243 悪役令嬢は変な名前にダメ出しする
「キース、君、猫を飼っていたんだね。いつから?」
セドリックが興味深そうにキースの胸元を見た。制服のブレザーの合わせに顔を出した子猫は、ちょこんと前足を出して気怠そうに「にゃあ」と鳴いた。
「は、はい。最近……」
最近どころか、昼に拾ってきた野良猫である。飼い猫であると言っても疑われないために、浄化の魔法をかけて小奇麗にしたのだ。灰色だと思っていた毛色は白く輝いている。白銀と言っても過言ではない。
「可愛いねえ。僕も猫を飼いたいって思っていたんだけど、ブリジットが猫アレルギーでね」
にこにこと笑顔を振りまく王太子の隣で、レイモンドが厳しい顔をしている。
「学院の寮で動物を飼うのは認められていないはずだが?」
「あの、ええと、これは……」
キースは口ごもった。こういう時のために、エミリーと口裏を合わせてきたのだ。
「使い魔です」
「使い魔?」
セドリックとアレックスが同時に声を上げた。
「なるほどな。魔導士の特権というやつか」
「それなら納得できますわね、レイモンド様。さっきからすごく、魔力を感じますもん」
アイリーンが手を伸ばそうとすると、子猫はビクッと身体を震わせ、キースが心配そうに背を撫でた。
「僕以外の人には慣れていないんです」
「その子、名前は何て言うの?」
セドリックが訊ねる。アレックスが顎に手を当てて、
「毛が白いから、……シロか」
と呟いたが、誰も相手にしていなかった。
「名前は……」
キースは再び窮地に立った。細かい設定は考えていなかった。変な名前をつけたら、猫に意識を乗せたエミリーが怒るだろう。
「名前は、ハニーです。……ねー、ハニー?」
――はあっ!?どこの色男よ。
「にゃあ!?」
キースの胸元で子猫がもぞもぞと動く。シャツの胸に軽く爪を立てた。
「こ、こら、やめ……エミリー!」
「にゃ!」
「……に怒られるぞ」
――何とか誤魔化した?危なすぎるわよ、キース。
「いたずらっ子だね、ふふ」
セドリックが青い目を細めて、子猫の頭を撫でた。
「随分活発な子猫だな。名前が気に入らないのではないか?」
レイモンドが撫でようとすると、子猫は威嚇した声を出す。
「私にも抱っこさせて!」
キースから奪うように子猫を抱き上げたアイリーンは、手を思いっきり引っかかれた。
「痛い!何よ、この猫!」
跳ね飛ばされた子猫は、床にぶつかる寸前でレイモンドが拾い上げた。
「動物に八つ当たりするのは感心しないな」
「レイモンド様、わ、私……引っかかれてびっくりしちゃって」
悲劇の乙女を装うアイリーンに、エミリーは威嚇を続ける。宥めるように毛並みを撫でるレイモンドを気にしている余裕はなかった。
――濃い、魔法の気配がする!
「レイモンド様、私……」
子猫を抱く腕にそっとアイリーンの指先が近づいた。
――ダメ!
「にゃあっ!」
エミリーはアイリーン目がけて、渾身の力を振り絞って飛びついた。人間の姿でも、これほど瞬発力を使ったことなどない気がする。
「きゃあっ!」
ガタガタガタ。
机を押し、椅子を倒し、アイリーンは床に尻餅をついた。アイリーンからすぐに飛び降り、椅子と机を器用に足場に使って、エミリーは再びレイモンドの前に降り立った。
「……お前は……」
緑の瞳が眼鏡の奥で眇められる。じっと見つめられること、五秒。
――ヤバい、感づかれた?
エミリーの背筋に悪寒が走った。身を引いて逃げようと構えた瞬間、レイモンドの手が子猫の身体を包み、ふわりと宙に持ち上げられた。
◆◆◆
「……何だ。急に呼び出して」
医務室に転移魔法で現れたマシューは、兄の友人であるロンに不機嫌を隠そうともしない。
「店番頼むわ」
「断る」
「これから打ち合わせがあるのよ、あたし。宮廷魔導士兼任だから」
「鍵をかけて、不在の札を出していけばいいだろう?」
「そういうわけにもいかないの」
ロンは白いローブをバサバサさせて大股でマシューに近寄り、彼の黒いローブをギリギリ引っ張ってベッドへ連れていく。
「お、おい!何の真似だ!」
「勘違いしないで。アンタみたいなでかい男、あたしの好みじゃないわ。……見て」
バサッ。
天蓋のカーテン部分が捲られる。
「なっ……」
マシューはベッドの上に目が釘付けになった。
「あら、結構寝相悪いのね、この子」
青白い顔で横たわるエミリーは、動物使役魔法で意識を猫に乗せているため、完全に意識がない状態だ。しかし、猫の姿で身体を動かすと、夢を見ている時と同様に、多少人間の身体が動くのである。アイリーン相手に大暴れした今、ベッドの上のエミリーは上半身が仰向け、下半身がうつ伏せで身体をねじった格好だった。当然、短いスカートは完全に捲れ上がっている。言わばパンツ丸見え状態だ。
「触るな!」
寝具をかけて隠そうとしたロンの手をマシューが振り払い、ビリッと電撃が走る。
「ちょっと!」
「悪い……つい……」
「……ったく、毛布をかけるわよ。いいわね?」
「ああ」
「時々様子を見て、かけてやってよね。意識が戻って、自分がパンツ丸見えで寝てたって気づいたら、年頃の女の子だもの、傷つくと思うのよね」
「ああ」
心なしか顔を赤らめているマシューを見て、ロンは楽しくて仕方がなかった。
「終わったら、キースがここに猫を連れて来るから」
「ところで、エミリーはどうしたんだ?具合が悪いのか?」
「あれ、言ってなかったっけ?動物使役魔法よ」
「何?聞いていないぞ」
「過保護なアンタに反対されると思って言えなかったんでしょ。いきなり叱ったりしちゃダメよ。ただでさえ、七つも上のオッサンなんだから、嫌われたら最後、速攻でキースに掻っ攫われるわよ?」
「キース……」
「今日も一緒だもの。仲がいいのねえ」
医務室の鍵に付けられたキーリングに指をかけてくるくると回し、ロンはマシューに向けて放った。
「部屋を出る時は鍵をかけて。じゃ、ヨロシクー!」
軽くウインクして踵を返し、赤紫の髪の魔導士は颯爽と部屋を後にした。




