたものの、やはり身体が受け付けなかったのだ。人前で吐くわけにはいかない。
「マリナちゃん?」
「……」
口を押さえて席を立つと、マリナは一目散に化粧室へと走って行った。




