207 悪役令嬢は聞き耳を立てる
バタン。
控室のドアを後ろ手に閉め、エミリーはとぼとぼとマリナの傍へ歩き、ローブをばさばささせて隣に座った。
「荒れてるわね、エミリー。そんなに課題が気に入らなかったの?」
「創作ダンスだったよ。私はブレイクダンス踊った」
「ジュリアは踊れるものね。そう言えば、昔も踊ったわね」
マリナが言う「昔」とは転生前のことだ。ジュリアは高校の文化祭でブレイクダンスを踊ったことがある。運動能力の高さを見込まれ、人数が少ないダンス同好会に助っ人を頼まれたのだった。
「アリッサが残ったよ。レイ様と踊りたいんだって」
「まあ。よかったわねアリッサ。……と言うことは……」
視線をエミリーに向けると、妹は気怠そうに椅子の肘掛に肘をついて、明後日の方向を向いている。無表情だが拗ねているのが分かり、マリナは小さく笑った。
「……土下座に負けた。信じられない」
◆◆◆
「男子の部、第三ラウンドを始めます!」
司会が高らかに宣言する。ステージ上には、セドリック、リオネル、ハロルドが並んで立っている。二人の王子に負けず、ハロルドも堂々とした様子だ。
「今回の課題を出すのは、フィービー先生です!先生、よろしくお願いします」
肩にかかる浅葱色の長い髪を払い、フィービー先生は壇上の三人をうっとりと見た。
「いいわねえ、申し分のない美男子が揃って。……私が出す課題は、詩の暗唱よ」
カツッ。
十二センチヒールが床を打つ。タイトな赤いミニスカートから伸びた脚がまるでファッションモデルのようだ。
「去年、王都で流行した歌で『君は我が心の薔薇』というものがあったわね。実はこの歌の歌詞は、本校の卒業生で詩人のチェスター・リガルトの作品なの。今から三人には一行ずつ暗唱してもらうわ。答えに詰まった人が負けよ」
セドリックは心の中でガッツポーズをした。
先日、風邪を引いて休んだ日に、フィービー先生からチェスター・リガルトの詩集を預かったマリナが、寮へ見舞いに来た。彼女が置いて行った詩集を後で何度も読んでいる。課題の『君は我が心の薔薇』も詩集に収録されており、流行歌の歌詞だと気づいたのだ。
「余裕だなあ、セドリック様」
「彼の詩集の、直筆サイン入りの初版本をもらったんだ」
「うわあ、権力フル活用じゃん。……あー、こっちの流行歌なんて知らないよ……」
リオネルが頭を抱えている。
「確か、最近授業でも取り上げていたと思いますよ。我が王立学院が誇る若き才能だと」
「そうだったかなあ?」
ぽりぽりと頭を掻く。ハロルドはふふっと笑う。
「リオネル殿下、棄権なさいますか?」
「いーやっ。僕の感性で詩の続きぐらい暗唱してみせるよ」
「暗唱は、セドリック殿下、リオネル殿下、ハロルドさんの順に行います。準備はよろしいですか」
「うん。いつでもどうぞ」
「あんまよくないけど、いいよ」
「始めてくださって結構です」
「……では、始め!」
セドリックの唇が微かに開き、詩人の愛の言葉を紡ぎ始めると、会場から吐息が聞こえた。
◆◆◆
控室のドアに耳を当て、ジュリアは外の物音を聞こうとしていた。
「あっれー?今回はやけに静かだな」
「音楽は聞こえないねえ」
アリッサも隣で同じポーズだ。
「二人とも、格好悪いわよ」
「マリナは負けたんだから余裕だよね。こっちは死活問題だっての」
「負け負け言わないで。そうね、静かなのは……」
「……一般教養?」
にやりと笑ったエミリーが上から目線でジュリアを見る。
「それだけは勘弁してよ。反復横跳びとか、ヒンズースクワットだったら何回でもやるからさ」
「運動は嫌だなあ……」
しょぼん、としたアリッサが肩を落としてマリナの隣に座った。少し離れたところにある椅子にアイリーンが何も言わずに座っている。口元が緩み、心なしか楽しそうに見える。
――どうしてあんなに余裕でいられるのかしら。もしかして、次の課題を知っているの?
疑惑は疑惑でしかないが、『みすこん』の運営を指揮したマクシミリアンが、アイリーンに情報を流している可能性もある。
「おっ、拍手だ!」
「結果が決まったのかしら?」
「男子は誰が残ってるのかな。レイ様なら一般教養は楽勝よね」
「アレックスは瞬殺だな」
「ちょっと!酷いこと言わないでよ」
再びジュリアとエミリーの争いになりかけて、マリナは二人を止めた。
「とにかく、ジュリアとアリッサには、決勝まで残ってもらうわよ。ああ見えてセドリック様は弱点がないし、緊張しない人だから、決勝に進出すると思うわ。……私に代わってセドリック様と踊って欲しいの」
アイリーンに聞こえないように小さい声で「後夜祭のダンスは必須イベントだから」と付け足す。ジュリアとアリッサが深く頷いた。
「任せて、マリナちゃん。私、二位を狙うね!」
「何で?アリッサが一位じゃなく?」
「レイ様は殿下に遠慮して二位かなって……何となく」
盛り上がっている三人の横で、エミリーは窓の外を眺めている。
「どっちでも関係ないし……面倒」
暇に任せて五色の魔法球をお手玉し始める。マリナは不貞腐れた妹の頭を撫で、
「最終戦は客席で見ていいって。それまで辛抱して」
と諦め半分で宥めた。




