234 悪役令嬢は自意識過剰にうんざりする
剣技科の教室は、ジュリア以外は全員男子生徒で占められている。質実剛健、チャラチャラした恋の噂などには耳を貸さず、剣の道を突き進む……ような生徒は一人もいなかった。
「よう、アレックス。……聞いたぞ」
最後だけ、耳元でいやらしく囁く。
「殿下と女を共有することにしたのか?男爵令嬢なら丁度いいか」
「黙れ、お前ら。勝手なことを言うな!」
毛を逆立てて怒る猫のように、アレックスはクラスメイトに牙をむいた。
「おい、そう怒るなって」
「どうせ学院を卒業したらジュリアと結婚するんだろ?堂々と他の女を味見できるのは今だけなんだぜ。少しくらい……ぐふっ」
アレックスの拳が腹にめり込む。
「何だよ、殴ることないだろ!」
「俺は味見なんかしない!ジュリアがいればいいんだ」
「お前だって、アイリーンが裸で迫ってきたら据え膳食うだろ?」
「すえぜん……?」
首を傾げたアレックスをクラスメイトは白い目で見た。
「知らねーのかよ。どう見てもアイリーンの方が、ジュリアよりエロい身体してるし、お前だって抱きたく」
「ジュリアの方がずっとエロいんだぞ!ジュリアはすごくエロ……」
ガタン。
教室のドアが音を立て、アレックス達のやり取りを見物していた生徒達が一斉に振り返った。
そこには鬼のような形相で立ち尽くす、朝練帰りのジュリアがいた。アレックスに会うと喧嘩しそうだったので、一人で練習場に行っていたのだ。
「……ジュリア……」
愛しい婚約者の顔を久しぶりに見て、アレックスは胸がいっぱいになった。頬を染めて金色の瞳を潤ませた。
「……アレックス」
対して、ジュリアの声は酷く冷たかった。
「何の話をしていたか、聞かせてもらえる?」
「え……あ、えっと……」
口ごもって視線を逸らし、口元を手で覆う。流石にまずいことを言ったと思ったのだろう。
「だーれーが、エロいって?」
アレックスの机の上に両手を置き、上から顔を覗きこむようにして威圧する。高く結い上げた銀髪がさらりと肩に落ちて、大きく開けた襟元から覗く鎖骨に目が行く。
「ジュリアが……その……」
「へえー。どこからどう見ても健全な私の、どこがエロいっていうのよ!」
机に片膝を乗り上げ、アレックスのネクタイを掴んだ。
「はい、そこまでー。ジュリアちゃんも机から下りて」
パンパンと手を叩き、レナードが二人の間に割って入った。ジュリアの二の腕を引き、アレックスの机の傍から離れさせる。
「レナード、いいから放っておいて」
「やだよ。これ以上二人が仲良くするところ、見せられたくないからね」
「仲良く?喧嘩してたのに?」
きょとんとした顔でジュリアが聞き返す。レナードは猫目を細めてにやりと笑い、ジュリアの耳元で囁いた。
「アレックスの奴、アイリーンよりジュリアちゃんに欲情するみたいだね」
「よ……」
欲情、と言いそうになり、ジュリアは慌てて口をつぐむ。
――なんつー話してんのよ!
ちらりとアレックスを横目で見ると、ジュリアと至近距離で話しているレナードを睨みつけている。
「おい」
低い声で呼びかけ、レナードからジュリアを引き離し、アレックスは自分の腕に囲おうとした。微かに香る男らしい香りが、ジュリアの頭を混乱させた。
「やっ!」
ドン!
ガタタタタ……。
「な……んで……」
突き飛ばされたアレックスは、簡単に倒れて机の間に尻餅をついた。
「触んないで!」
――ジュリアの方がずっとエロいんだぞ!――
――アレックスの奴、アイリーンよりジュリアちゃんに欲情するみたいだね――
二人の声がジュリアの中で何度もリフレインする。
「……っ!」
耳を押さえて何度か頭を振り、ジュリアは教室の出口へ一目散に駆けて行った。
◆◆◆
「ねえ、キース。私、帰ってもいい?」
魔法科の教室では、頬杖をついたエミリーが、つまらなそうに魔法球を作っては放り、作っては放りしていた。キースがそれを拾い、浄化させて消していく。
「ダメですよ。試験の結果だけではなく、日頃の課題提出も重要なんです」
「私を応援してるのか蹴散らしたいのかどっち?」
「僕もよく分かりません。エミリーさんに追試になってほしくないですし、試験では勝ちたいとも思います。……ところで、聞きましたか」
「何を?」
ポン。
放り投げた魔法球を自分でキャッチして消し、エミリーはキースを見た。
「噂になっているんです。王太子殿下、レイモンドさん、アレックス、僕」
「私達と別で登校したから?」
「なんだ、知ってるんですね」
「あれだけアイリーンが騒いでるもの。誰も聞きたくないのに」
視線だけで指し示す。教室の廊下側の席で、アイリーンは隣の席の生徒に話しかけている。
「興味本位で私のことを聞いてくる方がいらしたら、皆さんにご迷惑になってしまうわ」
「はあ」
「ごめんなさいねぇ。殿下がどうしても一緒に行こうって仰るものだから」
セドリックは口が裂けてもアイリーンを誘ったりはしないだろう。エミリーは吐き気がしてきた。
「自分から噂を広めようと躍起になっていますね。周りの皆が迷惑そう……」
「王太子とレイモンドとアレックスとキースは、自分の虜だって言いたいんでしょ」
「僕は違いますからね!レイモンドさんに言われて仕方なく……」
頬杖をついていた手を取られ、エミリーは机に顔を強打する寸前だった。
「あー、そう」
「うわ、本当に興味ないんですね」
「……」
アイリーンはエミリーとキースが親しげに話をしていても気にする様子はない。目的達成のために、キースを攻略する必要がないのだろう。
「……今日も、勉強会に行くの?」
「はい……レイモンドさんに約束させられました。あ、でも、エミリーさんがどうしても僕と二人で勉強したいなら」
キースの表情が明るく輝いた。
「別に」
「そうですか……」
しゅんとして項垂れるキースは、普通の女性なら庇護欲をそそられる顔をする。が、エミリーには何の効果もない。
「……興味はある。勉強会の様子、教えてもら……あ、そうか」
ガタ。
「ちょっと、エミリーさん?」
立ち上がって黒いローブを翻し、エミリーはキースの腕を取る。
「……つきあって」
有無を言わさない視線に絡め取られ、キースはひっと息を呑んだ。




