03 悪役令嬢は少年剣士と手合せする
ハーリオン侯爵は娘の「お願い」を叶えるため、かねてから幼馴染の騎士団長に相談をもちかけていた。ジュリアと同い歳の息子がいる彼ならば、いい解決策を示してくれると思ったのだ。騎士団長は、子供達がもう少し大きくなって、相手に怪我をさせない手加減を覚えてから会わせようと提案していたのだが、ジュリアが庭師の息子に怪我を負わせて使用人達が相手をしなくなった結果、ハーリオン侯爵は娘を連れて彼を訪ねることとなった。
ヴィルソード侯爵家の中庭に、二人の少年が対峙していた。
否、一人は少女である。
「お手並拝見!」
ジュリアはヴィルソード家長男のアレックスに木刀で斬りかかった。ジュリアの肩まで伸ばした銀髪が風に靡く。勢いに圧されたアレックスは後ろに転び、尻餅をついた。
「なんだ。口ほどにもないな」
楽しそうに笑いながら、ジュリアが木刀をくるくると回すと、アレックスはそれを掴んで止めた。素晴らしい動体視力である。
「う、るさい!今のは油断しただけだ!」
赤い髪をかき上げ、アレックスは金の瞳に闘志を燃え立たせた。さっきは茶色だったのにな、とジュリアは思った。
「どこを見ている!」
アレックスの木刀がジュリアの肩を掠める。
「どこって、アレックスの目?」
軽々と躱したジュリアがアレックスの真横に回り込む。
「金色で綺麗だなって思って」
耳元で囁くと、アレックスはくすぐったそうに「うっ」と言い、バランスを崩して膝をついた。
「な、何すんだよ!……お前だって綺麗な紫だろ!」
耳を押さえ、真っ赤になってアレックスがジュリアを見る。
「そお?」
「耳元でしゃべるな!びっくりするだろうが」
「ああー。ごめんね?さ、練習続けようよ」
アレックスが頷き、二人は打ち合いを再開した。
日が傾き、庭木の影が伸び始めた。
ジュリアとアレックスは、時間が経つのも忘れて木刀を打ち合っている。
傍らでは、庭に用意されたテーブルセットに、ハーリオン侯爵とヴィルソード侯爵が腰かけ、侍女が出す紅茶を手に二人の様子を眺めていた。
「どう思う、アーネスト」
悪戯な表情を浮かべて、騎士団長ヴィルソード侯爵は幼馴染を見た。少し癖のある赤い髪に日焼けした肌、広い肩と鍛えられた首回り。それだけでも騎士服に隠れている鋼の肉体を容易に想像できる。常に自分を鍛えることを忘れない男である彼は、空いている鉄製の椅子を片手で持ち上げ、ダンベル代わりにしていた。
「いいライバルになりそうじゃないか。それとも、騎士団長である君の目から見たら違うのかな」
騎士団長オリバーは、いやいや、と首を振る。ぶん、と椅子が振られ、ハーリオン侯爵がのけ反った。
「すまん。つい」
「お前に椅子で殴られたら、下手すれば死ぬぞ」
「悪かった。つい、興奮しちまった。アレックスがあんなに嬉しそうにしているのを、久しぶりに見た気がしてな」
「そうなのか?もっと親子の触れ合いを持てよ。うちなんか、娘達が私の膝を取り合ってるぞ」
羨ましいぞお前、と口から出かかって、騎士らしく顔を引き締めた。
「うちの倅は、ジュリアちゃんには勝てないだろうな」
「毎日鍛錬しているんだろう?」
「それでも、だ。見て見ろ、足元が覚束なくなっている。スピードが追い付かない」
言われてみれば、ジュリアの足の速さはアレックスを翻弄しているようだ。同じ年齢であってもアレックスよりジュリアの方が少し背が高いからか一歩が大きい。
「練習すれば、ジュリアもいっぱしの騎士になれそうか」
「もちろん。見込みは十分にあるよ」
連れてきてよかった。楽しそうな娘の様子に、ハーリオン侯爵は頷いた。そろそろ帰るよと呼びかけると、二人は打ち合いを止め、父のいる方へ走ってくる。
「もう帰っちゃうの?もう少し遊びたい~」
ジュリアは父の上着の袖を引く。侯爵は眉尻を下げて娘の頭を撫で、片膝を立てて屈むと目線を同じ高さにした。
「楽しかったかい?」
「うん!また遊びたい!」
「そうかそうか。……オリバー、また連れてきてもいいかな?」
「おう。また来いよ、こいつも喜ぶし」
ヴィルソード侯爵がいかつい手でアレックスの肩を引き寄せると、アレックスは背の高い父を見上げて何か言っている。
「同じ歳の友達ができてよかったじゃないか。ああ、ライバルかな」
◆◆◆
「いやあ~、今日は楽しかったなあ」
満面の笑みでジュリアはぼすん、とベッドに寝転んだ。
「ずるい。ジュリアちゃんばっかり!」
アリッサが手近にあったマリナのクッションをぶつける。
「何すんの!」
「だって、ずるいずるいずるい!私だってお父様とお出かけしたいもん!」
「アリッサだっていつも一緒にどっか行ってるじゃんか!」
父侯爵にお出かけをねだるのはこの二人だけである。マリナは没落破滅死亡エンドを回避するため、どうしても出かけなければいけない時以外は邸の外に出ない。エミリーはぐうたらな引き籠り生活を目指しているので、言わずもがなである。
「喧嘩しないの。で、ジュリアはどこに連れて行ってもらったの?」
二人を引き離し、間に座るようにしてマリナが話題を振った。
「あ、うん。お父様のお友達の家だよ」
「お友達?まさかお母様以外の女の方?」
「ううん。お友達は男の人で、すっごいマッチョだった。なんかね、椅子振り回してた」
マリナ達は椅子を振り回すマッチョ男を想像し、失望の溜息をついた。
「……脳みそ、筋肉系?」
身体を鍛えることに一つも喜びを見いだせないエミリーがげえっと舌を出した。日焼けした体育会系男子は好みではない。
「だって騎士団長だもん。強いに決まってるじゃん!」
瞳を輝かせて語るジュリアを三人は鋭い目つきで見た。マリナの目に怒りが、アリッサの目に恐怖が、エミリーの目には失望の色が浮かんだ。
「ジュリア」
マリナがジュリアの手を取って固定し、後ろに下がれないようにした。紫色の瞳が震え、視線は鋭く妹を刺す。
「な、なん、ですか、お姉さ、ま」
「お父様のお友達は、どなただったのかしら。お名前を伺ってもよろしくて?」
アリッサは大きな熊のぬいぐるみを抱きしめて、おろおろしながら二人の様子を交互に見ている。ばかばかしいと言わんばかりの顔で見ているエミリーとは対照的だ。
「ヴィルソード侯爵様。騎士団長の」
「そう。それで、あなたはそこで何をしてきたの?」
「剣を……木刀で打ち合いを、してきまし、た……」
「打ち合いは、一人でできないわよね。ヴィルソード家には、あなたの相手をするような子供は一人しかいないはずよね」
マリナは貴族令嬢の嗜みとして、貴族名鑑を丸暗記している。まだ見ぬ隠し攻略キャラ対策の一環でもあるが。
「侯爵家のアレックスと打ち合いをしました」
ジュリアが小さい声で呟くと、マリナは天使の微笑を浮かべた。
「攻略対象に会いに行くなんて。……あなた、死にたいの?」