254 悪役令嬢と変わったジュース
本日四度目の更新になります。
「勉強会はどうなりましたの?お兄様」
「申し訳ないと思いましたが、非常事態でしたので」
にっこり。
――そうだった。お兄様が優先するのは、とにかく私だったのよね。
「お父様はどうなさったの?」
「あなたの窮状を聞き、実家の一大事だからと特別に許可をいただいて、私がハーリオン邸に戻った時、義父上は直前まで出席を渋っておいででした。王立学院の学院長は、王立博物館長を務める義父上とも親交が深い方ですし、その学院が受け入れた留学生であるリオネル殿下が主賓ですから、出席するべきだとお思いだったのです。ですが、出席の返事をしたものの、どうも気乗りがしないと……」
ハロルドはちらりと隣を見る。エンフィールド侯爵がすました顔で前菜を口に運んでいる。
「しまいには微熱を出したクリスを言い訳に、欠席しようと言い出されまして」
「……いつものことね」
「ええ。いつも通りです」
弟のクリストファーが赤ん坊の頃から、父・ハーリオン侯爵は公式行事を欠席する言い訳に、跡取り息子の体調不良を挙げていたのだ。
「クリスも大きくなって、前ほど熱を出さなくなったのに」
「本当に熱があったのでしょうか。元気そうでしたので、クリスを義母上にお任せして、マリナのために晩餐会に出席してほしいとお願いしたのです」
「お父様はお兄様のお願いを聞き入れてくださらなかった……」
「はい。それほどまでにマリナを助けたいのなら、私が代理で出席すればよいと仰って」
にっこり。
今の話でどこが嬉しいのかさっぱり分からない。マリナは愛想笑いをしながら軽く首を傾げた。可愛らしいその様子を見て、ハロルドは自分に媚びたと勘違いした。
「マリナ……」
「はい?」
「やはり来てよかった。あなたが私に微笑んでくれる……これほど嬉しいことはありません」
青緑色の瞳がキラキラと輝いている。
――またお兄様の好感度を上げてしまったみたいね……。
◆◆◆
談笑するマリナ達を、斜め方向から鋭い目つきで見つめる者がいた。
主賓をもてなすべき立場にありながら、セドリックは全くリオネルに関心を示さず、ひたすらマリナを気にしている。
「レイ」
「何だ」
「席を替わってくれ。僕のマリナが変な男に絡まれているんだ」
「変な男?エンフィールドはおとなしくしているぞ」
「違う。見てよ、あのハロルドの緩みきった顔!何でハーリオン侯爵は来ないんだ!」
溜息をついて、レイモンドはセドリックの口を塞いだ。
「騒ぐな。急用で来られなかったんだろう?ハロルドが代理出席して何が悪い」
低い声で叱ると、セドリックはしゅんとして俯いた。
「子供じみた対抗心を燃やすのはよせ。ここには何のために来ている」
「……マリナを守るため」
「はあ……俺はお前の治世に宰相を務めるのが怖くなってきたぞ」
右手で痛む頭を押さえながら、レイモンドはそれとなくエンフィールド侯爵の様子を窺った。
◆◆◆
「公式の場でお会いするのは、何年ぶりですかな」
勿体ぶった様子でエンフィールドはハロルドに声をかけた。
「さて……子供の時分に義父に連れられて参加したきりですから。私は社交の場には不慣れですし」
にっこり。
先程までマリナに向けられた笑顔とは明らかに異質な、悪魔のような美しい微笑だ。これ以上お前と話したくないとやんわりと拒絶する。
「まあ、そう言わずに。来年には王立学院を卒業して、君も国の要職に就くのではと専らの噂ですよ。外国語が得意で、リオネル殿下とも通訳なしで会話できるほどだと聞きました」
「リオネル殿下はグランディア語が堪能でいらっしゃいますから」
「いやいや。君のアスタシフォン語はかなりのものだ。実は先日、王立学院で行われたリオネル殿下の歓迎会をこっそり拝見する機会がありましてね。リオネル殿下とアスタシフォン語でやりとりする様は、実に堂々として立派でした。もっと胸を張っていい」
「はあ……」
困惑するハロルドを見ながら、マリナは内心はらはらして、一気に飲み物を呷った。令嬢として一気飲みはよろしくないが、そうでもしないと落ち着かない。
――あら、このジュース……。美味しいわ。
いつも学院の食堂や寮の食事で飲んでいるものとは違う。果実の酸味の後に、何かほろ苦いものが舌に残る。飲み込む瞬間に喉がチリッと焼けるようだ。グラスが空になったのに気づいて給仕がすかさず注ぎ足す。
「外交官も捨てがたいが、語学力を生かして貿易業に力を入れるのもいいでしょう。ハーリオン家の所有する貿易船は多く、アスタシフォンへの海路を行き来するのは、殆どがビルクール海運の船だとか。まったく、侯爵は素晴らしい経営手腕をお持ちだ。ビルクールはハーリオン侯爵の領地ですから、他社の船に重い関税や停泊料を課せば、その利益でいくらでも港を……」
――お父様はそんなことしてないわ!
エンフィールド侯爵はなおも、ハロルドに対して嫌味とも取れる発言を繰り返している。ここで口を挟んでいいのだろうかと迷いながら、液体で満たされたグラスを手に取り、マリナは中身を飲み干した。
「アスタシフォン国内には、君の名がついた薬が売られていると聞いたよ。卒業前からお父上の事業を手助けしているとは、恐れ入った。はっはっは」
「何かの見間違いでは?仮に私の名がついていたとしても、その薬には当家は関与しておりません」
ハロルドの顔に焦りの色が浮かぶ。
――お兄様の名前のついた薬?エンフィールドは何を知っているの?
「おや?……禁輸品の話は秘密にしておきたいと見える。これは失敬」
謝る素振りを見せたエンフィールド侯爵は、頭を上げてにやりと笑う。
「誰しも裏の顔は見せたくないものですからな。しかし、表の顔もなかなかしたたかだ。政治の表舞台には出ないと言いながら、ちゃっかり娘を王太子妃に売り込むあたり、政治に疎い私には到底真似できませんよ」
「……エンフィールド侯爵様、少しお酒に酔われたのではありませんか。別室で酔いを醒まされた方がよろしいのでは?」
ハロルドが青筋を立てながら、侯爵の椅子の背に手をかけ、立たせようと誘導した。
「うるさい!私は正気だ!」
バシッ。
手を払われ、ハロルドは目を眇めた。
「正気だと仰るなら、何故義父や義妹を愚弄するような発言をなさるのですか」
「平民の子のくせに偉そうに……。残念だったな、婿養子になる当てが外れて。侯爵位を狙って実の両親を手にかけたんだろう?」
「違う!」
青緑の瞳が悲しげに歪む。唇を噛んだハロルドは泣きそうだった。




