241 悪役令嬢と久しぶりの魔法
教室を出る時、ジュリアはアレックスの腕を掴んだ。
「……っ!」
ビクンとアレックスの肩が震えた。
――いちいちビクビクしないでよ。こっちが悪いみたいじゃない。
「何だよ」
「手、貸して。ほら!」
ぐいっと手を引き、ジュリアはポケットに入れていた腕輪を彼の手首にはめた。
「?」
「ちょっと待って……ええと」
ジュリアは父の灰皿に水を入れる時の魔法を思い出していた。
――しばらくやってないからなあ。何だっけ?
ブツブツと呟くジュリアの顔を、レナードが覗き込む。
「ジュリアちゃん?」
「……よしっ!」
指先から水が迸る。アレックスの腕輪に触れると吸い込まれるように消え、腕輪も消えた。
「あ?あれ?何だ、この腕輪……」
「お守り。合同授業の前に渡せてよかった。……魔法科と一緒なんて、嫌だな」
「俺だって、できれば出たくないんだぜ。パートナーはお前がいれば……」
逸らされていた金の瞳が真っ直ぐにジュリアを射抜いた。
「アレックスのパートナーが務まるの、私くらいじゃない?他の誰かに譲る気ないけどね」
歯を見せてニッと笑うと、アレックスは嬉しそうにはにかんだ。
◆◆◆
エミリーが転移した先は、普通科と魔法科の間の、西棟への渡り廊下だった。
「ここから、歩いて帰って。私も授業に遅れる」
「ありがとう、エミリー」
「別に、いい。……いいけど、アリッサ、校内で何やってんの?」
「それは……内緒だもん」
二人がこっそり会っていたことは、二人だけの秘密だとレイモンドに言いくるめられていた。彼の口から秘密の関係だと聞いて、アリッサはドキドキしたのである。
「……ねえ、マリナ」
エミリーがマリナに耳打ちする。
「噂になってる。マリナと王太子のこと」
「知っているわ。……『お手付き』だって言うのでしょう?」
「……何だ、知ってたの。つまんない」
「つまんないって……こっちは死活問題なのよ?令嬢として」
死活問題どころか、王太子以外に嫁ぎ先はないも同然、完全にアウトだ。セドリックの話を曲解した周囲の生徒も問題だが、噂を知っているだろうに否定しない彼も問題だ。
――問題だと思っていないのね。問題どころか、喜んで噂を広めそうだわ。
マリナにとっては不名誉な噂でしかないが、セドリックにとってはマリナを自分に縛り付ける鎖を見つけたようなものだ。
「ねえ、マリナちゃん、エミリーちゃん。『お手付き』って何のこと?」
目をパチパチさせてアリッサが首を傾げた。前世の正月恒例行事、四姉妹のかるた取りを思い出しているらしい。自分の前の札を完璧に覚えて確実に取るのが、アリッサの作戦だった。スピードではジュリアに敵わない。
「王太子とマリナがヤっ……むむ」
「や?」
「エミリー?変なこと言わないでくれる?」
こめかみに青筋を立てたマリナが、女神のような微笑でエミリーの口を塞いだ。
「噂が自然と立ち消えになるのを待つしかないわ」
「おかげでアイリーンの噂が聞こえなくなった。……結果オーライか?」
「全然オーライじゃないわよ!」
ダン!
マリナの拳が傍の壁にぶち当たった。般若マリナが降臨した。
「王太子妃候補がふしだらだなんて評判が立ったら、婚約破棄される格好のネタよ」
「……相手が王太子なら、別に問題ない」
「『これでマリナは僕だけのものだね』とか、王太子様、本気で喜んじゃうと思うなあ」
「令嬢としての沽券にかかわるわ」
「……ま、どうでもいい」
エミリーはマリナの怒りを軽くスルーした。どうでもいいって何よ、とマリナが口を尖らせる。
「腕輪は渡した?」
頷いたマリナの隣で、アリッサが声を上げた。
「どうしよう、渡すの忘れちゃった……校内では話せないのに」
「また今度こっそり会えばいいわよ。ね?」
妹を宥めるマリナを見ながら、
「早く渡しなよ。あいつと接触が多い。……危ないから」
とエミリーは念を押した。
◆◆◆
剣技科と魔法科の合同で行われたダンスの授業は、圧倒的に男子が多い状況でパートナーがいない男子も多い。そこで、先生は男子の中でも女子のステップができる者を、男子と組ませることにしたのだ。
「婚約者同士は組ませるって言ってたのに……」
悲しげにぼやいたアレックスは、抜群の運動神経を買われて女役にされてしまった。クラスメイトに「うげえ」「やめてくれよ」などと言われている。
「アレックス、女役なのにリードしようとするなよ。やりにくい」
パートナーになったレナードがうんざりしている。
「うるさい。お前がしっかりリードすればいいだろ」
「アレックスの歩幅が大きすぎるんだよ。ってか、お前いつもこんななのか?よくジュリアちゃんはついていってるよな」
ジュリアの名前にアレックスがびくりと反応する。
「……そんなにひどいか?」
「ああ、最悪だな。一歩が大きすぎる。ステップは振り回されるみたいで荒い」
「この間マリナにダメ出しされた」
「すごくまっとうな意見だと思うぞ……っと、次はジュリアちゃんか」
パートナーが代わる。レナードはアレックスから離れてジュリアの手を取った。
「俺も父上みたいに、力加減が分からない男になるのか……」
寂しく呟き、ぼんやりしていたアレックスは、またクラスメイトに文句を言われた。




