214 悪役令嬢と動き出した罠
講堂に向かうハロルドは、落ち着いた様子でジュリアをエスコートしていた。ハーリオン家で教育を受け、学院でも主席クラスの秀才である。細かい所作も洗練されている。普通科の一年生には義兄のファンが多いと、アリッサから聞いたことがある。
「私としては、マリナの手をとってエスコートする予定でしたが……」
ふわりと微笑んだ義兄は、裾の長いドレスとピンヒールに慣れないジュリアを気遣う。
『みすこん』男子の部は、勝ちを焦ったセドリックがお手付きで自滅し、ハロルドが優勝したのだ。
「ごめんね、ハリー兄様。マリナと踊りたかったんでしょ」
「いつか公式の場でマリナのパートナーを務めてみたいという願望はあります。ですが、今日の結果を悪くないと思う自分もいるのです」
「え……」
真っ直ぐに見つめる青緑色の瞳に、一瞬ジュリアの胸が高鳴った。
――って、違うっ!ときめいてなんかいないし!あ、そうだ、アレックスは?
ジュリアはアレックスの順位を知らなかったが、他のペアは先に講堂へ入ってしまっている。
「行きましょう、ジュリア」
「兄様、さっきのどういう意味ですか?」
分からないことは訊くに限る!というのがジュリアの信条だ。落ち着いた表情を崩さないハロルドを引き留めて腕を掴んだ。
「女子の二位はアイリーン・シェリンズだと言っていましたね。彼女は王太子殿下に取り入ろうとしている。殿下が彼女を気に入れば……」
「最低!兄様酷いよ。ライバルが消えるからって。マリナの気持ちはどうでもいいの?」
「ふふっ。そう言うと思いましたよ。あなたは姉思いですから」
「殿下が目の前で他の女の子と仲良くしたら、マリナが傷つくんだよ?……あ、兄様にはそのほうが都合がいいんだね。弱ってるマリナにつけこんで……」
ジュリアの推測を聞きながら、ハロルドは再びくすくすと笑い始めた。
「あなたはどれだけ、私を卑怯者だと決めつけているのでしょうね」
「う……ごめんなさい」
「謝る必要はありません。私も最近、本気でマリナを自分のものにしようとしていましたから」
――自分で言うか、普通。っつか、真顔で言うなよ、怖っ。
爽やかな笑顔の裏にはとんでもなく暗い闇があるような気がして、ジュリアは一歩義兄から離れた。
「アイリーンは王妃の器ではありません。寧ろ絶対に王妃にしてはいけない人でしょう。レイモンドやアレックスにも言い寄っているようですし。グランディア王国の一国民として、私は彼女を王太子妃にしてほしくはありません」
「なら、何で?殿下に近づいてもいいなんて言うの?」
必死に見つめるアメジストの瞳に抗えず、ハロルドはジュリアの耳に唇を近づけた。
「ちょ、兄様?」
「黙って……誰に聞かれるか分かりませんから」
秘密の話なのは分かるが、他人が見たら怪しい関係にしか見えない。
「学院祭までの間に起こった事件にはアイリーンが絡んでいると、レイモンドは見ています。私も同感です。彼女の背後についている貴族が誰なのか、真の目的は何なのか、それを知るために少しだけ、アイリーンの策略に乗るのです」
「殿下は知っているの?アレックスは?」
「王太子殿下には言うなと言われています。アレックスも口を滑らせる可能性がある、と」
「私はいいの?うっかりしゃべっちゃうかもよ?」
「頃合いをみて話すつもりでした。敵の策略に乗れば、マリナとアリッサは傷つくでしょう。殿下とレイモンドの裏切りをあなたは許さない。きっと先頭に立って責め立てるのではありませんか?」
ジュリアは俯いた。図星だ。
「うん。……多分、剣を持って乗り込むくらいはするかも」
「そうならないように願いたいですね。この話を聞いた時点で、あなたは私達の共犯者なのですから」
人差し指を立てて唇に当て、ハロルドは長い睫毛で縁どられた瞳を細めた。
「秘密ですよ?」
◆◆◆
ジュリアがハロルドにエスコートされて会場に入り、司会が紹介をした後、音楽が始まった。エミリーは不本意ながらレイモンドの腕に手を乗せる。下手かどうか試してみろと言うだけあって、彼のリードは見事だった。あまりダンスの経験がないエミリーでも踊りやすい。
「まあ、お似合いですこと」
「お衣裳も合わせてらっしゃって……妬けますわね」
「レイモンド様のいつものお相手とは違いますのよ?姉妹で男性を取り合うなんて」
「あら、公爵家からすればどちらでも同じではありませんの。二人を天秤にかけて、レイモンド様も罪な方」
生徒達のヒソヒソ話が耳に入り、ビクリと身体が硬くなる。
「おい、どうした?」
「皆に見られるの、慣れていないのよ。それに……」
どう説明しよう。皆に関係を疑われているなんて。
「ああ。噂話なら、好きに言わせておけばいい」
「聞こえてたの?」
「セドリックには常々地獄耳だと褒められているからな」
「アリッサから私に乗り換えたみたいに言われているのに、いいの?」
レイモンドは視線を遠くに向けた。リオネルに気遣われながら、アリッサがたどたどしく踊っている。
「これから起こることを思えば、俺達の噂など他愛ないものに聞こえるだろう」
「……これから?ねえ、何が……」
身体が離れる。ターンしてまた元のポジションに戻る。
「リオネル王子に聞いた。ハーリオン侯爵令嬢の未来を」
――それって……。『とわばら』の結末?
華麗にステップを踏みながら、エミリーは彼の真意を読み取ろうと緑の瞳を見つめた。




