25 悪役令嬢の密談 8
王宮から戻った四人は、普段着に着替えた後、居間で寛いでいた。
「それにしても、王太子のドレス姿は可愛かったなー」
ジュリアが長椅子に胡坐をかいて座り、クッションを抱きしめる。
「生まれたての子鹿のように震えて、今にも泣きそうなところが、たまらなかったわね。ドレスを着せながら、私、ちょっと別の道に目覚めそうだったわ」
マリナが言うと、エミリーがやれやれと首を振る。
「マリナ、そういう性癖があるのは隠しときなよ。相手にMっ気がなかったらドン引きだからね」
「失礼な。私には嗜虐趣味はありません!」
「うわー、無自覚か。まあ、頑張って。いろいろと」
「何よそれ」
「お母様が言ってたよ。王妃様からも王太子様の婚約者にならないかって打診があったって。王太子と直接絡んだのはマリナちゃんとジュリアちゃんでしょ。きっと気に入られたんだよ」
顎がはずれそうなくらい口を開け、マリナは驚愕した。王妃様には礼儀作法を褒められても、息子の妃にするほど気に入られたとは思えない。
マリナは、抵抗する王太子の服をジュリアと二人がかりで脱がせ、王太子に自分のドレスを着せただけである。嫌われるには十分の所業だが、王太子が自分を気に入るとはこれいかにと首をひねった。王太子が自分達姉妹を嫌っていれば、婚約話が持ち上がっても断固拒否するに違いない。婚約さえしなければ断罪エンドは免れるはず。ゆえに、マリナは直接王太子に無礼を働いたのだ。尤も、後半は多少楽しくはあったが。
「未来の王妃を、当家から出せ、というわけね」
エミリーが呟いた。
「そうみたい。四人いれば、誰か一人くらい王妃にいいだろうって話よ。お父様が渋ると思うけど」
父のハーリオン侯爵は、王家との婚姻は望んでいない。溺愛している四つ子の娘達を、気苦労の多い王妃になどさせたくはない。きっと断るだろう。
四人がこそこそと話していると、廊下から物音が聞こえた。侍女が慌てて転んだようだ。
「何かしら」
バン。と少し勢いよくドアが開く。侍女が息を切らせている。
「どうしたの、リリー?」
いつもは冷静沈着な侍女のリリーは三十代。多少のことでは動じないベテランだ。
「マ、マリナ様。旦那様がお呼びでございます」
「私?」
◆◆◆
第三十七代ハーリオン侯爵、マリナの父アーネストは、書斎の椅子に腰かけて脚を組み、気だるそうな雰囲気を醸し出していた。室内に据えられたランプに照らされて、長い睫毛が茶色い瞳に影を落とし、精悍な顔立ちに深い陰影を与えている。三十路に入ったばかりの彼は、既婚者で五人の子持ちではあったが、未だに多くの貴婦人の憧れであった。
「失礼いたします」
侍女にドアを開けられ、マリナが父の前に進み出る。彼が何かを悩んで髪をかきむしっていたのが、少し乱れた金茶の髪にうかがえる。お父様はイケメンすぎて緊張する、とマリナはいつも思う。
「そこにかけなさい、マリナ」
マリナが黙って長椅子に腰かけると、アーネストは椅子から立ち上がってマリナの隣に座った。
「お父様?」
娘の紫色の瞳に見つめられ、アーネストは微笑んだ。
「急に呼び出してすまないね、実は……」
父は単刀直入に切り出すつもりのようだ。マリナは遠回りにほのめかされるのは嫌いだと知っているのだ。
「お前を王太子殿下の婚約者候補にすることになった。陛下から直々のお話だ」
マリナは一瞬固まった。が、意志の強そうな口元を引き結び、一つ頷いた。
「分かってくれるか」
分かりたくないよ!とマリナは内心絶叫する。何でこうなった?
「はい。私達四人の中から誰か、というお話があることは知っていました」
娘の髪を撫でながら、アーネストは頷いた。
「そうだ。誰かと言われた時、マリナならと思った。候補になるだけなら、負担もそれほどないだろう。どうだ?」
「はい。今までと変わらないのですよね」
――候補になっても断れるのよね、陛下に断ってくださるでしょうお父様?
マリナは期待の眼差しを向けた。
「ああ。マナーやダンス、教養の家庭教師は今までと変えるつもりはない」
――そういう意味じゃないってば。
マリナ達四姉妹は、四歳の頃から家庭教師に学んでいる。これといった不得意分野もなく万遍なくこなしているのはマリナだけだった。習い事の面で言えば、今までと変わることはないと父は言いたいのだ。
「今日王宮に行っていろいろあったとも聞いた」
「うっ」
お母様から筒抜けだったんだ、とマリナは悔やんだ。最後はかなり暴走したと反省してもいる。だって、王太子を弄るのが楽しかったんだもの。
「お前と一緒に遊んで、王太子殿下が楽しそうだったそうだな」
――は?楽しそう?誰が?
マリナは聞き返しそうになった。
服を脱がされて女装させられて、楽しそうだったと?
ビクビク怯えながら、頬を真っ赤にして、青い瞳を潤ませてはいたが、てっきり羞恥心に耐えているものとばかり思っていた。あれで興奮していたとか?あり得ない!
「お父様、それはお母様の見間違いです。私と一緒で楽しそうなどとは」
「そうかな。王妃様から聞いたと言っていたが……」
それからしばらく、見当違いです、そんなはずはない、の応酬が、親子の間で繰り広げられたのだった。




