239 悪役令嬢は公開告白をする
廊下で座り込んで泣いていたアリッサは、ハンカチで涙を拭いて立ち上がった。
「腕輪……届けなきゃ」
アイリーンはレイモンドにかなり接近している。もしかして、既に『魅了』魔法がかけられているかもしれないが、とにかく彼に会って話を聞かないことには次の手も打てない。
何より、自分の言葉で彼と話したい。彼の口から本当の気持ちを聞きたかった。
スカートの裾を直していると、頭の上から声をかけられる。
「アリッサ」
――っ!
それはアリッサが一番聞きたいと願った声だった。
顔を上げると、制服をスマートに着こなしたレイモンドが、姿勢正しくアリッサを見下ろしていた。屈んで労るでもなく、ただ、アリッサを観察しているかのように。
「レイ様……」
「廊下で何をしているんだ、君は」
――えっ……。
冷たい声にアリッサの肩が震えた。聞き違いかもしれないと、じっと彼の顔を見つめる。
「何をしているんだと訊いている。……シェリンズ嬢と喧嘩をしていたと聞いたが」
「喧嘩……」
喧嘩と言われればそうなのかもしれない。レイモンドからもらったイヤリングを返してと迫ったが、結局手を引っかかれて終わった。
「人通りが多い廊下で騒げば、口さがない者が噂をするだろう。現に、俺は君から彼女に乗り換えたと言われているくらいだからな」
「あ……」
レイモンドは噂を否定しなかった。否定しないどころか、廊下での一件でアリッサを責めるような発言をしている。
「ごめんなさ……私……」
――もう終わりなの?
彼はアイリーンを選んだのかもしれない。
きっと遠くない未来に、自分は花嫁控室で毒入りワインを飲むのだろう。
死にゆく自分を眺めて、彼はアイリーンとキスをする。そして二人は幸せに……。
――ううん。レイ様は幸せになんかなれない!
アイリーンは逆ハーレムを狙っている。レイモンド一人を愛するわけではない。
アリッサはぎゅっと目を閉じた。そして、目を開けて再びレイモンドを見つめた。
「……謝りません。悪いと思ってませんから」
「アリッサ?」
「レイ様がアイリーンをどんなに愛しても、愛してもらえないんだもの!……そんなの酷すぎる。ずっとずっと好き……私の方が、いっぱいレイ様を愛してるのに!」
涙声になってしまった。涙か鼻水か分からないもので顔がぐちゃぐちゃだ。視界が悪く目の前のレイモンドの顔がはっきり見えない。
唇を噛んで踵を返したアリッサの肩が後ろから掴まれた。
「……っ、来い!」
レイモンドの腕が肩に回され、押されるようにしてアリッサは廊下を歩いた。彼は生徒指導室の鍵が開いているのを確認し、ドアを開けるとアリッサの背中をトンと押した。よろめいたアリッサが膝をついた瞬間、背中側でバタンと音がした。
◆◆◆
「気を失っただけ……?」
レナードはぽかんと口を開けた。
ジュリアが医務室から戻って間もなく、次の授業が始まってしまい、事の次第を聞けずに悶々としたまま席に着いた彼は、授業終了のチャイムが鳴るなりジュリアを問いただした。
「うん。アレックスがあんまり強く……抱きしめたものだから」
ポッ。
という形容が相応しいような、初心な反応をする。ジュリアの頬が赤く染まる。
アレックスがジュリアを文字通り『抱き潰した』のだと、レナードが理解するのに時間はかからなかった。
「そうか……そうだよな、うん。俺が勘違いしてただけだ」
「勘違い?」
アレックスが金色の目をぱちくりさせる。二人の様子を見て、レナードが安堵の溜息を漏らす。
「いや、いいって、こっちの話。……さっきは悪かったよ、アレックス」
「いいって。俺も悪かったんだ」
「喧嘩はよくないよ。何だか知らないけど」
「俺もレナードに言われて反省したよ。ジュリア……次は力加減、間違えないから」
ポッ。
アレックスもジュリアと同じように赤くなった。
「……だーよーな。こんな二人が、……な」
「ん?」
「何だよ。はっきり言えよ」
「まだまだ俺にもチャンスがあるって思っただけ。ね、ジュリアちゃん?」
「へ?」
自分を見つめてウインクしたレナードに、ジュリアは気の抜けた返事をした。
◆◆◆
アリッサはすぐに立ち上がってドアに向かった。
ドン!
内開きのドアを押し、向こう側に押せないと分かる。鍵は外側からかけられないので、誰かが押さえているのだ。
「アリッサ」
「レイ様!開けてください!」
ドンドン!
「……静かにしろ」
押し殺した声が聞こえる。
「お願いです、ここから……」
出して、と言おうとして声が詰まる。
「……しばらく頭を冷やせ。後で出してやる。鍵はかけないが、ここから出るなよ」
「そんな……」
ドアから滑り落ちるようにアリッサは床に膝をついた。
足音が遠ざかり、改めて室内を見渡すと、応接セットがあるのに気づく。
とぼとぼと歩いて長椅子に座り、アリッサはぽすんと横に倒れた。
――もう、分からなくなっちゃった。
涙も枯れてしまったみたいだった。仰向けになり天井を見上げていると、泣き疲れたせいか急激に眠気が襲ってきた。
「ん……」
顔を横に向けて腕に乗せる。瞼がゆっくりと下りて、アリッサは夢の中へ落ちていった。




