193 悪役令嬢はウインクにしらける
校舎から剣技科練習場までは、普通に歩いて五分程度の距離だった。
ジュリアはビヴァリーの手を引いて、スカート丈の長いマリナの制服をバサバサさせながら全速力で走っていた。
「ジュ、ジュリア、さんっ!」
「どした?」
「無理、走れませんっ!」
普通の令嬢であるビヴァリーは、日常生活で全力疾走したりしないのだ。走り出して一分もしないうちに音を上げた。
「レナードの応援しようよ!ビヴァリー、レナードが好きでしょ?」
「ぐっ、げほっ、げほっ……何、を言い出すかと思ったら」
走って息が上がったのと、ジュリアの物言いが率直すぎるのとで、ビヴァリーは激しくむせた。目を白黒させて、やっと落ち着いた。
「違う?……私のカンが外れたかな」
「私のことはいいんです。ジュリアさんは先に行ってください。その方が……」
ビヴァリーは悲しげに微笑んだ。
――関係を勘違いされてる気がするなあ。
「じゃ、先に行くけど、必ず来てね!ね?」
「はい。……すぐに追いつきますから」
◆◆◆
講堂の後方出入口付近の客が騒いでいる。声は聞こえるのだが、舞台だけが魔法で明るく照らされており、客席の様子が見えない。
「何だ?」
アレックスは思わず、腰の剣に手をかけた。帯剣していないことに気づき、ぐっと唇を噛みしめた。マリナの前に進み出ていたセドリックの前に回り、客席に目を凝らした。
「キャーッ」
という悲鳴はどことなく楽しそうにも聞こえる。
間もなく白い人影が見えた。
「化け物か?」
「人間みたいだね……あ!」
騒がれている人物が誰か、セドリックが言い当てないうちに、問題の人物は舞台目がけて突進してくる。
「ほら、美脚の君!前の方でじっくりごらんよ。まるで僕達のために用意されていたかのように席が空いているよ!」
はっはっはっは……。
変態血染め白マントパンツ一丁男は、高笑いをして顔面蒼白のエミリーをエスコートした。
「スタンリー……あの服装は何だ?」
レイモンドの眉間の皺が深くなった。
「無事だったんだ。マントは汚れてるけど」
セドリックは安堵した。観客は血染めのマントに驚いたのだろうと思った。
「公衆の面前にあのような格好で立つなど……信じられません」
ハロルドが絶句した。
――エミリー、なんて顔色してるのよ。
マリナは舞台の上から、最前列に座ったエミリーを見た。魔力を消耗しすぎたエミリーは、普段から血色のよくない顔をさらに真っ青にしている。真っ青になる原因の半分は、隣にいるスタンリーのせいかもしれないが。
妹の心配をしつつ、自分の置かれた状況を再度確認する。
レイモンドを夫に選んで大団円のはずが、アドリブで暴走したセドリックと、それに対抗心を燃やしたハロルドの二人に求婚(?)されているのだ。話も滅茶苦茶になっている上、変人スタンリーの登場に会場が混乱してしまった。後方にいたアレックスまで、舞台の前方へ出てきている。引っ込みがつかなくなっているのだ。
――終わらせなくちゃ。
マリナは王女らしくアルカイックスマイルを浮かべた。
「まあ!あなたは隣国の王子様ではありませんか?私の誕生日の舞踏会へお越しくださったのですね」
白々しく言ってのけ、舞台脇の階段をカツカツと下りて、椅子に座るスタンリーに向かって淑女の礼をした。
「マリナ!?」
思わずセドリックが声を上げ、「しっ」とレイモンドが注意した。
スタンリーは妖精ドレスのマリナを見つめた。視線が顔から下へ、ミニスカートから出ている脚に留まる。そのまま数秒。
――どこ見てるのよ!早く、アドリブに乗ってくれないかしら。
「……王女様。私と一曲踊っていただけますか」
立ち上がったスタンリーはマリナに手を差し出した。
◆◆◆
「おおーっ」
「すげえ!」
「あいつ、ただ者じゃねえな」
剣技科練習場は、観客の驚く声が渦巻いていた。スタンド席にはレナードはおらず、まだ中央の砂地でジェレミーと対戦を続けていた。魔法の力でラスボス化したジェレミーは、目を血走らせながら棍棒を振り続けていた。
「ぐおおおお!」
叫び声はもはや人間ではない。
「ほらほら、そんなんじゃ当たらないぞ?」
軽々と攻撃を躱し、レナードは軽く首を傾げて笑う。近くの席にいた女子生徒が黄色い歓声を上げた。
「レナード!頑張れ!」
ジュリアの声援に気づいたレナードが、振り返って
「ありがとう。頑張るね!」
と爽やかに言い放つ。ついでに左目でウインクした。
女子生徒の黄色い歓声が上がる。
――余裕こいてる場合か!
「危ない!前見て、前!」
ブン!ゴスッ。
ジェレミーの棍棒が砂地を叩き、土埃が舞い上がった。
「……さて、と」
一瞬でジェレミーの後ろに回ったレナードは、涼しい顔で呟いた。
「そろそろ、効いてくる頃だと思うんだけどな」
――え?
よく見ると、レナードの持っている長剣が、鈍く紫色に光っている。
「ハッ!効いてなん……ぐっ、うううっ……」
突然肩を押さえてジェレミーが蹲った。瞳孔が開いているのではないかと思うほど目を大きく開け、口でハアハアと荒い呼吸を繰り返している。
「魔法が切れたら動けないよな?そんな重い棍棒、長時間振り回せるはずがない」
「くっ、はあ、はあ、……魔法、剣か?」
「ご名答。なーんだ。まるっきりバカでもなかったんだね」
「俺……どうなるんだ?」
「闇魔法の『無効化』を剣に纏わせて、少しずつお前の身体に当てただけだ。俺の魔法より、先にかかってた魔法の方がヤバいんじゃない?目が逝ってたぞ?」
小声で話している二人を見て、実行委員がはっと背筋を伸ばした。
「青組、ジェレミー・デイガー、戦闘続行不能!……よって勝者、赤組レナード・ネオブリー!」
わああああああ!
そこかしこでレナードの名を呼び讃える声がする。ジェレミーはその場にどさりと倒れた。




