242 悪役令嬢と猫になる魔法
「あーら、エミリー。いらっしゃーい」
妖艶な微笑でこちらを見るロン先生は、エミリーの背後に立つ紫の髪の少年を見て、
「あんたも何か用?」
と冷たく言い放った。
学院祭の前にドウェインに襲撃されて以来、エミリーとロン先生の間には不思議な連帯感が生まれていた。
「ロン先生、最近男子に冷たいって本当だったんですね」
「あったり前よ。男色疑惑を払拭するいい機会じゃない?学院のお嬢さん達って、あたしが男だって認識がないのよ。男子の恋愛相談に乗っただけで、『私の婚約者に手を出さないで!』って本気で怒鳴り込んでくるんだから」
「はあ……」
その辺の令嬢より、ロン先生の方が美しく危うい色気がある。年上の余裕というか、年若い恋人を包んでくれそうな安心感もある。婚約者とうまくいっていない令嬢なら不安になるのも無理はないとエミリーは思う。無論、言うつもりはない。
「で。今日はなあに?どこも怪我してないし、具合が悪そうでもないみたいだけど」
「ベッドをお借りしたいのです」
キースが初めて口を開いた。
「ええっ?……ちょっと、エミリー。マシューが奥手のヘタレだからって、間男引っ張りこんじゃダメじゃない」
「……違う!」
――何を言い出すんだ!
「あら、あいつ、意外と積極的なの?」
「だから!」
――違うってのはそこじゃない!間男云々の話だってば。
「動物使役魔法をするのに、エミリーさんが寝る場所が必要なんです」
キースが白いローブの胸元から、灰色の子猫を取り出した。撫でてやると小さくにゃあと鳴いている。
「動物使役……ねえ。その猫ちゃんに、エミリーが乗るのね」
「そう」
「自習室で僕達が勉強をする……そうですね、二時間もないのですが、その間だけ」
「……ふう。分かったわ。昨日から王太子殿下とその取り巻きに、アイリーンが加わったって噂を聞いたしね。事情もだいたい飲めたわ」
「じゃあ……」
腕組みをして椅子に座り、脚を組んだロン先生は、机に片肘をついて顎を乗せた。
「あたし、これから打ち合わせが入ってるのよねえ。あんたは自習室に行くんでしょ?エミリーの身体を一人で置いておけないわよね。意識が戻って、変な奴にスカート捲られてたら嫌でしょ?」
「嫌」
すぐさまエミリーの眉間に皺が寄った。
「出かける時は代わりの見張りを頼んでおくから、心配しないで。動物使役魔法って見るのって久しぶりだから、わくわくしちゃうわぁ」
医務室の主の許可を得て、エミリーは奥の天蓋付きベッドへと移動した。学校の医務室だというのに、無駄に立派なベッドが置いてあるあたり、流石は王侯貴族が通う学院である。靴を脱いで弾力があるマットレスに腰かけ、脚をベッドの上にずらすと、黒いローブの裾が乱れて短いスカートと脚が見えてしまう。キースが唾を飲みこむ音がした。
「……」
無言で責めるような視線を向ける。
「すみません……」
俯いて紫の髪がさらりと揺れた。耳が赤くなっている。
ベッドに横たわったエミリーは、キースから子猫を受けとって胸に抱くと、動物使役魔法を呟いて目を閉じた。
◆◆◆
「エミリーは来られないそうです」
ハーリオン兄妹の勉強会で、ハロルドが自習室に現れるなり、マリナが伝えた。
「そうですか。ジュリアとアリッサは?」
「アリッサは、レイモンドに用事があって。ジュリアが付き添うって。終わったらすぐこちらに」
「そうですか……ふふっ」
――い、今の笑い、何!?
次第にハロルドの笑みが深くなる。マリナは嫌な予感しかしなかった。
「二人が来る前に、昨日の数学の復習をしておきましょう。今日は歴史を勉強するつもりですから」
「ええ」
マリナがぱらぱらとノートのページを捲る。行き過ぎてハロルドがマリナの手を止めた。
――手、握られてるし。二人きりだとさりげなくスキンシップが多いのよね。
背中側から覆い被さるような体勢で、ハロルドはマリナの解答を確認していく。
「……いいですね。このページは全て正解です」
吐息交じりの声だ。しかも耳のすぐ傍で。心臓に悪い。
「少し、離れてください」
「お断りします」
――って即答ですか!?
「あの、お兄様」
身体を捩って少し横向きになり、上目づかいでハロルドの顔を見る。
「何でしょう」
「……もしかして、噂を……」
瞬時にハロルドの美しい顔が強張り、青緑色の瞳が翳った。
――あ、まずい。
「あのくだらない妄言ですか?清らかで美しいあなたを妬んだ、どこかの想像力豊かな生徒が言いふらしているのでしょう」
マリナの解答に丸をつけていたペンを握りしめる。
バキ。
――ひっ!
軸に花模様が描かれた繊細なデザインのペンが無残に折れる。バラバラと欠片がノートの上に落ちた。
「勿論、私はあなたを信じていますよ。あなたが王太子のお手付きになるなどあり得ません。あなたは私の魂の伴侶なのですから」
――うわ、重っ……。
思わず仰け反ってしまう。椅子に座ったままで、動ける範囲は極端に少ない。
「……噂の出所はまだ突き止めていませんが、必ず私があなたの名誉を回復します」
どうやって回復させるのだろうと考える暇もなく、手を取られ口づけを落とされる。
「……ビルクールに行く前に、必ず」
マリナの白い手を愛しそうに頬に当て、ハロルドはそっと目を閉じた。
◆◆◆
「ジュリアちゃん、本当に突撃する気なの?」
「レイモンドは勉強会してるんでしょ。お兄様が押さえた部屋の隣で。さっと行ってぱっと渡しちゃえばいいじゃん」
「部屋にはアイリーンがいるんだよ?そこで腕輪を見られたら……」
「ちょっと部屋の外に出てきてもらおう。アレックスに声かけて、レイモンドを連れて出てきてって言うよ」
バシッ。
ジュリアが力任せにアリッサの肩を叩く。
「痛い……」
「ごめんごめん」
最近のジュリアはやけに力強くなったなとアリッサは思った。アレックスと一緒に筋トレでもしているのだろうか。あまり逞しくなられるのも、妹としては微妙な気持ちだ。
普通科一年一組の教室を出て、ジュリアと連れ立って自習室を目指す。廊下で大きな物音を聞いたのは、それから間もなくのことだった。




