233 悪役令嬢は破局を噂される
翌朝。
女子寮の前にやってきたセドリック王太子一行は、ハーリオン四姉妹が先に行ってしまったと聞いて愕然とした。
「まさか!あのエミリーさんが早起きを……」
キースだけが別の視点で驚いている。
レイモンドは今朝のハロルドの様子を思い出し、やはりそうかと合点がいった。
この頃あまり足を引きずらなくなったハロルドが、早い時間に食堂へ行くのを見かけた。隣の部屋のドアが閉まる音がしたのだ。混雑が一段落してからゆっくり食べるのが彼の流儀だ。やけに部屋を出るのが早い。
レイモンドがセドリックと食堂へ行った時には、ハロルドの姿は既になく、廊下ですれ違ったハーリオン家の従僕に尋ねると、彼は校舎へ向かったと言われた。
――あの時点で気づくべきだったのだ。
「ねえ、レイ」
考え込んでいるとセドリックが肩を叩いてきた。
「何だ」
「僕達も行こう。急げば追いつくかもしれないよ」
「……そうだな」
「やっぱり、一緒に登校できませんでしたね」
しょんぼりと肩を落としたキースは、隣のアレックスを見た。彼は動揺しすぎて不審人物になっている。
「ジュリアの奴、怒ってたもんなぁ。昨日、俺がアイリーンと話してる時に入ってきて……」
「お前が鼻の下を伸ばしているから悪いんだろう?」
「酷いですよ、レイモンドさん!元はと言えば、レイモンドさんが俺を勉強会に誘うから……」
「ほほう。追試になってもいいのか?王太子の側近ともあろう者が。……アレックスは余程自信があると見える」
「うう……」
アレックスは肩を震わせた。成績が心配なのはその通りで、勉強を誰かに教えてもらわなければ追試組になりそうだ。
「今日も、……来るんですか?」
アイリーンの名を口にするのも嫌なのか、キースがそっとレイモンドに尋ねる。
「……どうだろうな。約束はしていないが……」
顎に手を当て、緑色の瞳を眇めて、女子寮の門扉に視線を移したレイモンドは、心の中で大きく溜息をついた。
――この勝機を逃すはずがない、か……。
「皆様!お待ちくださいませーっ!」
ピンク色の髪を振り乱し、四人に追いつこうと猛ダッシュしてくるアイリーンは、丈の短いスカートが翻るのも気にしない。令嬢らしからぬ振る舞いだと、毎朝寮の前に並ぶ生徒達がひそひそ噂をする。
「はあ、はあ、はあ……きょ、教室、まで、ごい、っしょ、させて」
「呼吸が落ち着いてから話せ」
膝に手を当て、前傾姿勢で荒い息をしているアイリーンを見て、セドリックはレイモンドの袖を引いた。
「……レイ、先に行くよ?」
「待てと言われただろう?何か話があるようだぞ」
「なっ……」
レイモンドの発言にアレックスが表情を硬くした。金色の瞳が怒りで煌めく。
「キース、転移魔法で先に行くなよ。……アレックス、お前もだ」
走り出そうとしたアレックスの襟首を掴まえ、魔法を発動しかけたキースに釘を刺す。
呼吸を整えたアイリーンが、白々しい微笑を浮かべ、
「皆様、一緒に登校しましょう♪」
と可愛らしい声で宣言し、小首を傾げた。
◆◆◆
全校生徒の朝の話題は、ハーリオン侯爵令嬢が婚約者を奪われた話ばかりだった。
マリナ達が校舎へ着いたのはかなり早い時間だったため、先に図書室に寄って本を返却してから教室へ向かったのだ。
その頃には生徒の大半が登校しており、マリナとアリッサが教室に入ってきたのを見て、彼らは一斉に話をやめた。
――私達の噂をしてたって、ありありと分かるわね……。
隣に立つアリッサがびくびくしている。マリナは優しく背中を撫でた。
「心配はいらないわ、アリッサ。噂なんてすぐに消える、そうでしょう?」
「……マリナちゃん。私、寮に帰りたい……」
俯いたアリッサのアメジストの瞳から、一筋の涙が零れた。
母譲りのマリナの地獄耳は、生徒達の噂話をしっかり拾っていた。
「マリナ様もアリッサ様も、あのぽっと出の女に……」
「男爵令嬢だろう?王太子妃になんてなれないじゃないか」
「あら、妾にして傍に置かれるつもりかもしれないわよ?」
「あの女はレイモンド様狙いじゃなかったのか?昨日、廊下で見たぞ」
「王太子妃になって、レイモンド様を愛人に?まあ、破廉恥な」
「アレックスはどうなんだ?殿下に付き合っているだけなのか?」
「ジュリア様に置いて行かれたようですものね。破局しているんじゃありませんの?」
「剣技科の男はあからさまなブリッコ女に弱いもの。もうシェリンズ男爵令嬢に惚れているのよ」
ふう。
溜息をつかずにはいられない。
『ハーリオン侯爵令嬢四姉妹は全員、婚約者をアイリーン・シェリンズ男爵令嬢に奪われた』というのが噂の主題らしい。授業が始まって、二時間目が終わった。他のクラスでは噂に尾ひれがついているかもしれない。
――憂鬱だわ。
魔力測定でエミリーがアイリーンに襲われ、それをエミリーが犯人だと噂になったことがあった。あの時は、セドリックの教室を訪ねて、廊下で彼に熱烈なキスをされたのだ。他人の不幸は蜜の味。令嬢達は、恋人同士の幸せな噂より、破局の噂を好んで話したがるものだ。今回の噂を消すには、余程センセーショナルな話題でなければ無理だろう。
――噂になるネタなんてないわ。
制服の内ポケットの中で、エミリーに渡された腕輪が存在感を示す。
「渡しに行かないと……」
椅子から立ち上がろうと腰を上げ、マリナはアリッサにがしっと腕を掴まれた。
「一人にしないでぇぇ」
「すぐに戻るわ」
「どこ?どこに行くの?」
「エミリーからもらった腕輪をセドリック様に渡しに行くのよ。……アリッサも行く?」
一瞬躊躇ったアリッサは、視線を彷徨わせ、意を決したようにこくんと頷いた。




