246 魔法科教師は忍耐力を試される
【マシュー視点】
医務室のベッドの傍らで、俺は忍耐力を試されていた。
目の前には小悪魔、もとい銀髪美少女のエミリーが、数分前にかけてやったばかりの毛布を跳ね飛ばし、ダイナミックな寝相で熟睡している。
黒いローブは身体を隠す用をなさず、短いスカートから完全に現れている白い腿が毛布を挟んでいる。
「これでは……取れないな」
手を伸ばしかけて引っ込める。身体を隠すために毛布が欲しいところだが、毛布を取るにはエミリーの脚を触らなければいけない。触ればエミリーは起きるだろう。本体の意識が戻れば、動物に乗っている状態が解消される。
――起こしてもいいのか?
判断に迷う。ロンは戻ってきていない。エミリーと連れ立って医務室を訪れたキースもまだ来ない。
「だが、これでは……」
あまりに目の毒だった。
キースが帰ってきてこの有様をみたらどう思うだろうか。
――いや、見せてはいけない。
脚だけではない、捲れたスカートからは下着が見えている。
そうだ。
スカートを直せばいい。
少なくとも、スカートの裾が正しく下りていれば、キースが来ても大丈夫だろう。
恐る恐る指を近づける。
ガタガタ。
――ひっ!
ドアが開く音がした。話し声も聞こえる。
ロンとキースが来たのだろうか。すぐにエミリーの様子を見に来るだろう。
急いでスカートを直そうとした時、目の前のエミリーが寝返りを打ちながら大きく脚を蹴り上げた。
「ぐふっ」
強烈な一撃が鳩尾にヒットし、俺は前のめりにベッドへと倒れ込んだ。
ドサッ。
衝撃でエミリーが目覚めたのと、天蓋のカーテンが開けられたのは同時だった。
◆◆◆
「ったく、おとなしく留守番もできないのかしら。あたしの聖域でコトに及ぼうなんて十年早いのよ」
「違う!誤解だ」
「コーノック先生……エミリーさんに何をしようとしていたんですか」
「何も……俺は毛布を直そうと」
「その、ス、スカートも捲って……」
キースが赤くなりながら俺を非難する。スカートがどうのと言っている時点で、見たお前も同罪だろう?こいつ、エミリーの下着を見たのか?見たんだな?
掌に熱が集まる。魔力が勝手に溢れてくる。
「はいはい、マシュー。魔力抑えて」
「……っ」
「エミリーちゃんのパンツをキースに見られたくらいで、いちいち悔しそうな顔しないの」
「パ……!」
エミリーが絶句した。さっきから真っ赤になって俯いている。
転移魔法で逃げ出さないように、俺は隣で常に無効化の魔法を発していた。ロンも気づいているらしく、呆れた顔で俺を見ている。
「寝相が悪いから毛布をかけてやろうとしただけだ。エミリーに蹴られてベッドに倒れた。……それだけだ。何もない」
「本当に?何も?」
ロンは目を丸くした。
「ああ」
「あっそ。なーんだ、つまんないの」
「あの……ロン先生」
「なあに?」
「先生は、エミリーさんとコーノック先生の関係を応援しているんですか?」
「応援……ともちょっと違うかな。楽しみに傍観してるって感じ?すっかりバレバレだけど周囲には一応秘密なわけでしょ。これから何か起きそうじゃない?」
「秘密ってことは、認められていないってことですよね?ハーリオン侯爵様にお許しを得て、正式に婚約していれば秘密にする必要がありません」
――何を言い出すんだ、このガキは。
「……何が言いたい?」
魔力を抑えもせずに睨み付けると、キースは少し驚き、瞳に力を込めて俺を睨み返した。
「僕は期末試験でエミリーさんよりいい点数を取って、正式に婚約を申し込むつもりです」
――何だって!?
隣のエミリーを見れば、黙って俯いたままだ。表情は分からない。顔が見えてもエミリーの表情は変わらないだろう。
「ハーリオン侯爵家には劣りますが、エンウィ伯爵家は魔導師団長を輩出する魔導士の家系です。いずれ当主になる僕には、エミリーさんを妻に望む資格がないわけではありません。結婚後も娘が好きな魔法の研究が続けられるとなれば、侯爵様も悪い話ではないとお考えになるはずです」
「まあ、急な話ねえ」
心から驚いたように、ロンが口を開けて間抜けな顔をした。
「学院に入る前から考えていたんです。王宮で初めてエミリーさんと会った時から」
「いつ?」
「王太子殿下がマリナさんを妃候補にお決めになった茶会です」
「思ったより急な話でもないわねえ。ふーん、いいんじゃない?」
「ロン!」
つい漏れ出た魔力を結界で吸収し、ロンが俺の背中を撫でて、どうどう、と言った。
馬か。
「いいって言ったのは、婚約じゃなくて、試験で競うことが、よ。学生としてこうあるべきよね。キースも本気を出すでしょうし、何より、あんたと関係を続けたかったら、エミリーも死ぬ気で頑張るでしょうよ。ね?」
「は、はい……」
エミリーの顔が暗くなった。無表情だが目が死んでいる。魔法の授業以外は寝ていると聞いたが、大丈夫なのだろうか。
「うんうん。いいわね。じゃあ、さっさと勉強しに帰りなさい。もう暗くなってきたわよ」
生徒二人の肩を叩き、ロンは医務室から押し出した。
◆◆◆
「あら。あんたは帰らないの?」
「……さっきの……」
「婚約がどうのって話?」
「……」
にやりと笑ったロンに、俺は非難の眼差しを向けた。どうして他人の不幸を喜ぶのか。
「仕方ないわよ。同じ歳の伯爵令息よ?侯爵様だってきっとウンって言うでしょ」
「試験の結果次第だって言っていただろう?」
「そうね。だとしても、遅かれ早かれ、あの子はキースと婚約するでしょうね。伯爵家の魔導師団長の孫か、爵位なしの一介の魔法教師か選べって言ったら……」
「……どうすればいい」
「ん?」
「どうすれば、俺はエミリーに相応しい相手だと認められる?」
「魔力は国内最高でしょ。あとは、そうね……」
唇に指を当て、ロンは上目づかいで考え込んだ。
「何か、研究でもしてみる?皆の生活に役立つ魔導具の開発とか」
――研究か。確かに、やってみる価値はあるな。
「……そうか。やってみる」
「頑張って」
「ありがとう。……話を聞いてくれて」
「!」
ロンが驚いた顔で俺を見た。
「やだ、あんたが礼を言うなんて。明日雪が降るんじゃない?」
赤紫の髪を無造作に掻き上げ、ロンは白いローブを翻して椅子から立ち上がると、暗くなり始めた窓の外に目をやった。




