249 悪役令嬢は雪を降らせる
本日7時・20時に続き、3回目の投稿です。
「マリナちゃん、顔が暗いよ?」
「当たり前よ。悪役令嬢イベントが完成しようとしているのだもの」
「イベント?何のこと?」
今朝の一件をアリッサに説明していなかったな、とマリナは思い返した。
「ふぅん……ねえ、それって、アイリーンが行かなかったらいいんじゃない?」
――!!
首を傾げたアリッサの前で、マリナは大きく口を開けた。
「そうよね!その手があったわね。ジュリアに相談したけれどいい案が浮かばなかったのよ」
「ジュリアちゃん……あ、そうだ!ジュリアちゃんにアイリーンを足止めしてもらおうよ。魔法科だからエミリーちゃんでもいいと思うよ。……私は迷子になっちゃうから難しいかな」
「ありがとう、アリッサ。ジュリアに相談してくるわ」
休み時間は残り少ない。マリナは急いで剣技科の教室に走った。
◆◆◆
魔法科の教室では、生徒達が信じられないものを見たと口々に噂している。
「エミリーさんが、歴史の授業で起きてたぞ」
「毎回高確率で寝ていたのにな」
「天変地異の前触れか?」
「雪が降るぞ」
授業の合間にも教科書を目で追っている。本気を出せばすごいらしいと、生徒達は恐れおののいた。
エミリーは勉強が嫌いではなかった。ただ、面倒くさがりなだけなのだ。
ノートに書くのは面倒、辞書を引くのも面倒……と、可能な限り自分の省エネに務めた結果、ひたすら教科書を読んで暗記することにしたのだった。
「エミリーさん。勉強に熱が入りますね」
呼びかけたキースの声にも反応しない。ぶつぶつ呟いて歴史の教科書のページを捲る。
「……そんなに、僕と婚約するのが嫌なんですか?」
キースが眉を八の字にして情けなく笑う。
ふと視線を上げ、エミリーはキースをじっと見つめた。
「……」
「エミリーさん?」
「嫌とか、そんなんじゃないから。……私は自由を掴みに行きたいの」
ボソッと呟いた言葉には、確固たる信念が宿っていた。再び教科書に視線を戻したエミリーの銀髪が光を弾き、キースは内から溢れる輝きに目を細めた。
◆◆◆
「お願いよ、ジュリア。頼めるのはあなただけなの」
「別にいいけど、困ったな。……三時間目は実技なんだよ。教室移動なの」
「難しいかしら?私がFCを説得する間だけでも」
「説得できんの?マリナ。相手は上級生でしょ?筋金入りの王室ファンって感じだったよ。簡単に折れるとは思えないね」
「……自信はないけど、やるしかないわよ」
「分かった、頑張って」
何かあったら一人で戻れない以上、アリッサは連れていけない。マリナは一人で『セディマリFC』の説得を試みることになる。アイリーンの足止めをジュリアに頼み、大急ぎで自分のクラスへ戻った。
◆◆◆
「練習場に移動だよ、ジュリアちゃん」
「あ、私、用事があるから。二人で先に行ってて!」
レナードとアレックスを置き去りにし、ジュリアは剣技科のある東棟から、魔法科のある西棟まで一気に駆け抜けた。
剣技科が実技の時間帯は、魔法科も実技の授業がある。長めの休み時間だとはいえ、アイリーンは急いで用事を片づけて、魔法科練習場へ向かうはずだ。
――いた!
黒いブレザーの群れの中に、ピンク色の髪を見つけて、ジュリアは足を速めた。
肩をトントンと叩く。
「はい?」
振り返ったアイリーンは、肩を叩いたのがジュリアだと分かると、あからさまに嫌そうな顔をした。
「……何かしら?」
「あ、えっと……」
――ヤバい!何も考えて来なかった!
ジュリアは酷く狼狽した。マリナの頼みでアイリーンを足止めすることしか考えていなかった。具体的な用件は何もないのだ。というより、できれば関わり合いになりたくない。
「用事がないなら行くわ」
「ちょ、ちょっと待って」
「私、これから人に会うの。とぉっても大事な用事なのよ」
――そりゃ、イベントだもんな。
「あー、うん。私もすっごく大事な用事があるんだ」
「へえ……何?」
アイリーンは上から目線でジュリアを見た。背の高さはジュリアが上なのに、何故か見下されている気がする。
「ええと……」
アメジストの瞳が泳ぐ。天井の模様が人の顔に見えるな、などとどうでもいいことを考える。
「いい加減にしてくれる?私、あなたを見てるとイライラするのよ!何の取柄もない脳筋女のくせに!」
甲高い声でアイリーンが罵った瞬間、ジュリアの後ろから低い声が聞こえた。
「……おい。いい加減にするのはお前だろ?」
振り返ると、金色の瞳を光らせ不機嫌そうに眉間に皺を寄せたアレックスが、アイリーンを睨み付けていた。
◆◆◆
二時間目が終わるチャイムが鳴ると同時に、マリナはアリッサに励まされて教室を後にした。南棟の校舎裏へ行き、ファンクラブを説得するのだ。
南棟の校舎裏へ行くには、東棟か西棟の昇降口から出て回り込む必要がある。南棟から出る出口が分からないのだ。思ったより時間がかかってしまったのか、マリナが到着した時には既に令嬢方が集まっていた。
「マリナ様!」
「よく来てくださいましたわ、マリナ様!」
「まだシェリンズは来ておりませんわ。きっとマリナ様の素晴らしさに恐れをなして、尻込みしているに違いありませんわ」
――来ないようにしたって言える雰囲気じゃないわね……。
「皆様、シェリンズ嬢はいらっしゃいませんわ。ここは解散……」
「いいえ!呼び出しておいて逃げたと思われるのでは?ここはしばらく待ってみるべきかと」
「敵が来ないうちに作戦を練りましょう」
「予行練習をされた方がよろしいのではなくて?」
「よ、予行練習?」
「そうですわ!威厳たっぷりにあの女に思い知らせてやりましょう!マリナ様!」
ファンクラブはノリノリだ。集団ヒステリー状態だ。
「ここははっきりと、王太子殿下は私のものだと仰るべきかと」
――それを言ったらイベント完成なのよ。無理だってば!
アイリーンはジュリアが足止めしてくれている。だが、万が一、休み時間中にここに来てしまったら、ハーリオン侯爵令嬢によるヒロインいびりイベントは発生してしまう。セドリックが来ても来なくても、『いびり』の事実は変わらず、断罪のネタにされてしまう。
「セドリック様はセドリック様ですし、私のものとは……」
「ガツンと言ってやらねば、あの田舎娘には分かりませんわよ」
「マリナ様、はっきり仰ってくださいませ!」
収拾がつかなくなってきた。ぎらぎらと期待に満ちた眼差しがマリナを取り囲む。
――『殿下は私のもの』って言ったって、終わりそうにないわ。
そろりそろりと後退しながら、マリナは愛想笑いを浮かべた。




