【連載5か月記念】閑話 悪役令嬢がRPGだなんて聞いてません! 4
使用人が部屋に灯りを持ってきて、マリナはようやく夕方になったのだと思った。豪奢な絨毯の上でじゃれあっていた息子達は、昼過ぎに目を擦り、部屋の隅に置かれたベッドで昼寝を始めた。間もなく起きる頃だろうか。
「父上は、夜になったら帰ってくる……か。誰なのかしら」
幽閉された王妃としてここにいるのなら、夜になっても彼は訪れないかもしれない。来ないならそれでいい。悲劇的な自分の行く末を体験しなくてすむ。
「奥様、お食事をお持ちしましょうか」
侍女は自分を『奥様』と呼ぶ。自分の王妃の位が剥奪され、代わりにアイリーンが王妃になったのなら、『王妃様』とは呼ばないのだろう。
「子供達が起きてからにするわ」
「かしこまりました」
「あのっ……」
頭を下げて出て行こうとする侍女を、マリナは思いきって呼び止めた。
「私、お庭を散歩したいの」
邸を出たいとは言い出せなかった。外に出る許可をもらえれば、少しは状況が変わる。
「なりません。外は魔族が徘徊して大変危険です。奥様にもしものことがあれば、坊ちゃま達はどうなりますの?」
「それは……」
天蓋付きのベッドの上でころころと転がっている息子達を見る。夢の中の時間でたった数時間を過ごしただけなのに、マリナは彼らが愛しくて仕方がなかった。
「あの子達も外で遊ばせてあげたいと思ったのよ」
「魔王が討伐されれば、魔族の力も弱まります。国王陛下が国中から勇者を集めておいでです。魔王が討たれるのも時間の問題でしょう」
『国王』の言葉に胸が高鳴った。
――セドリック様のことなのかしら?
自分達をここに閉じ込めたのは彼ではありませんように、とマリナは願わずにはいられなかった。
廊下の向こうからざわめきが聞こえ、一礼した侍女が振り返ってドアを開けた。
「旦那様がお戻りです」
マリナはびくりと身体を震わせ、一つ深呼吸をした。
――大丈夫よ。これは夢なんだから。
◆◆◆
黒い革張りのソファに寝転がるようにしながら、マシューは足を組んだ。チェーンがジャラリと音を立てる。
「……」
エミリーは少し離れた床に敷かれたファー素材のラグの上で、膝を抱えて体育座りをしていた。大胆な格好で寛ぐマシューをちらちら見ては、胸の動悸を抑えようと必死だった。
「……何だ。俺に用か?」
俺様モードのマシューは赤い瞳でじっとエミリーを見据えた。
「用はないです……」
「そうか。てっきり、食って欲しいのかと思ったぞ」
「食っ!……違いますっ!食べないで!」
マシューの瞳が細められ、遅れてクックッと低い笑い声がした。
「何……?」
「まだ俺がお前を食うと思っていたのか?」
「違います!」
椅子から立ち上がり、マシューはエミリーの傍へ来ると、腕を引き腰に手を回して立たせた。
「来い。……いいものを見せてやる」
連れてこられたのは、大きな丸い鉢のようなものの前だった。
「水鏡だ。覗いてみろ。何が見える?」
水を湛えた鉢はゆらゆらと光を弾き、エミリーは瞳を凝らした。
「水が溜まって……」
「違う。意識を集中させて、よく見るんだ」
水面が白く輝き、アメジストの瞳に煌めく光が飛び込んだ。
「……っ!」
眩しさに目を閉じたエミリーが、恐る恐る薄目を開けると、
「マリナ!」
水面にはベッドの縁に座り、眠る子供を撫でている姉の姿があった。
――マリナ、いつの間に子持ちになってるの!?
現実世界の弟のクリスと同じくらいの年齢だ。姉も少し大人びて見える。エミリーには自分の姿が見えないが、恐らく少し歳を重ねているのだ。
「知り合いか?」
気配を消したマシューがエミリーの後ろに立ち、耳元で囁いた。
「姉です」
「ああ、確かに、銀髪も紫の目も同じだな。……ここは、貴族の邸か?閉じ込められているように見えるが、助けてやらなくていいのか?」
「どこにいるのか分からないんです。はぐれてしまって」
「そうか……」
「耳に息を吹きかけるの、やめてもらえます?」
「くすぐったそうにするお前が悪い」
水鏡を覗き込むエミリーを後ろから抱きしめ、マシューは軽く耳たぶを噛んだ。
「ひぃ」
「色気のない声だな。そんなんじゃ、食べる気にならないぞ」
――どういう……?
「あの……もしかして、食べるって……」
「意味が知りたいのか?……教えてやる」
バサッ。
マシューは背中の羽を一つ羽ばたかせて、エミリーを軽々と抱き上げた。
「ぎ、ぎゃあ」
「ったく、雰囲気もへったくれもないな」
フッと笑って歩いていく。ドアがまるで自動ドアのように開き、廊下の灯りはマシューの行く先を照らし、通り過ぎると消えていく。
――便利ねえ……。
エミリーは緊張のあまりどうでもいいことに感動していた。
石畳の廊下を進み、マシューはある部屋に入った。
足を一歩踏み入れると四隅に篝火が青白く燃え、部屋の中央に大きな天蓋付きのベッドがあるのが見えた。
――食べるって、そっち!?
マシューはエミリーをベッドに横たえ、
「お前は……美味そうな魔力の持ち主だな」
とのしかかってくる。
「お、美味しくなんかありませんってば!魔力を吸うのは勘弁して!」
「魔力を循環させるだけだ。一方的に奪ったりしない。……ある意味では奪うか……」
マシューは色っぽく微笑んだ。
――これは夢、これは夢、これは夢、これは……。
エミリーはお経のように心の中で唱え続けた。




