245 悪役令嬢と不機嫌な子猫
勉強会を終えて帰ろうとしていたマリナ達は、校舎を出て少し歩いたところで呼び止められた。
「ジュリア!」
「アレックス……ずっとここにいたの?」
「勉強会、抜け出して来たんだ。……お前より先に出ないと、ずっと会えない気がして」
金色の瞳が不安げに揺れている。
「私達、先に寮に戻っているわね」
彼の様子を察したマリナが、アリッサの腕を引いて微笑む。
「あ……」
――二人きりにしないでよ!
去っていく二人の背中に向けて、ジュリアは心の中で絶叫した。
どうも今朝からアレックスとぎくしゃくしている。理由は勿論、彼がアイリーンと一緒に勉強会に参加し、一緒に登校したからだ。登校については、自分達ハーリオン姉妹にも非があるのだが。
「いいの?抜け出したりしたら、レイモンドが鬼になるよ?」
「いいんだよ。……お前に会うためなら、レイモンドさんの説教くらい……」
彼の指先がそっとジュリアの手に触れた。それだけで手が熱くなった気がして、ジュリアは背中に手を隠した。
「……触られるの、嫌なのか?」
「ち、違うよ」
「じゃあ何なんだよ。力加減、もう間違わねえから!」
アレックスは必死だ。こんな顔の彼を、今まで見たことがあっただろうか。
「さっきは普通にしてただろ。見えない腕輪?をくれた時だって」
「私から触るのは平気なの。でも、アレックスから触られるのは……」
ドキドキして苦手だ。自分から触る分には心構えができるが、触られるのは次の動きが読めなくて戸惑ってしまう。まるで、剣の試合のようだ。
「何だよそれ。訳分かんねえ」
頬を染めて視線を逸らしたアレックスは、悔しそうに顔を歪め、赤い髪をくしゃりと掻き上げた。
――うわ……。
ジュリアの思考が一瞬停止した。カッコいい。素直にそう思う。
こっちの顔が赤くなってしまう。不意打ちもいいところだ。
次に打ち込んでくる方向を予測できるだけ、剣の打ち合いの方がマシかもしれない。
「だから、はい!」
目の前に腕をまっすぐに伸ばし、ジュリアはじっとアレックスを見た。
「手、繋ごう?」
「お、おお……」
ジュリアの右手がアレックスの左手で包まれる。身体の横に下ろされて、すぐに指と指が絡み合う。ごつごつしたマメだらけの手のひらの感触と、指の腹を滑る骨ばった長い指に、ジュリアは息を呑んだ。
「……その繋ぎ方……」
「いつも通りだろ。……いちいち赤くなんなよ、照れるだろ」
他愛ない会話の後、アレックスが急に黙り込んだ。
「……なあ、ジュリア」
「ん?」
「俺がお前と距離、置いたら……」
「やだ」
「即答かよ」
ツッコミを入れる彼の声は少し嬉しそうだ。満更でもないらしい。
「レイモンドさんが、この頃やたらとアイリーンを受け入れてるだろ。お前も、アリッサもマリナも、嫌な気持ちになってる。なのに……」
ジュリアが見上げると、アレックスは眉間に皺を寄せていた。
「レイモンドさんは言ったんだ。自習室にアイリーンとキースが来る前に」
苦しそうな顔だ。あまり悩みがなさそうなアレックスをここまで悩ませるなんてとジュリアは胸が苦しくなった。
「全力で、ちやほやしろって。俺やセドリック殿下が、お前やマリナにする時と同じようにしろって言うんだよ。アイリーンを恋人だと思えって」
――!!
レイモンドはアイリーンをその気にさせて罠にかける気なのだ。
脳内お花畑で騙されやすいセドリック殿下と、よく言えば素直で悪く言えば単純脳筋男のアレックスに、高等な真似ができるわけがないのに。
アリッサによると、レイモンドには人前で仲良くできないと言われたらしい。だとすると、アレックスも……。
「私と、人前で仲良くしちゃダメだって言われた?」
「な!何で知ってるんだ?」
「アリッサがそうだって言ってたから。……違う?」
「……違わない。でも、俺は、レイモンドさんのやり方は間違ってると思う。演技だって言ったって、目の前でアイリーンと俺が仲良くしてたら嫌な気持ちになるだろ?俺はジュリアがレナードと仲良くしてるのを見てイライラする。レナードは友達なのに。アイリーンはお前の敵だから、もっと嫌な気持ちだろうなって思ったんだ」
歩みを止め、アレックスはジュリアの手を両手で包んだ。頬が紅潮し、視線に熱を感じる。
「お前に嫌な思いをさせたくない。セドリック殿下の側近として、殿下の傍を離れるのはつらいけど、俺はお前が――」
「にゃあああああああ!」
「うわああああ!」
「な、何!?」
白い毛玉がアレックスに向かってぶつかった。
「……猫?」
素晴らしい身体能力で飛びかかり、真面目な話をしている彼の顔面を捉えていた。赤い髪をぐしゃぐしゃにしている。
「ほら、おいで」
ジュリアがそっと手を伸ばし、子猫を宥めて胸に抱えた。
「アレックス」
「ひっ!」
冷たい声音にアレックスの背中がピンと伸びる。
「ジュリアと何を話していた?」
水色の髪を掻き上げて寒風に靡かせ、不敵な笑いを浮かべたレイモンドが立っていた。
「言ったはずだ。仲良くするなと。……その猫は俺が預かろう」
レイモンドがジュリアに手を差し出すと、子猫は必死にジュリアに縋りついた。
「嫌われてるみたい」
「勉強会の間、俺に大層懐いていたぞ」
「首振ってますよ?」
ジュリアの発言をレイモンドは気にもかけず、子猫に優しい視線を向けた。先ほどアレックスを射抜いた氷のレーザービームとは雲泥の差だ。
「キースは校内に用事があると言って残り、俺が代わりに男子寮まで連れて行こうと名乗り出た」
「じゃあ、アレックスが連れていってもいいんじゃ……」
「いや、俺が請け負ったのだからな。責任を持って連れて行く。子猫も俺に慣れているしな……おいで、ハニー」
どう見ても慣れているように思えない。低い声で囁かれ、子猫が身震いしている。
「レイモンドさん、アイリーンの相手はいいんですか?一緒に帰りましょうって言われてたじゃないですか」
「ああ。先に帰った。どうも子猫と折り合いが悪くてな」
「アイリーンに優しくしろって言ったくせに、自分は子猫を取ったんですね」
「そのことだが……お前は気づいていたか、アレックス」
「何ですか?」
「勉強会でアイリーンが何度も魔法を使おうとしただろう」
「え……」
ジュリアとアレックスが固まった。
「俺、全然気づかなかった……」
「その度にこの子猫が俺を守ってくれていたんだ。なんて健気で可愛らしい……」
片手で抱き上げ、首筋にチュッと口づけた。子猫が雷に打たれたようにビクッと跳ねる。
「アリッサが腕輪を渡そうとしてたのは、そのためなの。アレックスにも殿下にも腕輪を渡してある。あなたも早くアリッサから受け取って。アイリーンに魔法をかけられる前に」
「……そうか。セドリックに魔法をかけたアイリーンが、何かおかしな顔をしていたのは、魔法が効かなかったからなのか。てっきり、猫が弾いたとばかり思っていたが。……分かった。アイリーンに知られない方法で、アリッサから腕輪を受け取ることにしよう」
不機嫌な子猫を抱えたまま、レイモンドは中指で眼鏡を上げた。
今晩もう1話掲載します。




